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「佐々木さん、こいつ、俺の同級生なんだ。――ほら、耕ちゃん挨拶したら」 「ども……。牧浦です」  佐々木はコートの下も、しっとり肌触りのよさそうな――もちろん、毛玉一つない――上質なニットを着ていた。龍一と同級生ということは、耕平や誠司の一つ上の三十五歳ということだ。時計も、年相応にさりげなくいいものをつけている。ブラウンのレザーバントのハミルトン――安物ではないが、身の丈に合わないほど高級というわけでもない。シンプルで主張しすぎない、でも自分に似合う物をわかっている男なのだろう。 「どうも、佐々木です」と眼鏡の奥の目が細められ、男は柔和に微笑む。  切れ長の目は、笑うと目尻に皺(しわ)が寄った。絶世のイケメン――とは言いがたいが、モテそうな男だ、というのが耕平の素直な感想だ。 「はい、耕ちゃん」 「おう、サンキュー」  二杯目のカクテルを耕平は嬉々として受け取った。オーダーどおり。ジンベースで、ドライな飲み口。グレープフルーツの酸味と、ほんのり柚子の香り。  美味いカクテルにうっとりしていると、「はい、おまたせ」と、佐々木の前につやつやのキメの細かい泡のビールが出てきた。披露宴で散々ビールは飲まされたが(それはもう、ぬるくなった不味い瓶ビールを嫌というほど)、きちんと注がれたドラフトはやっぱり美味そうだ。  よほど物欲しそうな顔をしていたのか、佐々木が「一口、いります?」と笑った。ばつが悪くて「いや、次は俺もビールを頼みます」と耕平はもごもごと言った。  顔が熱いので、赤くなっているかもしれない。もちろん、酒が原因ではなく。佐々木は再び笑った。 「なあ龍、腹減った~。何か作ってくれ~」  佐々木はビールを半分ほど一気に呷り、キッチンに引っ込もうとしていた龍一に向かって情けない声を出す。 「お前腹減ってんの? 今日デートだったんだろ。飯行くって言ってなかった?」と龍一は不思議そうな顔だ。 「そうそう~。行きたいって言ってたイタリアンの店に行ってきたんだけどさ。ま~……なんで女子ってあんな小食なのかね。サラダと生ハムでお腹いっぱいになっちゃった、ってそんなわけあるかよ」  こっちは腹減って死にそうだよ、とぼやく佐々木に、龍一は高らかに笑いながら今度こそキッチンに引っ込んでいく。 「なあ、牧浦さんもそう思わない?」と佐々木が身を乗り出す。  耕平は吹き出しそうになるのを必死にこらえている最中だったが、佐々木には気付かれていたようだ。しかし、まさか話しかけられるとは思わなくて、耕平は目を瞠る。驚きのあまり、こらえていた笑いも引っ込んだ。こいつ、コミュ力高すぎ君か。 「まあ……女子がみんなそういうわけじゃないだろうけど」と、耕平は控えめに、そして用心深く弁護の言葉を口にする。  わざと小食を装う女の子がいるのは事実だが、初デートは緊張のあまりご飯が喉を通らない、なんていじらしい子も実在するという噂だ。少なくとも、耕平は未だかつてお目にかかったことはないが。  『あいつ』は、初めっから大口開けて飯食う女だったな――と、初めての、そして唯一とも言える女を思い出し、耕平は内心、苦く笑った。 「俺、飯は美味そうに、いっぱい食ってくれる子がいいな~」と、佐々木はうんざりしたような溜息を吐く。耕平の弁護はあまり響かなかったらしい。 「酒も飲める子だったら最高なんだけど」  しかし「ああ、それ、わかる」と耕平が半ば反射的に相槌を打った途端、佐々木の憂鬱な表情が消し飛ぶ。「おっ、俺たち気が合いそうだね~」と快活に笑った。  佐々木が二杯目のビールを頼むタイミングで、耕平もカクテルを飲み干し同じものを注文した。  ほどなくして龍一が大盛りのナポリタンを持ってやってくると、佐々木は大袈裟なくらい喜んだ。夢中でガツガツと食べはじめたところを見ると、本当に腹が減っていたのだろう。豪快で気持ちのいい食べっぷりだ。一緒に飯を食う相手が、こんな嬉しそうに大口開けて食べていたらきっと楽しいだろう。 「そういえば式はどうだったのさ」と、誠司がたずねた。  取ってつけたように今更だ。  耕平はチビチビとビールを飲みながら「ん~、別に普通じゃね」と答えた。どうせ誠司も詳しく聞きたいわけじゃないだろう。今回出席したのは今年二十七になったという会社の後輩の結婚式だが、嫁さんは更に若く、なんとまだ二十代前半だ。 「花嫁さんも綺麗だし、いい式だったんじゃない。ま、ドレスは寒そうだったけど」  風のないよく晴れた日で、日中はコートがいらないくらい暖かかった。  それでも〝十二月にしては比較的暖かい〟というだけで、肩剥き出しのドレス姿で長い時間過ごした花嫁はさぞ寒かっただろう。風邪を引いたりしないか心配だ。 「夢のないこと言うなあ」と誠司は苦笑いを浮かべる。 「まあ、ここ最近見た中では一番いい式だったかもしれん」 「とってつけた感」 「そんなことねーよ。感動して涙出たもん」  もちろん嘘だ。  声を上げて笑ったのは、意外なことに佐々木だった。 「牧浦さん、独身? 結婚式に夢ないんだ?」 「あ~……式に夢がないってか、結婚願望もないし、子どもとかも別に……」 「彼女もいないの?」 「まあ、いたら土曜の夜に一人で飲んでないよね」 「そりゃそうだ」と相槌を打ったあと、「でも意外だね~。牧浦さんイケメンじゃん。モテそうなのに」と付け足す気遣いも忘れない。なんていい奴なのだろうか。 「でも、わかるなあ~。俺も別に結婚なんてしたくない~」と佐々木はへらりと笑った。
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