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デジタル美少女ボイスに当惑しているとドアが開いた。出てきたのは美少女ではなく、紫のショートスパッツを履いた上裸の筋肉美青年だ。
「ふ、藤さん、なんですか今の」
「おまえが悦ぶと思ってインターホンの音を変えたんだ。どうだ、テンション上がったか?」
むしろ下がった。尚太郎が黙りこくっていると、藤は明るい色の髪をかき上げてくすりと笑った。
「そうか、女の子の声では不満か。やはりメイド服を着た俺に『おかえりなさいませご主人様』して欲しかったんだな。ったく、欲しがりな奴め」
「ち、違います!」
「はいはいわかったわかった。今度そういう気分のときに着てやるから。とりあえず入れ」
強引に腕を引っ張られて室内に入った尚太郎は、目を丸くした。
広いリビングには、ソファもテーブルもテレビもない代わりに、ジャングルジムを彷彿とさせる大きなマシンがどっしりと鎮座していた。中央下に配置された黒いシートを囲うように配された鉄筋フレームには、ロープや取っ手や金具などがごちゃごちゃと付いている。
藤は自慢げに胸を張った。
「Kフィットネスが開発したマルチパワーラックだ。これ一台で、スミスマシン、ベンチプレス、ラットプル、Tバーロウ、ケーブルマシン、バイセッブカール、トライセッププレスダウン、チンニング、ディップス、レッグプレスその他もろもろの種目ができる」
呪文にしか聞こえない言葉を聞き流して、尚太郎は壁際のラックを見た。そこにはプレートやダンベルがきっちりと整理して置かれている。
男の部屋、それも汗を流す場であるのに不潔感がないのは、清掃が行き届いているからだろう。床にはホコリ一つなく、マシンも使い込まれた感はあるもののシートや金具は艶やかに光っており、大事に手入れされていることがうかがえる。
漂う匂いも爽やかだ。見れば、部屋の隅に空気清浄機とアロマディフューザーが置かれている。
「いい匂いですね」
「グレープフルーツの香りだ。嗅ぐだけで脂肪燃焼効果がある」
「へぇ」
きょろきょろと室内を見回す尚太郎に、藤はボトルを差し出してきた。
「ほれ、ウェルカムドリンクだ。飲め」
「あ、ありがとうございます。これ、なんですか?」
「身体を構成し筋肉の材料になる20種類のアミノ酸が入った筋粉だ」
「は?」
「通称プロテイン。語源はラテン語もしくは古代ギリシャ語で、『一番大事なもの』って意味だ」
「……いただきます」
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