セールスレディ

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セールスレディ

 1983年、あの年は自分にとって衝撃的な事が起こった。実は前年、早乙女愛(当時、活躍していた女優)が初のヌード写真集を出していたのだが、当時はインターネットなんていう情報源は無かったし中学三年生だった僕は、セクシーな写真が載った雑誌とか買えなくてアイドルの水着写真すら拝めなかったから全然知らなかったのだが、清純派とばかり思っていたのにロマンポルノ映画(女猫)に主演したのだ。  それを初めて知ったのは父が買って来た週刊誌を父の留守中にこっそり見た時だった。その記事の中には白黒ではあったが、早乙女愛のヌード写真が掲載されていたのだ。  僕はあの時、ショックと興奮のあまり胸が苦しくなる位、動悸が激しくなった。当時、早乙女愛は24歳だったが、僕が知っていた早乙女愛より頬の肉が程よく削げてシュッとした顔立ちになり、体形もスリムになって全然いい女になっていた。何より驚いたのは細いのに乳房が豊かに張り出していることだ。俗にいうロケット型おっぱいという奴で大きいのに全然垂れていなくて突き出ているのだ。  それで僕は峰不二子のイメージに最も近い女と思える程、いい女だと分かったのに早乙女愛を軽蔑した。青年の頃の僕は妙に堅い所があって理想の女性に潔癖を求める傾向にあったので女優は脱ぐ仕事があるとは言え、事もあろうにロマンポルノ映画に主演するなんて清純もへったくれもあったもんじゃないと怒りを覚え、裏切られた気がして早乙女愛のファンでいられなくなってしまったのだ。しかし、多感な時期に余程、インパクトを受けたのだろう、僕はあの時以来、いい女の第一条件はロケットおっぱいであることと定義づけ、筋金入りのロケットおっぱいフェチになった。  当然、僕は恋人にするならロケットおっぱいで可愛い子がいいと思うようになったが、中々そんな子にはお目にかかれないもので況して身の回りの子は発育途上にあるのだから猶更だ。  それで恋人は大人になってから探そうと本気で思った僕は、周囲の女子を歯牙にもかけず屁のようにしか感じていなかったが、中学2年の時、人気者だったのに数奇な運命をたどって高校時代、挫折して落ちぶれた儘、大人になってしまうと、いい女という者はそんな男には目もくれないもので早乙女愛のようないい女を恋人にすることは夢のまた夢となってしまった。  そうして二十代を棒に振ってしまったが、三十歳の春に遅まきながら恋らしき恋、早い話が初恋をした。僕が好きになるからには、いい女と呼ぶに相応しい、その女性は或る中古車店のセールスレディで、僕はその店の目当てのロードスターを見に行ったら彼女が寄って来て、「お車お探しですか?」と声を掛けて来たので出会った。  矢庭に目の前に現れた、その姿はレースをあしらった純白のブラウスに紺のタイトスカートスーツを組み合わせ、張り出した胸と柳腰が際立った、謂わばモーターショーを彩る花形コンパニオンも顔負けのナイスバディを誇る美女であった。  僕は麗らかな春光を浴びて輝く明眸と皓歯に因って一層、華やぎを増し、穏やかな光風に吹かれて一層、爽やかさを増した彼女の優美な微笑、そして何と言ってもロケットおっぱいを連想させる豊かな胸元につい見蕩れて返事をするのに遅れてしまったが、その後も風光る中、彼女が優美な微笑を絶やす事無く応対してくれたので、ときめきを感じ、自然と和んで話せる様になり、いい女と会話をすると、こんなに楽しくなるもんなんだと目から鱗が落ちる思いがした。  けれども僕はふと我に返ると、三十歳にしてロードスターを買いに来ている事自体、物好きと思われるだろうと心配になり、糅てて加えて三十歳にして中古の低年式の安物を買いに来ている事自体、低所得者と思われるだろうと更に心配になるので含羞に満ちたコンプレックスの塊の様な人間となってしまうのだ。  だから彼女がいつ冷淡な側面を表し、自分の弱味を突いて来るであろうかと不安になり、時折、へどもどした応対になったりするのだが、商売柄というのも有ってか、彼女が一切、嘲る様な侮る様な素振りを見せず相変わらず優しく応対してくれるので話している内にどんどん彼女に惹き込まれ、全く呆気なく惚れ込んでしまうのであった。  僕は彼女と商談してロードスターを買う契約をしてから納車するまでの七日間、普通なら車の事で頭が一杯になるのに車の事はそっち退けになり、彼女への思いが募って行き、遂には恋に落ちてしまった次第だ。  そして納車の日が来てチャンスが有れば告白する積もりで中古車店に行ったのだが、改めて目の前にした彼女が自分には勿体無いと思う位、美しく目に映ったので告白するのは失礼ではないかと気後れしてしまい、到頭、言い出せなかった。  僕がそんな風に自信無げに接していても彼女は相変わらず優しく応対してくれたので綺麗な上にとても出来た女だと感心して納車してからも彼女への思いは募って行き、身を焦がす程の恋となり、食事が喉を通らない位、思い詰める様になった。  僕は思春期に於いても、こんな心境を経験した事は無かった。それで、どうしても彼女を欲しくて堪らなくなって胸が張り裂けそうになり、どうしても告白しなければ気が収まらなくなって、「この儘、告白しないでいたら一生後悔する。駄目でも良い、恥の多い人生に一つ上塗りするだけの事だ。自分に勇気が有るかどうか、度胸試しにすれば良い」と決心し、納車から一週間後、ちょっと奮発して買っておいたジャケットとジーンズを身につけて今度こそ告白するぞと勇んで、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で春風駘蕩の中を新たな愛車となったブリティッシュグリーンのロードスターで突っ切って中古車店へ向かった。  着いてみると、中古車展示場を見渡してもいないので僕は店舗に行ってみた。  すると、窓越しに彼女が受付カウンターの傍に居るのが分かって他にも店員が店舗内に居るのが分かったので僕は彼女を外へ呼び出すしかないと思い、入り口のドアを開け、「すいません!ちょっと出て来て貰っても良いですか!」と彼女に声を掛けた。  不意の事に彼女は少し驚いた様子で、「今日はどうしたんですか?そんなお洒落して」と言いながら出て来た。  こういう場合、まずお天気の話をするものだと思った僕は、「あのー、今日は春らしくていい天気ですねえ」と持ち掛けると、「そうですねえ」と彼女が少し怪訝そうに答えた。  その気色に何だか気まずくなった僕は、一気にのっぴきならない状況に陥り、他に言葉が見つからなくて、「あのー、今日来たのは他でもなくて」ともじもじしながら早速、告白に取り掛かった。「あ、あの、実は、そのー、あなたが」と言い掛けると、聞き取り難かったと見えて彼女が体を乗り出して来て、「えっ、何ですか?」と聞いて来た。  僕はこうなったらと思って勇気を振り絞って声を張り上げ、「い、いや、だから、あのー、あ、あなたが、す、す、好きになってしまったんです。つ、付き合って貰えますか?」と冷や汗だらだら息も絶え絶えで人生初の告白をやり遂げた。  彼女はその余りにも唐突で単刀直入な訥々とした告白に呆れながらも、「私、付き合ってる人がいるの。ごめんなさい」とさらりと言って退けた。  彼女はいい女だから彼氏がいるかもしれないと覚悟してはいたもののこうもあっさり断られた事に対し愕然として酷く落胆した僕は、容姿にはある程度、自信を持っているから経済力がないと見縊られた結果こうなったと瞬時に悟った。優しそうに振舞っていたのは矢張り商売柄だからなのか、或いは気がないにしても手前味噌ながら僕がいい男だからなのか、いずれにしても冷ややかな薄ら笑いが彼女の顔に浮かんで来たので僕は傷心して退散するしかなくなって、「あっ、あー、そうですか。そりゃあ彼氏くらいいますよねえ。態々呼び出したりしてすいません」と言って周章狼狽しながらロードスターに向かい乗り込むと、はち切れんばかりの胸元に後ろ髪をひかれながらも恥ずかしさの余り彼女が見送っているかどうかも確かめずに中古車店を後にした。
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