Q. 人類は摂理にどこまで抗うことができるか

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「よく来たね」  白い部屋だった。彼は一人椅子に座っており、目の盲いた者のような雰囲気で振り返らない。その方向には複数のディスプレイが等しく青い星を映し出していた。  レトロな演出、とヒコが頭の中で呟くと、それを彼が笑った。考えることはお見通し。(レトロな設定。)  隣でクコがヒューヒュー息を鳴らし始めたので本題に入ることにする。 「あなたが、」 「自然の摂理。」 「もしくは神と呼ばれる者」  言葉は沈黙の中に転がった。返事はない。その代わりに彼がゆったりと立ち上がった。巻いただけにも見えるシルク質の衣服が水のように流れる。髪もまた、海の煌きを角度を変えて表現する。今までこの流れが滞っていたのだと考えると、酷く勿体無く思えた。硝子細工のようなその容貌は、かつてプラトンが唱えた美のイデアを連想させる。 「Gemini(ジェミニ)——世界を理解するには相応しいね」  笑みを湛えた唇がそう言った。彼が言う通り、ヒコとクコは双子だからこそここに呼ばれることが出来たのだろう。人間は完全な存在に成り得ない。ある方面に長けていればその分失われるものがある。不足分を埋められるのは対となる存在だ。  それにしても、双子座(ジェミニ)とは——面白い呼び方をしてくれる。人の文化にある観念の名を口にするなど。小莫迦にしているとしか思えない。まあ彼からしてみれば弱小な人類が手元にある材料から空想を発展させて幻想を紡いでいくのが興味深かったのだろう。と、脳内で自己完結しても彼の異論は聞こえなかったので、ひとつ前の発言に返した。 「それはどうも。」 「実に素晴らしかったよ。君達は私が作り上げた式と情を、総て証明してみせた。ちなみに君達は今眠っているが、どのように私と会っているかわかるかい?」 「夢ね。あなたに会ってやろうという私達の心理状況を利用している。場所のイメージは私達の持つ共通の像から選出したでしょう」と、ヒコが言った。 「レム睡眠の脳波の内この次元を形成している電位と同調するものを選出し、受信している。故にワタシはアナタの視覚情報を得られるが、アナタはそうでない」と、クコが言った。 「ではこの次元とは?」 「六次元である」 「素晴らしい。」  充ち足りた表情で手を叩く。これが、彼の敷いた『ゲーム』の結果だからだろう。勝者は恐らく人類。だがヒコはちっとも嬉しくなどなかった。 「確認するわ。あなたはゲームをしているの?」 「その通りだよ。君達が思っている通りのゲームだ」  それは創造主の退屈凌ぎ。知能の欠けた自分の分身を、ある定理で組み立てた「世界」に放ち、果たしてそれが創造主の頭脳に追いつくのか。  追いつけば人類の勝ち。そうでなければ彼の勝ち。  歴史に綴られるように、人々の知能は進化していった。火を使い、言葉を操り、海を渡り、世界を把握し。電気や元素の存在に気付き、それらを利用して生活した。  また、哲学も成長していった。故人の唱えた警論が大衆に浸透していくと、また新たな至論が生まれる。そうして人類全体の考えを掘り下げていったのだ。  ヒコはその極致。クコは前者の極致。  つまりはヒコとクコが、人類の出した答えとなったのだった。 「見事にヒトは私とのゲームに勝った。」  言わなくていいことを、彼は敢えて口に出して告げた。それを聞いたヒコは隠すことなく嫌な顔を見せ、同時にクコが「あー」と呻き出す。  全く愉快そうな様子の「神様」に、ヒコは嫌味っぽく事実を述べた。 「そのヒトは、最早絶滅したに等しいですけれどね」  棘を含んだ声音に、彼は何も言わずスッと目を細めた。両者の間には言葉は生まれず、ただクコの呻きが部屋の音になっていた。  その呻きが激しい咳に変わり、前屈みになったクコの肌が熟成したピーマンのように赤くなっていくのを視界の端に見た。ヒコの、クコと繋いでいる手が震える。 「“デルタ”に感染しているね」  瞳を閉じて、静かに呟いた。  デルタ。地球上で最悪とされた、ウイルス性の感染症である。感染経路は空気感染と血液感染。潜伏期間は一週間。発病してから死に到るまでは、およそ30時間。寒冷な気温は好まないが、温暖化の止められなかった地球はデルタウイルスの巣窟になるのに時間を要さなかった。 「君の意識の中に、この子の感染を認めている所が見当たらなかった。ここに来るまではね。だから君の『夢』に彼の症状が表れなかった訳だけれど…、もういいのかい?」 「いいわけないでしょう? でも…時間が、」  クコが感染してから、もう20時間は優に越えている。治療法を見つけなければいけない。その為には、どんなに嫌でも感染を認めなければならなかった。  彼は味わい深い音楽を聴くように再び目を閉じた。長い間そうしていたが、やがて囁く程度の声で「治療法を考えるときの公式があるね」と言った。 「“デルタ”でこの式を立てたときの解を言えるかい?」 「解なし」  即座にクコが答え、「正解だ」と彼が告ぐ。 「治療法は本より『ない』。感染してしまったら最後だよ」  そんなことは、言われなくても知っている。もう一ヶ月も前にクコが出した答えだからだ。『ゲーム』に受身で参加しているヒトには新たな法則を創る手立てなどない。  だからここに来た。世界の再生を乞うために。 「それで…あなたの遊ぶ地球(ゲーム盤)は滅茶苦茶になっているけど、どうするの?」  ゲームは終わった。だから、最後の難問である「デルタウイルス」からの開放を望んでいいはずだ。  そうヒコは考えていた。それ以外の選択肢など、あってはならない。たとえこれが神の遊戯であっても、勝者の言い分を汲み取ることくらい、考えて貰わねば困る。  けれど彼は語った。  はじめからね、 「ゲームが終わったらこの世界は畳むつもりでいたんだ。ヒトさえいなくなれば、デルタも含めて全てがきれいに消える」 「そ……ん、な…」  人類すべてなんて奇麗事を言うつもりはない。ただ一人、半身を救う為にここまで来たのに。  今までにない絶望を感じて眩暈がする。そして、問うても仕方ないことが頭の中を駆け巡った。ずっと隠していたちっぽけな恐怖が煽られ、迫り上げられるのを感じた。 「私達は、どうなるの?」  ついにその疑問が口をついて出た。  消えるのは死と同義だということを分かっている。また、死の先にあるものは零であることも既に理解している。だというのに、そんなチープな問しか出てこない。  言葉という形にしてしまってから、ヒコは後悔した。やめて。どうかこの問に対する答えを言わないで。  創造主は前の問に答えた。 「undo(アンドゥ)」 「0だよ。」  次の瞬間、彼以外のすべてが消え去った。  神の頭脳を持ったふたりの子供の思考は跡形もなく、また彼女らが紐解いていった「世界」は影さえ残さない。  空間という概念が存在しないそこで、彼は静かに『息を吐く』。  ゲームの勝敗を決めるのも遊戯の一環でしかない。ヒトの頭脳が創造主に追いつかなければ創造主の勝ち、  追いついてもヒトを生み出した創造主の勝ちなのだから。
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