夕立 ー麻琴sideー

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 その日はそのまま春香と別れて、郁人くんの強い希望で急遽、花火を前倒しでする事になった。 「ごめんね、お友達と一緒に来てくれたのに、郁人がわがまま言って」 史悠さんは店先の花を店内に入れながらベンチに座った私を見て言った。  額から汗がおちる。左の瞼から頬にかけての傷に汗が伝う。私はとっさに立ち上がって、彼の肩にかかっているタオルで汗を拭った。 「あ、」 屈んだ姿勢だからすぐに手が届いた。  史悠さんの固まった表情を見て、私は自分の距離が近すぎることに気づいた。あ、どうしよう。拭った後のことをなにも考えてなかった。 「あ、っと、えー、っと、ありがとう」 流石の史悠さんでも距離の近さに戸惑ったのか言葉が見つからない様子だった。 「おとぉぉぉさぁん!きょうピザにしよぉ!」 郁人くんの声がして私は手をタオルから離した。 「郁人、ピザはこの前食べただろ」 史悠さんは顔を上げて郁人くんを見ていた。 「え〜、だって、せっかく、まこっちゃん、いるし、ピザおいしいし?」 私をチラチラ見ながら、郁人くんは手に持ったチラシをひらひらさせている。 「まぁ、そうだな。ピザ、みんなで食べられるし、な」 史悠さんはそう言って、ちょっと待って、と声をかけて店のシャッターを閉めた。 「えっと、ことちゃんは何のピザがいい?」 史悠さんは私を見て、靴を脱いで、小上がりの畳を上がった。私はその後に続く。大きな背中に汗でシャツが張り付いている。一日働いた男の人の背中。陽に焼けた腕も後ろからなら見放題だ。自分が史悠さんを好きすぎてちょっと怖いな。思わず見すぎてしまう。  私と郁人くんと史悠さんとピザを注文した。ピザをたくさん食べて、その後は水を入れたバケツを持って店の裏側に案内された。 「こんな風に店の裏はなっていたんですね」 店の裏は自宅になっており、玄関扉の横の駐車場には「山瀬生花店」と書かれた白の軽ワゴン車が止まっていた。玄関から出ると道の前に小さな川が流れていた。 「まこっちゃぁぁぁん!こっち、こっち、きて!」 郁人くんがぴょんぴょん飛び跳ねている。 「行く、行く〜」 私は郁人くんに向かって走った。 「ちょっと、ことちゃん、夜道を走ると危ないよ」 背中から史悠さんの声が追いかけてくる。私は振り返って、大丈夫でーす、と言い、郁人くんに近づいた。  3人でしゃがんでロウソクに火をつけて、順番に手持ち花火を持つ。 「わ〜綺麗だね。バルーンジャーがチカチカしてるね」 「まこちゃん、ながいのあったよ!これする?」 「する、する!」 「こら、郁人っ、人に向けて花火を持つな」 パチパチパチ、シューシュー、音を立てて色とりどりの火薬の火花が上がる。白い煙が上がって、周囲がモヤに包まれる。なん年ぶりに花火をしただろう。最後に花火をしたのはいつだったか思い出せない。 「あ〜、あしかゆい〜」 郁人くんは足でふくらはぎをかいている。 「あ、跡になるよ」 私はしゃがんで携帯の光で郁人くんの足を見た。蚊に噛まれている。 「虫除けスプレーしたのにな」 史悠さんはそう言って、自分の腕をパンっと叩いた。 「あ、見ろ、お父さんが仇うったぞ」 笑って、左の手のひらを見せる。私はその手のひらを見て、ドキッとした。左瞼から頬にかけての傷より、遥かに深く、生命線を押しつぶしたような傷があった。これは何の傷? 史悠さんは私の様子に気づく事なく残りの線香花火に手を出していた。 「おとーさん、なんでさいごにせんこうはなびなの?」 郁人くんは史悠さんの横に座った。私も郁人くんの横に座る。 「さあ、どうして最後なんだろうな。お父さんも知らないな。何となく決まってるんじゃないのか」 1人1本づつ、線香花火を持って順番にロウソクの火をつける。火が着いて、火薬に辿りつくと、ジジジ、と音を立てて次にパチパチと小さな火薬の玉が登っていく。 「かわいいね」 郁人くんが呟く。線香花火が揺れる。私は小さく頷く。 「なんか、線香花火ってーーーー」 史悠さんはポソリと口から溢れた言葉を言いかけて、やめた。私はその続きが気になって、聞き返した。 「続きは、何ですか?」 郁人くんも史悠さんの顔を覗き込む。私も彼を見た。史悠さんは、しまった、と言う顔をして、少し考えているようだった。 「おとーさん、きになる〜。なになに?」 いや〜、と言いにくそうに口を開く。 「なんか、幸せの形に似てるなって思って」  私は言葉の意味を考える。線香花火が幸せの形に似ている。火が灯って、火薬が弾けて途中で風に揺られると落ちて消えてしまう。風がなくても静かにじゅうっと音を立てて消えていく。そんなに幸せが儚いものに彼には見えているんだ。 「おとーさん、それどーゆういみ?むずかぁしい〜」 郁人くんがそう言うと、線香花火が落ちた。 「あ、おい、郁人が動くから、お父さんのも落ちたぞ」 「あ、私のも」 「え〜、ごめん〜、もういっかいしよっ、まとめて5本ぐらい火つけたら、ずっとパチパチするんじゃない?そしたら、おとーさんのいう、しあわせがもっといっぱいになるんじゃない?」 さすが郁人くんだなと思った。  幸せがいっぱいになる。 私もできるなら、史悠さんとそんな感情を共有したい。
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