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あれから篠原さんのテンションは上がったまま酒の量も飯の量も話も増えた。
モデルの他に雑用をしてほしいこと、都合のいい日取り、お金のこと、篠原さんの事務所兼自宅の場所。後は殆ど、篠原さんの熱意。
篠原さんに仕事の連絡が来たのと、完全な酔っぱらいが出来上がってしまったのでお開きになった。
店の外に出て赤い顔をしたムラサキをとんとんと突く。反応がない。
篠原さんの隣、同じようなペースで酒を呷っていた彼は、実はどうやら酒にあまり強くないらしい。いつもはそんなに飲まないんだよと篠原さんは語った。反応も虚ろで、起きているのに寝ているようだった。いつも眠そうな二重瞼はもうすぐ閉じてしまいそう。
「ごめんね、藍染くん」
ムラサキは俺の家に連れて行くことにした。
「大丈夫ですよ。向谷まで二駅だし、起きた時に帰りやすいだろうから」
篠原さんは今から人に会いに行くと言うし、ムラサキの家の場所はわかってもこの酔っぱらいをタクシーの人に任せるのは流石にできない。俺がついていくといっても部屋に届けていたら終電も不安があった。
飲み会を俺の最寄り駅でやってもらったこともあるし、篠原さんが奢ってくれるというので結構俺が食っていたから、タクシー代を更に出させるのもなぁと思ったのもある。これっきりならまだしも、一回は一緒にやることになったわけだし。
ムラサキは店で水も飲めていたしトイレにも行けていたから、だいぶぼんやりしてはいるが大丈夫だろう。たぶん。会話はもう成り立たないが。
「あ、また連絡するね」
篠原さんの申し訳無さそうな顔に手を振って、ゆっくりと歩きだす。
店を出たのは0時を回っていただろうか。
彼は三時間近くあまり物も食べず、酒を飲み続けていたことになる。
急がずゆっくり、横目に猫背を見る。センターパートの前髪がゆらりと揺れる。歩いているが目は虚ろで、たまに唇は薄く開かれ静かに呼吸していた。
肌寒い空気は俺の目を覚まさせ、案内のために繋いだ手の熱も顕にした。
等間隔の街灯を見ながら歩く。
栄えている駅でもないから人通りは少ない。少し歩けばもう住宅街だ。
雲は高く薄っすらとしか無い。眠っているマンションの屋上にある赤い光もきれいに見えた。
風が吹いてムラサキの薄いジャケットがはたはたと腕に当たる。
騒がしい居酒屋に雑に置かれていたそれからは、タバコの臭いも彼の匂いも喧騒すらも漂ってはこなかった。
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