嘘はほどほどに

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嘘はほどほどに

 薄目で画面をスクロールする。さすがInstagram。見ても見ても、美しいものしか出てこない。どうしても罵詈雑言やら鬱々としたものを見たくない時があるけれど、Twitterでそれらの完全回避は困難だ。  まぁ、インスタだって同じか。このアカウントは閲覧用。綺麗なものしか表示されないようフォローするアカウントを慎重に選んだアカウントだ。人付き合いのために動かしているリア垢を覗いたら何が出てくるかわかったもんじゃない。  透明水彩で可憐な花を描いている女性のプロフィール欄からTwitterに飛んだ。特定の人のタイムラインを見るだけなら、見たくないものを見るリスクは最小限に抑えられる。  新作の赤い薔薇の絵。これはインスタでも見た……へぇ、来年個展をするんだ。そこで展示する作品のひとつをお披露目、と。インスタにも同じことが書いてあったのだろうが、文章は見ないようにしていたから今知った。  彼女のフォロー欄から、他の作家さんのタイムラインへ。いいね欄の方が新作だけをピックアップできる点で良いけれど、気分が落ち込むような投稿は目にしたくない。政府とか裁判とか病院とか。そういった投稿を彼女が「いいね」していた記憶はないが、僅かな可能性も切り捨てたいのだ。今は。  水彩色鉛筆でイラストを描く女子高校生。鉛筆一本でなんでも描く男性会社員。たくさんのボールペンで不思議な世界観を生み出す主婦。油絵一筋のおじいさん。どんな画材も自在に使いこなすおばあさん。  様々な人が各々の画風で好きなものを描く。その姿を思い描くだけで幸せな気分になれる。だから私は、絵を見ることが好きだ。  スマホが振動した。画面の上部にLINEのアイコンが出ると同時に横へ流し、見なかったことにする。したかった。 (あぁ、もう。うるさいな)  端末を制服のポケットにしまって、窓の外を眺める。  昨日の放課後から私は一切SNSを見ていない。LINEしてきた彼女はそう思っているだろう。お生憎様。裏垢持ってないのはLINEだけだよ。悪口を言うためのアカウントは持っていないから「裏垢持ってる?」「持ってない」の会話に、嘘はない。  えぇ。嘘はないですとも、私には。 「(れい)の初恋、全力で応援するね!」  一つ目の嘘。まぁ、応援なんて信じてなかったし。別にいい。 「えっ、千晶(ちあき)くんが好きなの!? 男見る目ないねぇ、怜」  二つ目の嘘。男を見る目はありますよ。女を見る目はなかったみたいだけど。  彼女が「千晶くん」と名前で呼んだのも仲が良いからではない。クラスに斎藤くんが二人いるからフルネームが斎藤千晶である彼のことを、クラスメイトみんな名前で呼ぶ。私もそうだ。千晶、と呼び捨てている。 「千晶くんに告白されて、付き合うことになったの。ごめんね。あんまり素敵な告白だったから好きになっちゃって」  三つ目の嘘。これは絶対許さない。  そして今のLINE。何が「体調悪いって聞いたよ。大丈夫?早く元気になってね!」だ。ご丁寧に絵文字やら何やら可愛らしく修飾してくれちゃって。ゴタゴタに飾ったメッセージ送るのは、あんたが告白して付き合い始めた彼氏だけにしろ。  視界を次から次へと流れて行く風景に笑われている気がして、目を逸らす。「なぜそう思った?」自問自答して呆れる。草からネットスラングを連想しただけだ。  ガラガラの車内を暫し眺め、座ることにする。通学時の癖でドアの近くに立っていたが、ここまで空いていればお年寄りに席を譲る必要も痴漢の心配もない。まぁ、背中ともう一辺を壁に向けていても痴漢されるときはされるのだけれど。  不快な記憶を振り払うためSNSに逃げ込む。まだ好きな画家さんのタイムラインをひとつ、見ていなかった。「#彼氏が遺した100の行きたい場所」というハッシュタグで有名になった彼女は、透明水彩で風景や自然を描いている。こんな仕事をしました、と人物の絵を投稿することもあるが頻度はあまり高くない。それでも「いいね」が多く付くのはキャラクターが描かれた絵。キャラクターのファンが付けるのだから仕方ないが、少し悔しく思っている。私は彼女の風景画が大好きだから。  あまりに素敵で、好みで、初めて「絵を購入する」という行動をとった。日雇いバイトでお金を貯めて。購入したのは小さめの絵。桜の絵だ。SNSに上がっている写真より実物の方がずっと美しく、心がとても満たされた。絵は自分の部屋に飾ってある。見る度に癒され、買ってよかったと心底思う。  彼女のタイムラインに大きな変化はない。私が小学生の頃から始めたという「#彼氏が遺した100の行きたい場所」は、先月の日光東照宮で99カ所目を迎えた。次が最後の場所か、と楽しみ半分寂しさ半分で更新を待っている。  今までもハッシュタグと関係ない絵をたくさん描いているから「全部描いたからもう描きません」とはならないはずだけど。それでも、彼女にとって大きな区切りになるだろう。 「私もこれを、区切りにしなきゃね」  小さく呟いてスマホの電源を落とした。  明日の今頃には、千晶に捧げた初恋を心の奥にしまって、親友を名乗っていた女と訣別する。そのために今日は、ちょっとした思い出の場所へ行く。  制服で家を出て、学校に欠席の連絡をして、と大人に嘘もついた。先生には「家の電話壊れてしまっているので何かあったら携帯に連絡ください」と言ったが、どうだろう。今まで優等生として過ごしてきたのだから、たった一日のずる休みくらいは許してほしいな。なんて。  昨日あまり寝れなかったおかげで体調はよくないし。完全にずる休みというわけではない。あぁ、意識したら眠くなってきた。  ……駅に着くまで、目を瞑っていよう。
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