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 それからまた何日か過ぎて、美山の調子もようやく元に戻ってきていた。それでも美山から漂うほのかな憂いを、女子達は敏感に察知して前よりセクシーになっただのなんだのと盛り上がっていた。それは確かに俺の目から見ても明らかで、爽やかさに隠されていた色気ってやつが、ここの所だだ漏れなのだ。元気になったのは良いことだけど、内心好きなヤツでもできたのかと俺の心は複雑だ。 「ヤジ、今度の日曜空いてるか?」  就業時間も迫ってくると、外回りの営業なんて少なからず男の臭気を放つものだが、美山はいつでもいい匂いがする。香水とは違う、例えるなら洗いたての洗濯物のような、えらくさっぱりとした清潔な匂い。 「空いてるけど」 「じゃあ池袋で待ち合わせな」 「何すんだよ」  美山はいいからいいから、と理由を話そうともせず、その場を立ち去った。休みの日に男二人で何をしようというのか。買い物ならそう言えばいいし、何を企んでるんだろう。  日曜、前日に来たメールに書いてあった通り、池袋のモニュメントに12時に到着した。  もうすぐ夏になる。陽射しは強く、モニュメントの近くには日陰がない。いつまでもここにいたら暑さで茹だりそうだった。 「ジロさん」  突然声をかけられた。聞き慣れた声がする方へ顔を向けると、そこには薄いブルーのワンピースを着た谷口さんが微笑んでいた。いつもはストレートの髪が今日はふわふわと巻いてある。会社にいる時と雰囲気が全然違うから一瞬誰だかわからなかった。 「遅れてすみません」  谷口さんはそういって頭を下げた。 「遅れて、って……。俺は今日、美山に呼び出されて、ここで待ち合わせてるんだけど」 「私も美山さんに……。まだ来てないんですか?」  そこでスマホに着信が入る。美山だ。 「おい、今どこにいる」 「今日は二人でデートしなさい」 「はぁ!?」 「じゃ、頑張れよ」  言うだけ言って、一方的に電話を切られる。俺はというと、谷口さんが不憫で仕方がなかった。美山は何を勘違いしているんだ。谷口さんが俺とデートしたがるわけないだろう。お前のことが好きなのに。 「美山さんですか?」 「あぁ、その、今日来れなくなったって」 「そう……ですか」  あからさまにシュンとして見える谷口さんに心が折れそうになる。 「ごめんなぁ。美山いないんじゃ谷口さんも来た意味ないよな」 「え!?なんでですか?」 「なんでって……」  まさか俺が気付いてないと思ってるのか?谷口さんが美山を好きなのなんて見てればわかるのに。 「あの、これ美山さんから預かってるんですけど……」  谷口さんは掛けていたショルダーバッグの中を探って封筒を取り出した。コンビニなどでチケットを発券する時に入れてもらうような真っ白の封筒だ。 「落ち合うまで中身は見ないでって言われてて」  二人で目を見合わせてから、封筒の中身を確認すると、近くのプラネタリウムのチケットが二枚入っていた。  谷口さんは、そういうことかぁ、とぽそっと呟いて困ったように笑った。  いくら美山が谷口さんからの好意に気付いてないとはいえ、この仕打ちはひどい。好きな人に誘われて来てみれば、全然違う相手が待っていたうえに、強制的にデートさせられるはめになるとは。悲しみを通り越して激怒するんじゃなかろうか。 「せっかくだし行きましょう。チケット勿体ないですし」  俺の心配をよそに、谷口さんは行く気になっているらしい。強がっているのか、それともヤケになっているのかわからないが、谷口さんはスタスタ歩きだしてしまった。 「あの、谷口さん、ごめんな」  意外と早足の谷口さんに追いついてから声を掛けた。 「なんでジロさんが謝るんですか?上映までまだ時間ありますし、何か食べましょっか」  谷口さんはいつものようににっこりと微笑んだ。  その日一日、谷口さんは努めて明るく振舞っていた。本当は泣き出したっておかしくないくらいなのに、文句一つ言わずに楽しそうにしていた。  軽く食事をした後、街をぷらぷらしてプラネタリウムを見終わる頃にはだいぶ日が傾いていた。谷口さんは最後に行きたいところがある、と俺を連れ出した。  連れ出された先は、とあるデパートの屋上でガーデンショップや飲食店もある。奥に進むと人工池があり、蓮の花が幻想的にライトアップされていた。 「ここ、来てみたかったんです!」 「へぇ、綺麗だな。屋上がこんな風になってるなんて知らなかった」  穴場ですよね、と谷口さんは嬉しそうに笑った。本当は美山とここに来たかったんだろうな。今日を楽しみに下調べしていたのかと思うと胸が痛い。なんで隣にいるのが俺なんだろう。  目の前に広がる睡蓮の池があまりにも綺麗で、申し訳なさに拍車がかかる。俺はつい、本日三度目の謝罪をしてしまった。 「谷口さん、本当に今日はごめんな」 「だから、なんでジロさんが謝るんです?」  谷口さんはそう言って笑ったけれど、泣くのを堪えてでもいるかのように、声が震えていた。 「だって、本当は美山と来たかっただろ?ここだって、本当なら美山と一緒に……」  気が付くと、谷口さんの瞳からはポロポロと涙が零れ落ちていた。 「ご、ごめん!」 「謝らないでください。謝られると余計、辛い……」  肩を震わせ、声を押し殺して泣く谷口さんに、何と声をかけていいかわからない。 「私、ジロさんと来たかったんですよ?今日だって、二人でずっと一緒にいられて楽しかったです」  谷口さんはしゃくりをあげながら言った。 「なんで?だって谷口さんは美山のこと……」 「違います!私が好きなのはジロさんなんです!」  谷口さんが今まで聞いた事がないくらい声を張り上げて言った。周りにいる人達が苦笑いを浮かべながら通り過ぎていく。 「私なんて眼中にないってわかってたから言わないつもりだったのに。もう、ジロさんニブ過ぎ!」 「それは、申し訳ない……」 「いいんです。そういう所もジロさんの良い所なんで」  谷口さんはバッグからポケットティッシュを取り出して、鼻をかんだ。 「あとジロさんに好きな人がいることもわかってるので、返事とかもいいですから」  そういって谷口さんはじろっと俺を睨んだ。 「へ?えっ!?なんで!?」 「見てればわかりますよ、そのくらい」  まさかバレていたとは。というか一体どこまで気付かれてるんだ? 「でも、もういいんです。なんだか言ったらスッキリしたし、今日は一日楽しかったです。ありがとうございました」  谷口さんは涙で潤んだ瞳のまま、いつものようににっこりと微笑んだ。
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