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「もういいですよ」の声を聞くや否やバーベルをラックに戻し、その場にべしゃりと倒れ込む。
「ふぅ~はぁ~~、ふぅぅ~~はぁぁぁ~~……」フルマラソンを走ったあとの走者さながらに激しい呼吸を繰り返す尚太郎に、補助するどころか壁一面に取り付けられた鏡に向かってポーズを取っていた藤は、鏡ごしに微笑んだ。
「今日は初日ですので、このくらいにしておきましょう」
「は、はひぃぃ」
もはや声になってない声で返事をした尚太郎は、鏡に向かって様々な角度で様々なポーズをとっている上裸の藤をぼんやりと見上げた。
(この人はなにをしているんだろう。……いや、なんでもいい。やっと鬼のしごきから解放されたんだ。早く帰ろう)
そろり、床を這いずっていく。脚はがくがくするが立てないほどではない。しかし立ち上がって歩く姿を見た藤が心変わりして新たな試練を与えてくるかもしれない恐怖心から匍匐前進を選んだ。そろり、そろり、ずるり……
(ん? なんか尻がすーすーする。なんだ?)
後ろを振り向くと、白い布が見えた。雄大にそびえる双子山を包むあの布は、ふくよか男子のための通販サイト「ビッグドリー男」のお得意様対象セールで買った3枚1500円の白ブリーフだ。お財布にやさしいだけでなく、通気性に優れた上質な木綿地は、汗でかぶれやすいデリケートなお肌にもやさしい。
「おっと、申し訳ございません、床に倒れていらっしゃったので、引き起こそうとしたらジャージが脱げてしまい……ぶふっ!」
口を押さえて腹直筋を激しく痙攣させる藤を見上げ、尚太郎はのっそりと上体を起こした。太腿までずり下がったジャージをぐいっと腹まで引き上げる。その耳は真っ赤だ。恥ずかしさもあるが、それより怒りが勝っている。
――豚には服なんかいらねーだろ、脱げよ!
小学6年のときのクラスメートの声が耳に蘇る。
どうして彼らは、ああも残酷な言動ができたのだろう。尚太郎はただ太っているだけだ。悪いことなんかしていない。
(なのにどうして服を脱がされなきゃいけないんだ!)
ようやく笑い止んだ藤を、ぎろりと睨み上げる。
(このひとも、あいつらと同じだ)
これだけ優れた容姿ならおそらくスクールカースト上位に君臨し続けてきたのだろう。そんな人間にとって、下位である自分など、蔑みの対象、もしくは滑稽なおもちゃなのだ。
「さぁ、立ってください」
差し出された手を、尚太郎はパシッと払いのけた。
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