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そしてついに運命の日を迎える。
その日は日曜日だった。
まだ中学生になったばかりだったから、六月か七月だったと思う。外では風が空気を切り裂くような金きり声をあげ、大粒の雨が社宅の窓を打ちつけてていた。
夕方になると天を破るような雷音が轟き始めた。
居間からはいつものように妹の弾くピアノの音が聞こえ、僕はいつものように自分の部屋で静かに本を読んでいた。読んでいたのは「博士の愛した数式」だった。
わずかに漣のようなざわめきが聞こえてきたと思うと、次第にそれは声に変わった。
《話があるから来なさい》
《君のことを待っている人がいるから来なさい》
といういつもの透明感のある声だ。
僕は「またか」と思い、無視を決め込んでいた。
しかし次第に読書に集中できなくなって、忌々しさが増してくる。声はだんだんと大きくなり、ついには僕の脳みそを掻き回さんとばかりに拡がった。
僕は本を閉じて、その場でうずくまり頭を抱えた。硬く目を閉じ、奥歯をきつく噛み合わせて、意識を遠退かせると心の「激痛」が次第に「疼痛」へと緩むのだ。
が、その日は駄目だった。声は容赦なく僕の頭を掻き毟り、頭蓋骨が割れるほど響き渡った。
と、僕は叫び声を上げながら、玄関のドアを打ち破るようにして、土砂降りの雨の中を傘も差さずに外へと走り出していた。
どうしてそんな行動に出たのかわからない。
とにかく「声」から逃れたい一心だった。力の限り走った。
自分の足とは思えないほどの早さだった。
社宅に面した大通りの歩道は幸い雨で人がほとんどいなかった。その広めの歩道を全力で突き抜けていった。足の筋肉がまるで自分の意志とは別のものとなっているようだった。雨に濡れている感覚はなかったが、足元で水が跳ね上がる感覚は覚えている。
あらん限りの力を足に集めて街中を突っ走る。
《こっちへ来なさい》
その声に引っ張られている、かろうじてそんな意識だけが、頭に過ぎった。
視界が淡い灰色に染まり、自分が何処へ向かって走っているのかも分からなかった。
針のように研ぎ澄まされた神経が柔らかいゴムまりの中にズブズブと埋もれていくような心地よさ全身にが渡る。
だんだんと意識が高いところへと登っていく。どこか楽しいところへと呼ばれているみたいだった。誰に呼ばれているのだろう。とにかく早く行かなくちゃ。そんな気分だった。
僕の記憶では交通事故にあった瞬間のところは消えている。
どこの交差点で、どの方向からそのトラックが出てきたのか、僕は車のどの部分に当たったのか、僕からぶつかっていったのか、それともトラックがぶつかってきたのか、そういった記憶は一切ない。
僕の記憶の中では、猛烈に歩道を走っていた場面から、僕の身体が救急車に運び込まれる場面へと飛んでいる。
雨の中、レインコートを来た救急隊員が交差点で僕の身体を慎重に担架に乗せて、救急車に運び込んでいる場面だ。
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