Q. 証明を完了した式を問い続ける意義とは

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 世界の姿とは幾何学だった。  だから人は、何かを造るときには単純な図形を組み込む。或いは抽象的なものを象ったとき、それは数学的な極致を描くから美しいのだ。複雑怪奇な計算の上、成り立った解のかたちが安定していることに驚き、安堵し、ときめくのを、人は「美しい」と言った。不安定と、不協和音と形容しているものですら、美しいと言えたのは式を理解していないだけだった。  むしろ式を理解できないのにそのように思えるのは一種の神秘だったと“彼”は思う。否、その定義すら彼がつくったものだったけれども、複雑な美を「不安定」だと、ときに「欠損がある」とまで言い、かつ「美しい」と評価できるその矛盾が面白かった。中にはその不理解により美を見落とすものすらいたのも興味深い。その全て、彼の描いた式の多様性に違いなかったけれども。  まるで幻想のような、幻影のような、彼らの「常識」「文化」「社会」「哲学」………。そこに温度を与えるのはいつも人だった。そこから熱を感じ取るのも、人だ。名前を付け、共有し、共感しあい、価値を付す。真実と断じ強要する者もあれば、無価値と一蹴し弾圧する者もあった。そのすがたの空虚に中身を詰めるのは自分たちだというのに、またその詰め込んだ式すらも(ほど)けず苦悩し、さらに観念的な理由を求めてみせる。途方もなかった。無駄が多くて、徒労も数多あった。よく続くものだと、創造者でありながら呆れもした。―――そんなことを「想起」するのは、いったいなぜだろう。  世界の姿とは幾何学だった。すべては数字と式で表すことができた。“彼”こそがその証明で、それ以外には何もなかった。それを複雑に組み合わせて遊ぶことだけが“彼”のすべてであり、使命であり、また存在の行使、もしくは手段であった。  その遊びの一環で、思考する生物の誕生する場所をつくり、そして数多の式を解き明かしていくさまを観測した。宇宙が生まれ、星に水が湧き、太陽と月の引力で呼吸をするその聖地で、思考する生物はうまれた。彼らは試行と失敗を繰り返し、その中で式を学び、そして思考しつづけた。文明を築き繁栄と衰退の果てで、愛を育んでいったのを……“彼”はほんの少しの時間、眺めていただけだったのだ。  真理を追い求める彼らの最高傑作。その片方が“彼”を見つけ、もう片方が“彼”を名付けた。そして滅びゆく聖地を救うために、“彼”に会いに来た。  彼がひとのかたちをとったのはそのたった一度だけだった。ひとの言語を話し、目を細めたり、すこし微笑んだりしてみせたのも、そのときだけだ。あの双子に認識されてやるために表現しただけのその仮の肉体の感覚を、どうしてか“彼”は今もなお保っている。 (これは、まるで、彼らが“私”を産み出したようだ)  “彼”は世界そのもののはずだった。今はそうだとは形容し難いのを、「ずっと」「不思議に」思っている。時間さえ、かつては組み上がった式であり、いつだって解けたのに、“彼”の中では永久に続く。「真白い」「空間」だった。“彼”は「そこ」に「ひとり」だった。 ―――私たちは、どうなるの?  繋いだてのひら。その相互作用の効果を眺めながら、それさえ式だ、と思い直したのを「憶えて」いる。  彼らはこれをゲームと称し、勝利と敗退のあるものと信じていた。“彼”はこれを演算と「信じ」、解のあるものと定義付けていたのだから求められている回答とほぼ相違ない。というより、この演算の終了を迎えていたそのときには多少の齟齬など問題にするまでもなかった。すべてが無に帰す、数分の前では。  けれど、物理的なものが消滅した今になっても続くままの式がある。彼らの、遺物のようだった。これは“彼”の「選んだ」ことだったのだろうか?  それとも、「望んだ」ことだったのか。  一縷の希みを掛けてやってきた、人類の解。その二人の名前を“彼”は憶えている。  そっと、「指先」を。  波紋のような信号に数多の問い。  最後に「笑みとともにこぼした」。  私の敗けだよ、と。 「redo……」  ―――そうして今再び、宇宙が広がるところから演算は始まったのである。  偉大なる双子の誕生を目指して。
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