嘆きの箱庭の場合

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嘆きの箱庭の場合

その昔、朝霧に黒い太陽が、夜霧に白い月魄が墜ちるばかりだったこの世界に未だ“小城”に王の居らした頃の事。 “料理長”は今よりも引き籠もっておらず、度々書庫で本を読み漁っていたそうだ。 「…。」 “小城”の書庫には奇妙な所があった。 此処ではない何処かについて書かれている本が沢山あるのだ。両手どころか本棚何架か、という量の情報は新鮮かつ貴重なものであった。故に“貴族”は“小城”を独占し、城の外で暮らす“ネズミ”と争ってきたのだ。 「…。」 斯くして“料理長”は本の山を自室へ持ち込み、内一冊をパラパラとめくっていた。城中の者に出す食事の内容を考えるのは、彼の仕事だったから。 「カップ焼きそばだ。」 そうして本の世界に引き籠もっていると、そのうち横からクリーム色の布が現れる。そんな物を被っているのは、“小城”においては1人しか居ない。 「懐かしいな。作ってよ。」 「…月が数回落ちても宜しいなら。」 「良いよ。それ、おやつみたいな物だから。」 唯一無二の“皇帝”ザルードは、それだけ言って部屋から消えた。 本人曰く大魔法使いなのだから、此処から玉座へテレポートするぐらい、簡単な事なのだろう。 (懐かしい、とは何だスか。) 命令を受けた“料理長”は、一抹の疑問を蒲公英の綿毛を吹く様にそっと飛ばしてから、改めて本を読み返した。 (この四角い容れ物がきっと“カップ”なんだスな…プラスチック?  まーた“地球”にしかない材料が出てきただスな…乾麺…キャベツ…  フリーズドライ?麺を凍結乾燥させなければならないだスか??  …これだから陛下はサディストなんだス…) “料理長”はカップ焼きそばに関するページに栞を挟み、早速材料を集めに行った。人に頼む必要もある所は、少々鬱ではあったものの。 それでも陛下が、食べたいと仰るのだから。 ところでこの世界、 其れは果たして何処に存在するのか、遙か空高く聳える煉瓦色の壁に分断された世界が在った。この世界にも嘗ては統治され、花々の咲き乱れること天国の如しと謳われた百花繚乱の時代が有ったと云う。併し、今や世界は砂塵に溺れ、朝霧に黒い太陽が、夜霧に白い月魄が墜ちるばかり。 と後世に書かれるだけの事はある世界だ。 森と、ソレが生み出す飲み水が貴重だった。 (第二区画では物の溶ける雨が降るとか。怖いだス。  そんな世界で生きる“ネズミ”とは一体どういう構造をしている?  …今度生体をバラしてみなければ。) もっと明確に言うと、この世界で緑豊かな土地とは此処、“小城”しかない。 それでも水と薪は、しぶってしぶって使うもの。 (お湯をかけて3分待って…湯を、捨てる?  はああああああああぁ?!) カップ焼きそばを食す過程の中で、せっかく作ったお湯を捨てなければならない…なんて聞いた日には城中が大絶叫だ。 たかが料理1つで厨房と、在庫管理も一手に担ってくれてる“侍従長”と、ライバルで小城至上主義な“宰相”と“皇后”に喧嘩は売りたくない。 いくら何でも分が悪い。 (なんて物作らせるだスかあの人は!!  いっくらワシが陛下贔屓であっても!これは!!無いだス!!!) 斯くしてカップ焼きそばは、作られなかった。 月が3回落ちた後――ドクシャ界風に直せば3日後――皇帝ザルードに出された物とは、だが嘆きの箱庭では十分イレギュラーな、焼きそばだったのだ。 「これ、ただの焼きそば」 「"侍従長"と"宰相"と"皇后"を敵に回す気は無いだスから。  そもそも麺とソースの作り方からして普段と違うだスから。  シーラでは麺とキャベツの凍結乾燥は出来なかっただスから。  カップの原材料に至っては嘆きの箱庭に存在しない物だスから。」 「そうだねぇ。無いねぇプラスチックは。」 皇帝ザルードはスプーンとフォークで――そうだ、この世界に箸はなかった――パスタ風に召した後、“料理長”を手招きした。 「おいしいね。やきそば。」 「其れは良う御座いました。」 先述の通り皇帝はサディストの代名詞だ、強気で言い訳してみたものの、命令に反した日には何をされるか分かったものではない。せめて仮面を叩き割られないよう祈りながら、“料理長”は御前にそっと跪いた。 「いいこいいこ。」 よしよし 「・・・。」 結果はそっと、頭をなでられた。 それから。 「せっかくだしきみも食べてよ。  朕には懐かしく、きみには未知のレシピ。  だがきみの作る料理はなんでも美味しいのだから。」 「…では、御相伴させて頂きます。」 殺戮の世界に、今宵も黒い太陽が昇る。
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