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三軒目の店を出たとき、耕平は終電の時間が迫っていることに気が付いた。
急げば間に合いそうだが、改札まで慌てて走るのも無粋だしタクシーで帰ろうと決める。今夜はもう少し、この余韻を楽しんでいたい。
時計を確認した耕平に気付いた佐々木が、「あ、もしかして終電ヤバイ?」とたずねた。
「んー、タクシーで帰るわ。走るの嫌だし」
「マジ? ごめん、俺もちゃんと気にしておけばよかった」
「いや、いいって」
久々に楽しくて、すっかり時間を忘れていたのは耕平だ。
タクシーで帰ったって大した金額じゃない。鬱屈とした日常から、少しだけ抜け出させてくれた。それはプライスレスってやつだ。
「あ――そうだっ。ねえ、牧浦さん、うち泊まる? 俺んち、ここから三駅くらいなんだけど、まだ終電あるし、もしタクシー乗ったとしても初乗り運賃でいけるくらいの距離なんだ。最悪歩けるし。明日も休みだろ?」
「えっ――……」
思わぬ提案に、すぐに返事が出てこなかった。
いくら終電を逃したとはいえ、会って二度目の相手の家に泊まるなんてハードルが高い――少なくとも、普段の耕平にとっては。
だが今の耕平はそれなりに酔っぱらっていて、一緒に楽しく飲んだ佐々木に対して、数年来の友人のように砕けた気分だった。
「あ~……じゃあ、お願いしようかな……」
「オッケー!」
「悪いな」
「全然大丈夫。もっと牧浦さんと話したいし。むしろラッキーかも。どうせなら、最後にもう一軒行こうよ~」
四軒目を出たあと、割とベロベロに酔っ払って、二人はタクシーに乗り込んだ。
佐々木のマンションは中華街のそばで、タクシーに乗ってしまえば五分もかからないが、そのわずかな間にも、耕平はライトアップされた街並みを眺めながらうとうとしていた。
クリスマスが近い。
横浜の街はいつも以上にキラキラしている。
「ついたぞ~」と肩を叩かれ、耕平はハッと目を開けた。
すでに支払いは済ませたようで、タクシーの扉が開いている。
「あ――ごめん、タクシー代……」
「いーって。それより、ほら。行くぞ」
肩を抱かれるようにして、耕平はタクシーから引っ張り出された。そのまま歩き出そうとするので、耕平は慌てて抵抗した。
「おい……っ、一人でも歩けるって」
しかし佐々木の力は思いのほか強く、耕平は早々に諦めた。寄りかかって歩くのが案外と楽だった、というのもある。
身長は同じくらいだというのに、耕平より厚みのある佐々木の上半身は安定感があった。ときどきジムに行っているらしい。
恋人のように抱き寄せられたまま、耕平はエレベーターに乗った。
佐々木の部屋は、ごく一般的な1DKだ。
玄関を入ってすぐに洗濯機置き場と、バスルームとトイレ。狭い廊下に添うようにして、コンロが一口しかない小さなキッチンがある。部屋は縦長で、九畳くらいだろうか。
突然訪問したにも関わらず、部屋は綺麗に片付いていた。
ベッドに、ソファ、ローテーブル。小さなテレビ台の下にはゲーム機が収納されていた。三段のカラーボックスが一つ――これは本棚代わりになっていて、仕事関連と思われる本がギッシリ詰まっている。
極端に物が少ないわけではないが、余計な装飾などはなく、本当に必要な物を必要なだけ、といったところだろうか。
「綺麗にしてるな」と、耕平は感心した。
普段から片付いているのだろう。でなければ今日のような不測の事態に「うち来る?」なんて言えない。耕平の部屋では、こういうわけにはいかなかった。
佐々木は少し得意げに「まあね」と笑って、それから耕平の肩を解放し冷蔵庫を開けた。
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