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#05 お近づきのしるしに
色素の薄そうな髪が、朝の陽の光を浴びてキラキラと瞬く。
白いYシャツから覗く首元や、折った袖から覗く二の腕はうっすらと日焼けしている。凌さんとは違う後ろ姿。ということは、俺の隣の部屋、102号室の住人だ。
「おはようございます」
驚かせないように声のトーンを抑えて声をかけると、その人が振り向いた。
後ろ姿では気付かなかったが、ふわりと流れる真ん中分けの前髪に、フレームの細い眼鏡をかけている。一瞬、キョトンとそのレンズの奥の瞳を見開いて、ややあって「ああ〜!」と納得したように頷いた。
「君が新しい管理人? えーと、確か藍沢さんの……」
「孫の夕哉です」
「そうそう! 夕哉くんだ! 聞いてはいけど、本当に若いんだな〜。俺は相良海貴。102号室を借りてる。隣室同士よろしくね」
「よろしくお願いします!」
相良さんは頷きながら、人懐っこく目を細めて微笑んだ。
「夕哉くん、コーヒー飲める?」
「飲めます。あ、でも、砂糖とミルクを入れれば、なんですけど」
「それなら世界一美味いカフェラテを作ってあげよう。これでも俺、カフェの店長なんだ〜」
そう言うと、相良さんは食器棚からマグカップを取り出し、手際良く準備を始めた。
その無駄のない動きに眼を奪われていると、数分も経たないうちに、目の前に湯気の立った白いマグカップが置かれる。その中には、モミの木を思わせるような柔らかい模様が浮かんでいた。
「すごい! この模様、なんですか? どうやってやったんですか?」
食い入るように眺める。コーヒーとミルクの香りが混ざり合い、溶け合って、ふんわりと甘い香りが満ちていく。
「そんなに喜んでくれると作った甲斐があるなぁ。ラテアートって言うんだよ。ミルクの泡で模様を描くんだ」
「テレビで言っていたのを聞いたことはあります。そっか、これがラテアートなんですね」
「大学生は、こういう流行に敏感だと思ってたけど、あんまり興味なかったかな?」
「あ……いえ! そんなことないです。俺の場合はあまりそういうの、知る機会がなかったので」
口ごもる俺に、自分の分のマグカップにコーヒーを注いでいた相良さんの視線が向く。
「あはは! ごめんね〜、大学生ならみんな流行に敏感だなんて、俺の偏見だったかも。そういえば、藍沢さんが言っていたけど地元は結構山奥なんだって?」
「はい。山梨で、コンビニも車で十五分以上かかるんですよ」
「山梨かぁ、果物がおいしい土地だ。桃とかぶどうとか!」
「そうですね。よく農家の方が畑の端に売り場を作って路地販売してます」
「すごいな。おもしろそう。俺の地元は神奈川の海沿いなんだ。環境としては真逆かもしれない」
カフェの店長と言うだけあって、相良さんは話しやすい柔和な雰囲気をまとっていた。
踏み込み過ぎず、一定の距離を保ちながら。落ち着いた声音に話しているだけで警戒心が薄れて、心が穏やかになるような人だ。
手の中の温かなカフェラテに一層温かい気持ちに満たされていると、リビングの扉が開いて昨日と同じように寝癖だらけの凌さんが顔を出した。
「海貴、俺にもコーヒーくれ」
「おいおい、開口一番それ? 朝の挨拶すらまともに出来ない奴に飲ませるほど、俺のコーヒーは安くないよー、凌」
「……おはようございます」
「うん。おはよう。素直な奴にはトーストも付けてあげようか。待ってな〜」
上機嫌でキッチンに向かう相良さんとは対照的に、凌さんは溜め息を吐いてリビングのソファに腰掛けた。マグカップを持って立ったまま戸惑っている俺に、相良さんが声をかけてくる。
「俺と凌は地元からの幼馴染みなんだ。いつもこんな感じでね」
「あ、なんだ。そうだったんですね」
同年代の親しい友人がいない俺には理解し難い距離感だけど、この二人にはこれが自然なようだ。相良さんに促され、俺もトーストが焼き上がるのを待っている間、凌さんの隣に腰掛ける。
「今日は、出勤は夜からなんですか?」
昨日、はぐらかされたままだったことを思い出してそう尋ねると、新聞を眺めていた凌さんが顔を上げる。訝しげに眉を寄せて俺の顔を見た後、納得したように口の端を上げた。
「ああ、お前の中では俺はまだホストなんだったな。そうだな、今日はお気に入りの客が来るから、その前に買い出しに行くんだよ。持て成さないとヘソ曲げちまう厄介な奴だから」
「はあ……」
いまいち話が掴めずにいると、話が聞こえたのか、キッチンから相良さんの笑い声がした。
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