はじまりはじまり

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そんな折、ひとりの少女が、彼女のまえに現れた。 少女は彼女にそっとふれると、 「どうして泣いてるの」 と、彼女にそっと語りかけた。 少女のそのことばに、ふっ彼女の涙が止まった。 そして、彼女は少女にそっと語りかけた。 「私は、孤独なのです」 「こどく?」 少女が不思議そうにそうたずねた。 「そう、孤独、ひとりぼっちなのです」 「ひとりぼっちなの?」 少女は彼女を見上げながら不思議そうにつぶやいた。 「どうして?お日様も、草も、虫さんも、小鳥さんも、みんなみんなそばにいるのに」 彼女はそのことばに、はっと息を止めた。 「風だって、雲だって、ずっとずっと一緒にいるの」 「私には」 彼女はそう少女のことばをさまたげた。 「闇があるのです」 「やみ?」 「そう、それが、とても恐ろしいのです」 「やみは、こわいものなの?」 少女が彼女にそう問いける。 「そう。とても、とてもおそろしいのです」 「なら」 少女が笑顔で彼女に微笑みかけた。 「私が、助けてあげるよ」 少女のその太陽のような笑顔に、彼女は思わず目を細めた。 「あいり」 「まま」 少女の母親だろうか、少女の名前を呼んでいる。 あいりと呼ばれた少女は、彼女に向かって手をふると、母親のほうへと走っていった。 あいりと母親がふたり手をとりながら、彼女のことを見上げていた。 「なつかしいわ」 母親が小さくそうつぶやいた。 「ここで、ぱぱとままは出会ったのよ」 「ここで?」 「そうよ」 少女はそれを聞くと、大きな花のような笑顔を作った。 「聞かせて」 「そうね」 母親は、少女の手を引いて、彼女の足元にゆっくりと歩み寄った。 そしてそこにふたり一緒に腰を下ろした。 彼女のすきまから、木漏れ日がきらきらと舞い落ちる。 「たまたまね、ぱぱとままは同じ時に、偶然、ここに来たのよ」 そう、母親がことばを切り出した。 「全然お互いのことを知らなかったんだけどね。一目で恋に落ちたの」 「そうなの?」 「そう」 母親は、そういうと、彼女を見上げた。 母親の瞳が、彼女をじっと見つめていた。 その瞳の輝きが、彼女の心をきゅっと、つかんだ。 なつかしい。彼女はなぜだか、そう思った。 「それから、一度分かれて、夜にまたここに来たの」 「夜に?」 「そう」 母親がそっと目をつぶるのがわかった。 「星がきれいな夜だったわ」 少女は、母親のそのことばに、空を見上げた。 空はまだ明るく、星はまだいなかった。 けれども少女はじっと空を見つめていた。 「まだ、会って数時間しかたってないけど」 母親はそう小さくつぶやいた。 「ぱぱのことが大好きになったの」 「あいりは、ままが好きだよ」 そういって、少女は母親にそっと寄り添った。 「ままも、あいりのこと大好きよ」 そういって、母親は少女を強く抱きしめた。 「あいりも、夜にきてみたい」 少女は母親にそう告げた。 「また今度ね」 母親はそういって、少女の頭をそっとなでた。 「いつでもこれるわ、だってここに住むんですもの」 「あいりー」 遠くで、少女を呼ぶ男の声がした。 「ぱぱ」 そういって、少女は駆け出した。 それを追って母親も、ゆっくりと彼女の足元から立ち上がった。 そして、彼女にふれ、 「あなたは、変わらず美しい」 そういった。 そして、ゆっくりと少女のあとを追って歩き出した。 「またくるね」 少女が遠くから彼女に対し、大きくそう言った。 彼女はまたひとり取り残された。そして、日が沈んだ。 やがて、闇が、彼女のまわりに立ち込めてきた。 けれど、不思議と彼女は、こわくなかった。 闇が、地平線から波打って現れたとき、彼女の子供たちはまた目覚め、武器を手に取り臨戦態勢をとった。 母親を必ず守らねばならなかった。 子供たちは、母親の葉を矢にかえ、弓を胎内から受け取ると、一斉に放った。 その攻撃は、闇に届く。 しかし、闇はかわらず、地平線に波打って、 今にもこちらにおしよせてきそうだった。 「おかあさま」 彼女の子供のひとりが声をあげた。 「おかあさま」 それに呼応するように、また子供が声をあげた。 けれど彼女は恐れなかった。 確かに感じていた。 少女のことを。 きっとあの子がきてくれる。 きっと、あの子はきてくれるに違いない。 そして、私たちをきっと、救ってくださる。 そして、少女が彼女の前に現れた。 少女はゆっくりと彼女に歩み寄り、そして彼女を見上げた。 少女の大きな瞳が、きらきらと彼女を見つめていた。 「こわくないよ」 少女はそういって、ゆっくりと地平線を見つめた。 地平線には闇が、今にも彼女におそいかかろうと、舌なめずりをしている。 「一緒にいよう」 少女が、彼女にふれながら、地平線に向かってつぶやいた。 「おまえは、変わらず美しい」 少女の声にあわせ、子供たちがいっせいに、矢を放った。 その矢は地平線に次々と広がっていった。 闇が、どんどんと地平線の向こうへと後退していくのが彼女には見えた。 少女は、彼女の足元で小さな腕をめいっぱい広げた。 そして、 「もう、彼女をきずつけないで」 そういった。 その声に、闇の動きが止まった。 そして子供たちも、静かに攻撃の手を止めた。 闇はもう一度だけ大きくうねりを上げると、静かに、地平線の彼方へと消えていった。 そして、彼女の頭上には美しく、星が輝きだした。 彼女の耳に、星たちのおしゃべりの声が聞こえてきた。 「大丈夫だったかい?」 その声は、確かに彼女のことを心配していた。 「よかった、ずっとずっと心配だったんだよ」 星の声が彼女に届いた。 星たちがいま、彼女のことを見つめていた。 「大丈夫?」 風が、彼女にそう問いかけた。 「心配していたのよ、ずっと」 「そうよ、そうよ」 風が顔をみあわせ、彼女を見つめた。 そのことばに、彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちた。 それは大粒となり、どんどんと止むことなく、地面に流れていった。 「大丈夫?」 ほかの風たちも次々に彼女に声をかけては、吹き去って行った。 草も、虫も、鳥たちも、彼女にたくさんの声をかけた。 そのことばの存在を、彼女はすっかり忘れていた。 はるか昔、彼女がまだ生まれたばかりのころ、多くのものたちが、多くのことばを、彼女に投げかけてくれたという事実を。 彼女はそれを思い出し、また大粒の涙を流した。 闇が去ることで、彼女は、闇がおおいかくしていたものを思い出した。 彼女の流した涙は、彼女のからだをつたい、やがてゆっくりと大地にしみこんでいった。 その涙は、透き通り、透明で、月の光をあび、美しく輝いていた。 「一緒にいてやれなくて、本当にすまないと思っている」 少女がそう彼女につぶやいた。 「ひいおじいちゃんが言ってたの」 「ひいおじいちゃん?」 「そうよ。私のゆめのなかで」 ゆめの中。 彼女はそのことばを頭のなかで繰り返した。 「そのことを伝えてほしいって」 そういって少女は彼女に微笑んだ。 なつかしい、笑顔だった。 その笑顔に、彼女のほほは、自然と微笑を作っていた。 そして彼女は、少女に微笑み返した。 「おまえは、変わらず美しい」 少女は大きな瞳をかがやかせ、そういった。 「ひいおじいちゃんが、ずっと言ってたことばだよ」 彼女はその笑顔に、遠いむかしに出会った男のことを思い出した。 「おまえは、変わらず美しい」 そういって、微笑んでくれた、男のことを。 彼女の子供たちが、笑顔で姿を消した。 少女もまた、彼女に手をふると、ひとり地平線の向こうに消えていった。 彼女はそれをしっかりと目に焼き付けた。 いつまでも変わらない、いとしいその姿を。 彼女はまたひとりになった。 けれど、星のささやきが、風の声が、虫たちの歌が、草木のざわめきが、彼女の耳にたくさん、響いてきた。 それはさわがしいほどに、彼女の耳に響いてきた。 ちっとも、寂しくなどなかった。 ちっとも、彼女は孤独ではなかった。 彼女はゆっくりと目を閉じた。心地よい夜だった。 それを星たちが、風が、草木が、大地が静かに見守っていた。 そして、日が昇る。 その朝の日差しが、彼女のひとみにまぶしく突き刺さった。 太陽がおおきくあくびをしているのが、彼女にはわかった。 彼女のまえを何度、日は昇り、そして沈んでいっただろうか。 その光が、今日は彼女に告げていた。 何か、とても素敵なことが起こるだろうと。 そんな予感がした。
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