* prologue *

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 始まりは小学校1年生の秋。  茜が入学した年は、男子21人、女子10人と、全学年の中で1番児童の少ない年だった。朝は1年生から6年生まで地域ごとに集団登校だったので近所の年上の女の子も何人かはいた。しかし帰りはクラスが終わり次第の下校だった。なのでだいたいは同じクラスの子たちだけになる。  茜は帰り道の集団下校をいつも憂鬱に思っていた。一緒の方向に帰るのが男子しかいなかったからだ。 茜はいつもその男子たちにいじめられていた。中でも1番苦手だったのは、いつも中心になっていた柿沼涼平という男の子。 畑の隅に捨ててある腐ったネギを投げられたり、ランドセルにかけてある歯磨きセットを取って投げられたり、物を隠されたり。毎日追いかけまわされ、逃げながら家に帰る日々だった。  良いことがあったとすればそのおかげで逃げ足と隠れることが早くなったこと。長距離走では毎年女子3位以内に入ることができるほどにまでなった。 帰り道はいつも泣いていた記憶しかなかった。 反対方向に帰っていく女の子たちが羨ましくて仕方なかった。  ある日の帰り道。いつものように男子たちが茜をいじめようと追いかけてきた。茜は泣きながらイチョウの木の後ろに隠れ、男子たちが通り過ぎるのを見つからないようにジッと待った。 するとその時、進行方向からクラスの男の子が母親と一緒に歩いてきた。 「あ!千秋じゃん!風邪は大丈夫なのか?」 茜を追いかけたきた男子たちがその男の子の前で止まり、中心にいた涼平が男の子に話しかけた。 「うん。もう熱も下がって治ったから明日には学校に行けるよ。」 男の子はすっかり元気な様子で答えた。  彼の名前は和久井千秋。一昨日から風邪をひいて学校を休んでいた。 家は反対方向で、休み時間はいつも外でサッカーをしているようなスポーツ神経抜群な男の子。千秋は少し大人びていて、話し方や言動は周りの男子たちとは違っていた。しかも女の子が苦手なのか、幼なじみの女の子としか話しているところを見たことがない。 茜は入学してからまだ一度も千秋と話したことがなかったのだ。  茜は木の影から少し顔を出してそのやりとりを眺めていた。すると顔をあげた千秋がふとこちらに気が付いた。 (...見つかった!!) 茜は咄嗟に木の影に隠れた。 「千秋!そういえば、茜どこかで見なかった?」 ちょうどその時、涼平がキョロキョロと辺りを見渡して千秋にたずねた。 (...あぁもうダメだ。見つかってしまう。今度は涼平くんに何を隠されるんのだろう...。) これから起こるであろう最悪なシナリオが茜の頭に浮かんだ。堪えていた涙が溢れてくる。 「...間宮さん?見てないよ。もう帰ったんじゃない?」 (...え?) 茜は一瞬耳を疑った。 「なんだー。あいつ最近逃げ足速くなったよなぁ。じゃあ僕らも帰るか。千秋また明日!バイバイ!」 男子たちはそのまま互いに手を振り、走って帰っていった。 茜は何が起きたのかすぐには理解できず、ぐるぐると考え込んでいた。 (私の居場所を黙っていてくれた...?話したこともないのに。...もしかして、私を守ってくれた?) ひとつの答えに行き着いた時、溢れていたものが安堵の涙となってこぼれた。 風が吹き顔を上げると、不思議とヒラヒラと落ちてきたイチョウの葉がいつもよりも鮮やかに黄色く見える。 (こんな気持ち初めて...。) 茜は木の影から顔を出した。 すると千秋が母親に何かを伝えこちらに駆け寄ってきた。 「間宮さん、………だから、もう泣くな。」 小さい声で視線を落としながら言った言葉は途中が聞き取れなかったが、最後はしっかり聞こえた。 千秋は茜の左の頰をつたって流れた涙を不器用に右手で一回拭い、母親の元へ走って戻って行った。   茜は動けなくなった。 たった今目の前に現れたのは... (王子様...。) 千秋の姿が見えなくなるまで、茜はただその後ろ姿を見つめ立ち尽くした。 見えなくなってもなお、その姿が瞳から消えないように...。
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