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何を言われたのかとっさには分からず、私はきょとんとその場に立ち尽くしていた。
「朝妻はさ、たぶん千冬のことが好きなんだよ。千冬が、朝妻のことを好きなのと一緒で」
私なりに何かを言おうとして――確かに、否定しようとしたはずだったと思う――、でもその気力は、宗田くんのその一言で完全にくじかれてしまった。
「何、……を」
「朝妻のこと、ずっと見てただろ。分かるんだよ、俺にだって。同じように、俺は千冬のことを見てたんだからさ」
「宗田くん」
「あいつあれで、あんまり気が長いほうじゃないから。もしかしたら、今日にでも告白してくるぜ。……よかったな」
そのお礼の言葉には、皮肉や恨み言の響きはなかった。
待って。
私は、どれひとつの変化にも、まるでついていけていない。
宗田くんが嫌いなわけじゃない。ずっと私を大切にしてくれた。ずっと一緒にいるのだろう、と思っていた。それは嘘じゃない。
「何も言うなよ。千冬さ、自分で思ってるより全然分かりやすいんだよ。嘘も、本当のことも、今は聞きたくない。だから何も言うな」
そう告げて、宗田くんは、薄暗い館内を先へ歩いていった。
私は、力の抜けた足で、宗田くんが行ったのとは逆の方へ、元来た道をくらくらと引き返した。萎えた足で階段を降り、傍らにあった木製のベンチに腰を下ろす。
その時、横にある展示室から声が聞こえてきた。チカと、朝妻くんだ。
壁の陰になって、二人の姿は見えない。
「どうしても、ダメなんだ?」
チカの声に、朝妻くんは答えない。でも、何らかのしぐさで返事をしたようだった。
「せめて、これ読んで。一応、私の言いたいことは全部書いてきたから。最初はメールででも書こうかと思ったんだけど、いくらでも書き直せるからきりがなくて。手紙にしちゃった」
その声を最後に会話は終わり、チカが早足で奥に去っていく音が響いた。
私は、壁から少し頭を出して、そこに立ち尽くしている朝妻くんを見た。手には、ピンク色の封筒を持っている。チカからの手紙だろう。
朝妻くんは、くすんだ赤茶色のレンガの壁に向かって歩き出した。古く、年季の入った壁には、そこここにレンガの割れ目があり、縦に細く口を開けている。
朝妻くんはひときわ長く裂けた、奥が見えないほど深い割れ目の前に立つ。そして封筒を縦にすると、その割れ目に近づけた。
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