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#11 息の仕方も忘れるような
「……で、藍沢のばあさんとは飲み屋で知り合ったんだ。前に住んでた場所が店から遠くてさ、新居を探してる話をしたら、この家の部屋が空いてるからだどうだって勧められた」
ばあちゃんとは、気の置けない飲み仲間だったと凌さんは言った。
八十を越えるばあちゃんと凌さんでは年齢差は一回りどころではないと思うのだが、飲み仲間とはそういうものなのだろうか。
「俺は凌の紹介で知り合ったんだよ。一部屋空いてるって言うから、聞いたらなかなか条件も良くて即決したんだ。そうだなぁ、俺は将棋仲間ってところ?」
と、凌さんの後を継いで相良さんが教えてくれる。
これもわからない。ばあちゃんと相良さんが二人で将棋を打っている様子が思い浮かばない。真剣勝負なのか、雑談まじりになのか、俺にはわからないことばかりだ。
じいちゃんが死んで、東京で一人で暮らすばあちゃんのことを両親はよく心配していたけど、案外楽しくやっていたのだ。
家を整え、人に触れ、庭の植物の世話をしながら日々を過ごす。
俺よりもよっぽど忙しい生活だ。電話ではよく声を聞いていたのに、そう言えば、ばあちゃんと最後に会ったのはいつだっただろう。
今回の管理人交代も、ばあちゃんは湯治に行ってから地元に帰る事になっていたので顔を合わせる前に俺は東京に来てしまった。
「で、さっきからだんまり決め込んでるこいつが、ここの最初の住人」
そっぽを向いたままだった白銀の肩を、凌さんが強引に引き寄せる。気を抜いていたのか不意打ちに身体を傾かせる事になった白銀は、怒ったように手を突っ張った。
「やめろ離せっ、自分の事は自分で話す」
「だったらさっさとしてくれ。わざわざ俺や海貴がお膳立てしてやったんだからな。それに俺はもう寝たい。明日もショーの準備で忙しいんだ。誰かさんのおかげでな」
そう言われて、白銀はわざとらしく溜め息を吐いてから、なにやらごぞごぞと動いたかと思うと、どこからかカメラを取り出した。パーカーと同じ色のボディバッグを付けていたらしい。
「フォトグラファー。一昨日まで南米にいた」
「モデルじゃなかったんですか?」
予想外の言葉に、思わず素直な疑問が口から溢れる。これだけの美丈夫だし、凌さんとショーの話しをしていたからてっきり撮られる側だと思っていた。
俺の質問に短く「No.」とだけ答えて説明する気が無さそうな白銀の代わりに、凌さんが口を挟む。
「それは俺が頼んだ時だけ。うちの美容室はたまにメディア向けにショーをやるんだ。その時にこいつにカットモデルを頼んでるってわけ」
「そうだったんですね」
「でも、実際にモデルのバイトもしてたんじゃなかったっけ?」
相楽さんの問いかけに、白銀はフンと鼻を鳴らした。
「ハイスクールの頃の話だよ。それを凌に話したのが間違いだった」
「報酬は弾んでるんだ。良い小遣い稼ぎになってるだろ? それより名前ぐらい教えてやれ」
促されて視線が合う。まただ。この瞳を見ていると、胸の奥がざわつく。息が詰まる。
「Abel《アベル》」
白銀は、俺から視線を逸らさないまま、流麗な発音でそう紡いだ。
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