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#12 晒された秘密
「アベル……」
思わず彼の名前を口にした俺に応えるように、灰色の瞳が揺らぐ。まともに眼を合わせたのは廊下での対峙から二回目だ。
なぜかわからない、でも、彼の眼を見ると、胸の奥に迫り上がるものがあった。眼の奥がじんじんと熱い。なんだ、なんだこれ。
俺の様子に気付いた白銀が眼を丸くして息を飲んだ。凌さんと相良さんもぎょっとして言葉を失っている。
だって、そりゃそうだ。俺だってわかんないよ。
なんで、なんで俺は……、
泣いてるんだ。
「あ、れ……すみません、いきなり……ははっ、なんだろこれ、おかしいな」
止まらない涙を袖で一心に拭う。悲しいんじゃないのに、涙は止めどなく溢れてくる。眼の奥が熱くて痛い。こんな状態初めてだ。
誤摩化すように笑っていると、腕を引っ張られた。目の前にはいつの間にか白銀がいて、大きな灰色の目が俺をじっと見詰めている。するとどうだ、益々涙が溢れ、洪水のように頬を伝う。
涙腺が突然バカになったのか、そうじゃないなら、白銀が俺に何かしたとしか思えない。けど、きっと彼は何もしてない。ただそこにいて、俺を見詰めているだけ。
掴まれていないもう片方の手で顔を隠そうとしたのに、今度はそっちも掴まれて、俺は初対面の彼にぼろぼろの泣き顔を晒す事になった。
涙を流すなんて何年ぶりだ。泣き方もわからなければ止め方なんてもっとわからないのに、思考すら覚束ない俺をただ見詰めていた白銀は、瞳を細めると、苦しそうに眉を寄せ、笑った。それも信じられないくらい綺麗な顔で。
こんな綺麗な顔、初めて見るはずなのに、俺の胸には懐かしさが込み上げていた。不思議なのに、不思議じゃない。すんなりとその感情を受け入れられる。
「Abel Maxwell《アベル マクスウェル》。カナダ人だよ。よろしく……夕哉」
優しい声だった。おそらく初めて向けられたであろう柔和な態度に、泣き顔を晒したことが恥ずかしくて俯いてしまった俺は、頷くのが精一杯だった。
そろそろ手を離して欲しいが、俺の両手首を掴む白い骨張った手が外される事は無い。思い切ってもう一度顔を上げると、白銀とバチッと視線がぶつかった。
「あ、の、離し……」
「で、僕を見た感想は?」
「は?」
つい口から転げ落ちた素直な声もアベルにはどうでもよかったらしい。
心無しか掴まれたて手首も痛い、さっきの優しく包み込まれる雰囲気が嘘のように、猛禽類のカギ爪に捕獲されているかのような錯覚と妙な切迫感を覚えた。
灰色の瞳は真っ直ぐに標準を定め、俺を逃がす気はさらさら無い事が伺える。
「……か、格好良くて、綺麗な人だと思いました」
「そんなこと知ってる」
秒で一蹴されてなぜかへこんだ。
感じた事をそのまま口にしたから、自分でも小学生の感想文のようだったとは思う。そりゃこれだけ整った顔立ちをしていたら、ただ息をしているだけで賞賛されるだろうけど、そんな聞き慣れた言葉以外を寄越せという事だろうか。
だが生憎、俺にその語彙力はない。一体何が目的なのか、ただ煽てて欲しいだけとも思えないけれど、この状況から脱せる言葉がわからない。ひとまずは思いつく限りの言葉を並べてみる。
「えーと、日本語、上手ですね!」
「日本語を使いこなす外国人なんて、いくらでもいると思うけど?」
「う……、あ! あと! 手も綺麗です。ちょっと力強いですけど……それから、スタイルがいいと思います!」
「それで?」
「ええ……まだダメですか……」
ダメらしい。返事の代わりに、にっこりと微笑まれる。
半ばヤケクソの気分で口を開く。
「髪の色も肌も何もかも白くて、目の色も灰色で吸い込まれそうです。映画俳優みたいな!」
その瞬間、俺の手首を固定していた手のひらはあっさりと離れていった。
開けた視界に、それまで黙って事の成り行きを傍観していた凌さんと相良さんが、眉を寄せて訝しげに俺とアベルを見ている。
いきなり何やら始まって驚いたのだろうか。でも俺の方がずっと驚いてるんだけどな、初対面の人に泣き顔を晒して、挙げ句賛辞を求められるとは思いもよらなかった。
けど、俺の考えは見当違いだったと、凌さんの言葉で気付いた。
「夕哉、お前……本当に色が見えていないのか」
これが俺達四人が出会った、春の夜の出来事だった。
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