36人が本棚に入れています
本棚に追加
2
その日は珍しく定時で仕事が終わった。帰ってビールでも飲むか、と思っていた矢先、谷口さんに呼び止められた。
「ジロさん、今日これから空いてますか?」
「特に何もないけど」
「ご飯食べに行きません?」
「じゃ、みんなにも声かけるか」
「いや!みんな忙しいらしくて!ジロさんなら暇かなって!」
だいぶ失礼な事言われた気もするけど、きっと悪気はないんだろう。
「美山、誘おうか?」
「え?いや!いいですいいです!!二人で行きましょう!」
谷口さんは真っ赤な顔で俺の腕をぐいぐい引っ張ってくる。
大方、美山の事を何か聞き出したいんだろう。人気者の美山の事を同性に相談できない気持ちはわかる。口に出してはいえない恋。そういう点では俺と谷口さんは同士だ。残念ながらふたりとも報われないのがなんとも切ない。
良い店見つけたんです、と言われて付いていった先は、ちょっと洒落た感じのイタリアンだった。数品頼んで二人でシェアする形にした。考えてみれば、谷口さんと外でご飯を食べるのは初めてだ。食堂で一緒になる事もあるから違和感はないけど、改めて考えるとこういうのってデートみたいだな、と思った。
谷口さんはサラダを取り分けてくれたり、注文を取ってくれたり、ワインを注いでくれたり、後輩らしく頑張ってくれていた。でもよそう時にこぼしたり、注文で噛みまくったりと、ありとあらゆる場面でドジを踏んでいた。谷口さんの何事にも一生懸命な所とか、ちょっとドジな所とか、小動物のような仕草とかは可愛いらしいし、一緒にいて楽しい。素直に良い子だなと思う。だから谷口さんの事を知れば知るほど、美山の事を黙っているのがなんだか騙しているみたいで気が引けた。かと言って本当の事は絶対言えるはずがないけれど。
谷口さんは「友達に聞けと言われて!」を免罪符に美山の事をいろいろと聞き出した。好きな食べ物とか趣味とか、そういうことを。好きな女性のタイプを聞かれた時が一番困った。適当に答える訳にはいかないので、今度聞いておくよと約束してその場は収めた。
そういう事があって、俺は美山に聞いてみたのだ。「どういう人がタイプ?」と。
いつも行く居酒屋の向かいの席で美山は片眉を上げて俺を見る。なんでそんなことを聞くんだ?という顔で。
「いやさ、ちょっと聞いてみたくて」
「ヤジがそういうこと聞いてくると思わなかった」
美山は俺のことをヤジ、と呼ぶ。谷口さんも美山もたった一言を短縮する。どうして二人ともちゃんと呼んでくれないんだ?
「俺だってたまにはこういう話もする」
つまみの枝豆を鞘から取り出しながら言う。
「タイプとかないんだよなぁ。好きになった人がタイプだよ。わかんない」
ぶっきらぼうな態度でそう言うと、美山も枝豆を手に取る。
「じゃあ前の……」
そこまで言って口を噤んだ。前の彼氏はどんな人だった?と言いそうになった。別れたばかりだというのに、思い出させてどうする。ちらりと美山の方に目を向けると、口元に笑みを浮かべていた。
気にしなくていいよ、と言う美山の笑顔にはまだ少し影があって、それが俺の心をチクチク刺した。無理をさせてるんじゃないだろうか。気を使わせてしまったんじゃないだろうかと心配になる。
「前の彼氏はね、優しくてちょっと子供っぽくて、あとは……たこ焼き作るのが上手だったな」
「たこ焼き?」
「関西の人だったから」
ということはきっと、彼氏の家で作って食べたりしたのか。あの日の俺達みたいに顔を付き合わせて。その光景を想像すると、なんだか無性に腹が立った。いや、腹を立てるというか、これは嫉妬というやつかもしれない。
その後はどんな反応をしていいのかわからなくなった。前の彼氏がどうだったかなんて聞くもんじゃない、そう思った。結局やり場のない気持ちに押し潰されそうになるだけだ。美山が他の誰かと一緒にいる所を想像しただけで面白くない。
「生ください!」
沈黙を打ち破るように美山が叫んだ。はっと我に返って美山を見る。
「ヤジ、子供みたい」
頬杖をついて俺の方のテーブルを指差す。指の先には分解された枝豆の鞘がまるで俺の心よろしく散らばっていた。
最初のコメントを投稿しよう!