君の輝き

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今日は一段と光ってんな、と俺は筋トレをしながら拓を見つめる。  田舎の高校のグラウンドはだだっ広い。野球部、陸上部、サッカー部の連中を放っても、のびのびと練習できるくらいだ。そんな中でも拓の姿は一瞬で見つけられる。一番動き回っていて、一番ボールの動きを読めていて、一番声を出してるやつ。先輩たちに囲まれて練習しているのに、よく物怖じしないで動けるよな、と感心してしまう。  俺はというと、ちょうど校舎の影になっているコンクリートの上で筋トレをしている。ここからはグラウンドの端から端までバッチリ見える。先輩数人と一年の奴らも、校舎に沿って一列に並んでいる。マネージャーの掛け声に合わせて、皆一斉に体を動かす。昨日まで、拓もここで筋トレをしていた。でも今日、部活が始まる前、顧問が拓だけに声をかけた。そして二言三言何か伝えたと思ったら、拓は筋トレを始めようとする俺たちに背を向けて、グラウンドへ猛ダッシュした。  拓、だけ。あいつだけ、特別だった。  生まれ持った素質なのだと思う。拓は器用で何でも軽々とこなしてしまう。顔立ちや佇まいは、何をしなくても周りの人たちに好意を抱かせた。その才能は幼稚園の頃から発揮されていて、そこに居るだけで母親達の注目を掻っ攫っていた。小学生、中学生、高校生になっても、拓の人たらしっぷりは変わらなかった。俺は拓へ注がれる視線の多さに最初こそ戸惑ったものの、ずっと傍に居るうちに慣れた。皆は遠いところから憧れの眼差しを向けるだけで、拓と深く関わろうとするものはいなかったからだ。きっと、拓には触れてはいけないような、恐れ多い気持ちもあったのだと思う。けれど、そんな気持ちもお構いなしに図太く拓の隣に居続けた俺は、いつの間にか拓にとって唯一の「幼馴染」という立ち位置にいた。  ピー、とホイッスルの音にハッとする。俺も皆も一斉に立ち上がって、グラウンドにいたメンバーの元へ駆け寄った。 「一年はこれで終わり。帰っていいぞ」 と顧問が言うと、ありがとうございましたぁと、一年の馬鹿でかい声。そして、疲れたぁ、アイス食べてぇな、と好き勝手言いながらバラバラと部室へ向かっていく。俺も後に続こうとすると、拓が声をかけてきた。 「俺、まだ練習あるんだ。先帰っておいて」  タオルで拭いきれないほどの汗をかいて、顔を赤くしながら拓が言う。その声には嬉しさが隠しきれていない。入学してからほとんどボールに触らせてもらえなかったから、やっとまともにサッカーができて嬉しいっていうのは、拓が言わなくてもわかる。 「でも、駄目だろ。顔が赤すぎる。無茶すんな。今日のところはひとまず一緒に帰ろう」 と、俺は言う。 「じゃあ、あとちょっとだけ参加して途中で抜ける」 と言いながら拓はまたグラウンドへ向かって颯爽と走っていく。  その姿が本当に眩しい。 「セーフ!」 「アウトに決まってるだろ。馬鹿。遅えよ」 と、俺は自分よりも背の高い拓を見上げて睨んだ。  五月の空は、夏に向かってはいるものの、まだ日は早く沈んでしまう。あとちょっとだけ、と言った拓を校門で待っていたら、みるみるうちに暗くなってしまった。誰もいない帰り道の中、二人並んで歩き出す。 「待っててくれるなんて優しいね」 と、拓が顔を覗き込んでくる。 「結局練習の最後まで居続けやがって」 「ごめんごめん。ボールを触らせてもらえてうれしかったから張り切っちゃってさ。やっぱり、ちょっとでもやってないと体鈍るね」  鈍っているようには見えなかった。むしろ、ため込んでいた力を爆発させるように先輩に食ってかかっていた。 「がんばるのはいいんだけどさ、俺は心配なんだ。これがばれたらどうするんだよ。あと、目が痛え、視界に入ってくんな」  俺はギュッと目に力を入れる。 「なんでだよ、もう慣れたでしょ」 「今日のお前は一段と光ってんだよ」  拓から放たれる光に、俺は目を細める。  拓が初めて光ったのは、高校の入学式の日のことだった。拓は新入生代表として舞台上で長い挨拶を読み上げていて、俺はその様子を椅子に座って見続けていた。拓の前に在校生代表の挨拶をしていた生徒会長よりもずっと堂々としているように見えたけれど、普段は綺麗な拓の肌が赤みを帯びていて、俺はてっきり、拓が珍しく緊張しているのだと思った。けれど、そうじゃなかった。式が終わって、帰りに寄り道をして、暗くなった時に初めて気がついた。拓は、朱色に発光していた。太陽の光も月の光とも似ていなくて、拓の体の奥の奥からじんわり滲み出て、あたりをぼんやりと照らしていた。初めは拓も驚いていたけど、しばらく経った今、ずいぶん慣れたらしい。 「やっぱり? 俺も思ってた。昨日より強くない? って」  呑気な返事だ。 「昼は太陽の光が強いからまだいいけど、問題は夜だ。こんなの知らない人が見たら驚くどころの騒ぎじゃないぞ。てことでこれを着ろ」 と言いながら、俺は黒い長袖のパーカーを押し付ける。拓は、暑いのになーとぶつくさ言いながらも、黒いパーカーを着てフードを被る。黒が光をうまく吸収して、さっきよりも眩しくなくなった。でも、手と顔だけは相変らず光るから、少し離れたところから見ると手と顔がバラバラに浮いているように見えて、なんだか少し笑ってしまう。なんだよ、笑うなよー、と拓も笑う。心なしか光が薄くなった気がした。 「二分休憩でーす」  マネージャーの声に、皆一斉に脱力した。相変わらず拓以外の一年と先輩数人はグラウンドでまともに練習をさせてもらえないままだ。大してしんどくも面白くもない運動メニューをこなす毎日。走り込みと筋トレ以外でまともに使ってもらえない筋肉が、まだまだやれるぞって訴えてくる気がする。 「グラウンドにいる一年のやつ、うまいな」  隣にいた先輩が、拓の動きを目で追いながら言う。先輩は足に分厚いサポーターを付けている。拓と入れ替わりで基礎練メンバーに加わったこの先輩は、拓と接点がほとんどない。噂によると、怪我をしたからレギュラーメンバ―から外されたというのは表面上の理由で、拓より実力がないからなんじゃないか、と一年の間で好き勝手言われている。 「加藤拓ってやつです。あいつは本当に凄いんですよ。俺、幼馴染なんでよく知ってるんですけど。何でもできて。入学式の新入生代表挨拶も拓がしたんです。」  そう、拓は本当に凄い。先輩を押しのけてメンバー入りするほどに。いつだって特別だ。 「自分の事みたいにうれしそうだな」  先輩は俺の方を見ずにストレッチをしながら言った。 「うれしいです。さすがだなって」 「お前だって、努力すれば入れたかもしれないぞ」 「いやいや無理っすよ。才能があるんですよ。拓には。俺とは違うんですよ」  グラウンドに居る拓に目を向ける。あ、ほら、今の動きなんて、俺には絶対できないな。 「確かに違うだろうな。お前とは」  違うとも。太陽の下で走り回っているのがお似合いな拓。日陰で筋トレしかできない俺。 「お前はそれで満足なのか。あいつにぴったりくっついて引き立て役みたいな立場で。お前のがんばり次第で、あそこにいたのはお前だったかもしれないのに」  サポーターのついた足を伸ばしながら先輩は言う。 「お前、悔しくないのか」  初めて、先輩がこっちを見た。 「休憩終わりでーす。筋トレ再開しまーす」  マネージャーの声に皆筋トレの準備をし始める。俺も慌てて筋トレをする体勢になる。先輩はもうこっちを向かない。返事をしなくて済むことにほっとした。  悔しくないのか?  先輩の声が頭の中で響き渡った。  部室には、窓を開けていても男の熱気が充満いる。今日も、レギュラーメンバー以外は早めに帰ることを許された。みんなダラダラと好き勝手に喋りながら、着替えている。  ぬるい。  暑さのせいだけじゃない。ぬるい空気が、部室に満ちている。  悔しくないのか?  そう聞いてきた先輩は、そそくさと練習着を脱ぎ、帰る準備をしている。まるで、一刻も早くここから出たいみたいに。 「あの、皆んな」  思っていたよりも大きな声が出た。皆んな驚いた顔をしてこっちを向く。部室中の視線が俺に向けられた。 「あのさ」  先輩の視線が、誰よりも俺に深く突き刺さっているのを感じる。 「俺らもう少しがんばってみない? 早く拓みたいにグラウンドで練習できるように」  言葉を一気に吐き出した。こういうことを言うのはキャラじゃない。自分から出たセリフに、顔が熱くなる。 「拓みたいに、って言ったってな」  同じ一年のやつが、口を開き出した。 「あいつは別格だろうよ」 「もう明らかに最初から飛び抜けてたしな。才能あるよな」 「それな。天性のものっていうの? 俺らが努力したところで拓みたいにできるものでもないでしょ」  俺みたいだ、と思った。俺はみんなと同じように拓を見ていた。 「それは違う」  ぼそりと、でもはっきりと先輩が呟いた。 「あいつ、そんな天才型でもないぞ」  背負っていた鞄を下ろしながら、先輩は言う。 「俺がレギュラーメンバーから落ちたとき、レギュラーとして生き残るにはどうしたらいいかってあいつにアドバイスを求められたんだ。最初は嫌味なのかと思ったが、なんでも先輩全員にいろいろと聞いて回っていて、俺が最後だっていうもんだから」  他の先輩が、そういや俺もアドバイスを求められたな、そういや俺も、と口々に言い始めた。 「俺たちが知らないだけで、あいつにだって努力してるところがあるんじゃないのか」  先輩が、俺の方をまっすぐ見て言う。 「お前、幼馴染なんだろう。あいつの努力はお前が一番知っているんじゃないのか」  幼馴染という立場の俺は、拓のことを一番知っているはずだった。一番の理解者であるはずだったのに。拓のこと、何にもわかっていなかったのかもしれない。 「すみません、入ります」  声に驚いて振り向くと、鋭い光が目に飛び込んできた。ぼんやりとした柔らかい朱色じゃなくて、太陽と炎を混ぜ合わせたような激しい色。とても目を開けていられなくて、何度も瞬きをする。背後からの夕陽も相まって、眩しくてたまらない。拓が今にも燃えてしまうんじゃないかってくらい激しく光っている。 「拓!」  俺は、拓の腕を掴んで部室から飛び出した。正門を抜けて、拓と走る。息が切れるまで走った頃には、あたりはもう真っ暗になっていた。  誰もいない、街灯もわずかしかない公園の中で、拓の姿だけがはっきりと浮かんで見える。いつの間にか光は随分と弱まっているけれど、柔らかくて温かさを感じる輝き方をしている。 「皆んなに光ってるのバレたかな」 「どうだろうね。でもバレたって俺は気にしないよ」 「お前はさすがだな……」  いつでも前向きで、弱音なんて吐かない。何か起こっても、拓なら大丈夫なんじゃないかって思わせてしまう。 「俺、拓みたいになりたいな。拓みたいに、レギュラーメンバーになってグラウンドです走り回りたいな」 「俺みたいにならなくてもいいんだよ。自分らしく頑張れば。お前ならやれるよ」  力強い言葉だ。ずっと傍にいた幼馴染の心からの言葉。なんだってできる気がしてくる。 「ほら、握手」  拓が手を差し出してきた。照れ臭くてたまらなかったけれど、俺は拓の手を取る。 「がんばろうな」  決意を込めて、手に力を込める。拓の光のせいで、俺の手も赤みを帯びて光っているように見えた。  拓の体は今でも時々光る。けれど、いずれ消えるだろうな、と思う。光ったとしても、薄くてほとんど分からない程度で、もう俺は、拓の体が光ること忘れてしまいそうになっていた。  ある日、俺はミーティング後に顧問に呼ばれた。俺もグラウンドのメンバーと混じって練習しろ、とのことだった。筋トレを始めようとしている同級生に背を向けて、拓と走り出す。めいっぱい、全力で駆け抜ける。  同じグラウンドの上にいても、拓は今日もキラキラと輝いて、眩しかった。
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