#03 職業不詳の色男

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#03 職業不詳の色男

 藍沢(あいざわ)のばあさんとは、この家の持ち主でもある俺のばあちゃんのことだ。  数年前にじいちゃんが亡くなった後、ばあちゃんはこの家の空き部屋を貸し出し、自分は管理人として留まった。けど去年一度体調を崩したことをきっかけに、故郷である山梨に帰ることを決めたのだ。  でも、じいちゃんとの思い出だけでなく、いまも住人がいるこの家の管理を他人に渡すことは(はば)られ、考えあぐねたばあちゃんは、ちょうど高校卒業後の進路に悩んでいた俺に白羽の矢を立てた。  ばあちゃんは前々から、ずっと山梨の山の中で暮らしていた俺を若者らしくないと言っていた。都会で暮らす自分と俺と、どっちが隠居老人なのかわからない、と、よく電話で零していたのだ。  管理人業を引き継げば、東京での生活はひとまず雨風と空腹はしのげる環境下になるだろう。  ついでに大学でも行って、世の中の同年代と触れ合って来いと言うのがばあちゃんの言いつけだった。 「はい、よろしくお願いします!」  ばあちゃんから引き継いだ仕事だ。何事も最初が肝心。勢いづけてお辞儀をした俺の頭上から、喉の奥で笑う声が降って来た。  見上げると、男は壁に肩で寄り掛かり、腕を組んで俺をじっと見ていた。 「あ、あの……」 「元気だな。さすが若いだけある。ちょっと子どもっぽいけど、顔も悪くないし化けそうだ」 「はい?」  言葉の意図が分からない俺に、男は「こっちの話、気にするな」と、口角をあげて笑った。 「いつまで玄関にいるつもりだ? 上がってこいよ。案内する」  壁から肩を離し、くるりと背を向けた男に、慌てて靴を抜ぐ。 「脱いだ靴はそこのシューズボックス。お前の棚は一番下の段」  飛んで来た言葉に従い、シューズボックスの扉を開けると、言葉通り一番下の空間がぽっかりと空いている。  脱いだ靴をひとまず押し込んで顔を上げると、男は俺を待つことなく廊下の奥へと足を進めていた。  先入観を持たないように、この家の住人のことは必要最低限の情報しか聞いていなかった。  住人は三人、全員男。それぞれ仕事に就いていて、家賃を踏み倒す輩はいない。  ということは、この人も一応社会人だと思うのだが、平日の昼間から酒の匂いをさせて家にいるなんて、一体どんな仕事に就いているのか見当もつかなかった。  後ろに追いついて来た俺に、ちらりと肩越しに視線が投げられる。さっきは玄関の三和土(たたき)にいたからわからなかったけど、以外と目線が近い。  背は俺より少し高いくらい。でも、細身だからかもっと高く感じる。 「俺は久我凌(くがりょう)。この家の201号室に住んでる。よろしくな」 「よ、よろしくお願いします」 「そうかしこまるなよ。今日からお前もここの住人、同じ屋根の下だ」 「はい!」 「……あー、悪ぃ、あんまり大きな声出されると響く」  頭に、と呟いて、男もとい久我さんは自分のこめかみを押さえた。アルコールの匂いを漂わせていたくらいだから二日酔いなのだろう。 「すみません、気がつかなくて」 「別にお前が謝ることじゃない。昨日は同業の連中と朝まで飲んでてさ、まだ少し酒を引きずってるだけ。俺こそ、お前が来るってわかってたのにこんな状態で悪かったな」  最初の印象があまり良くなかったせいもあって、思いのほか柔らかい物腰に緊張が解れていく。それと同時に、俺の中の好奇心がむくむくと顔を出した。 「久我さんは、どんな仕事をしてるんですか?」 「凌でいいよ。はい、復唱」 「え! えと、凌さん」 「よく出来ました。……そうだな、どんな仕事だと思う? 平日の昼間から家にいて、しかも二日酔いだ」  いささか強引に下の名前を呼ばせた凌さんは、口の端を上げてそう返す。その作為的な笑顔に、質問を質問で返して来る相手はこちらの出方をうかがっているのだと、昔教えられたことを思い出した。 「えー……ホスト、とか」  俺の答えに、凌さんは眼を丸くした後、面白そうに声を上げて笑った。隠すように口元に添えられた大きな手の指先が、爪ごと黒く染まっていることにその時気付いた。 「はは! お前みたいな柔軟な想像力が俺にもあったら良かったんだけどな。若くて羨ましいよ」 「……そんなに歳は違わないと思いますけど」  笑うと途端に子どもっぽくなる。これがギャップってやつだろうか。俺の言葉に、凌さんは口の端を上げた。同性の俺から見たってわかる。この人はイケメンだ。 「嬉しいこと言ってくれる。大学生だっけ?」 「はい、四月から」 「てことは、この間まで高校生だったわけか。それにしては世間知らずそうだな、お前」 「まあ、そうかもしれません」 「へぇ、素直だな。俺がお前くらいの時はもっと生意気だったよ。ばあさんが過保護になるわけだ。家の中を案内してやってくれって言われてたけど、ここには何度も来てたんじゃないのか? 孫なんだろ」 「小さい頃に何度か。大きくなってからは来てなくて……だけど、大体の部屋の位置感覚は覚えてます。細かいルールだけ教えてもらえれば、案内はいりません」 「ふうん。話半分で聞いてたけど、本当らしいな」 「なにがですか?」 「いや、こっちの話。ほら、ここがお前の部屋」  聞こえた言葉に首を傾げるも、また笑顔ではぐらかされる。結局仕事のことも曖昧なままだし、年齢だって自分のことは話さない。  なかなか一筋縄ではいかなさそうな人。それが、俺が凌さんに抱いた第一印象だった。
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