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翌日、尚太郎がトレーニングウェアに着替えているあいだ、藤はアジャストベンチ(背もたれと座面の角度を変えられるベンチ)に座って、タブレットを見ていた。 (藤さん、すごくうっとりしてる……何見てるんだろう?) 着替えを済ませた尚太郎は、後ろからそっとタブレットを覗き込んだ。 (あれ、楠木会長だ) Kフィットネス会長の楠木が映っている。ぴしっとスーツを着て、どこかの施設内らしい通路を歩いている。 尚太郎の覗きに気づいた藤が、説明してくれる。 「これはKフィットネスの動画チャンネルで、いま再生してるのは昨日クウェートで撮影されたものだ」 会長の背景には、たしかにアラビア語の案内表示板が見える。 「中東は男らしさを是とする風潮があるから身体を鍛えることにも積極的で、Kフィットネス製品の愛用者も多い。そして彼らの多くがミスターパーフェクトに憧れを抱いている。そのひとりであるクウェートシティのジムオーナーが、会長にぜひ来て欲しいってオファーしてきたんだ」 「へぇ」 会長がドアを開けた。とたんに、 『フォアァァァーーー!』 野太い歓声があがった。 その部屋はおそらくトレーニングルームなのだろう。マシンがかすかに見える。だが画面の大部分はおびただしい数のマッチョで埋まっている。はっきりした顔立ちのアラブ系マッチョたちが、目をきらきらと輝かせて、会長に群がっている。 『クスノキーー!』『サムライマチョーー!』 「ああ、マッチョは世界のアイドルだ」 藤の恍惚としたつぶやきの直後、会長が動いた。ゆっくりと、モストマスキュラーポーズ(手の甲を下にした両拳を、腹の前で合わせるようなポーズ)をとる。肩と腕と胸が信じられないほど膨れ上がり、限界を超えたスーツがパン! と破裂した。ひらひらと舞い散る布吹雪をかぶりながら、アラブ系マッチョたちも涙を浮かべて同じようにポーズをとる。 「彼らの心は通じ合い、熱く絡み合い、切磋琢磨して、まばゆい閃光が放たれている……!」 藤が感極まったように天を仰いだ。 「ああ、筋肉は言語を超える!」 「あの、藤さん……」 「あああ感動した! 鳥肌立ちすぎて鳥になっちまった! 筋肉の翼でフライハイ!」 「ちょ、落ち着いて! 怖い! なんか怖いですっ!」 ベンチの上で飛び跳ねる藤をなんとか鎮めた尚太郎は、ドタバタの拍子に床に落ちたタブレットを拾い上げた。 落下の衝撃で先ほどの動画は停止し、Kフィットネスチャンネルの動画一覧ページに切り替わっている。かなりの本数があるなかで、尚太郎の目は、『筋断のF』と銘打たれたピンク色のサムネイルに惹き付けられた。いかがわしげなものに反応してしまうのは童貞の悲しい性かもしれない。しかしその動画に惹き付けられたのは尚太郎だけではないようだ。6本ある『筋断のF』シリーズはどれも再生回数100万超えしている。 「あ、あの、この『筋断のF』って何ですか?」 「俺の動画」 「え!?」
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