本能

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本能

 やめろ!咄嗟に口より言葉より僕自身の意識より、体が先に動いた。気付いたら僕は佐藤晃の片腕を掴み後ろ手にしていた。 「やめろよ!」  体が動いてから僕は我に帰った。そこでようやくその言葉を声に乗せることができた。何するんだと佐藤は必死に掴まれた左腕を僕から離そうと引っ張るが、僕は絶対離さなかった。こんな力何処から出てるんだろうかなんて考えたりして、妙に僕の頭の中は冷静だった。  僕を振りほどくことを諦め、佐藤は自由の利く、右手で枝をボキッと折った。その瞬間、また僕は頭より先に体が動いた。だがそれは彼の行為を止めようとしていたわけではない。怒り任せの行動だった。  佐藤の左腕を引っ張ってはいけない方向に思い切り引っ張っていた。今度は我に帰ることも無かった。夢うつつとはまた違う。目の前の現実はまた遠い世界のように感じられた。 「何やってるの!やめなさい!」  僕と佐藤を引き離しながら、遠くで溝口先生が叫んでる。いつの間に入ってきたんだろう。僕自身冷静なのか混乱しているのかわからない。何故か僕は今目の前に起きていることに当事者意識が無かった。なんだか眠たい。徐々に意識が遠のいていく。痛い痛いと叫ぶ佐藤、何かを半狂乱で叫ぶ溝口先生。彼らを横目に僕は深い眠りに落ちた。 「順のお父さんはね、弱い人を救い続けてきた正義の味方なんだ。」  気がつくと真っ暗な世界に突如スポットライトが当たって、光の中からしわしわのおじいさんが僕に向かって話しかけてきた。彼は父さんの父さん、祖父からいつも聞かされていた言葉だ。すっかり耳にタコが出来ていた。具体的にそれが何なのか、まだ幼い僕にはわからなかった。とうとうそれを聞くことはできなかった。爺さんは僕が小2の時に亡くなった。スポットライトは消えて辺りは再び真っ暗に戻った。 「せっかくお父さんという素敵な旦那さんがいて、順が生まれたのに、いきなりだよ!別れるって言って順、貴方を捨ててお母さんは出て行ったの!」 暗闇にスポットライトが再び辺り、今度はお婆さんが僕に話しかけてきた。彼女は僕の母の母、母方の祖母だ。当時祖母は酒が入っていたんだろうか?僕に当たるように話をしていたのを覚えている。酒癖が悪く気性の荒い人だった。彼女が白と言えば黒いものも白にされてしまった。祖母はまだ生きている。ただ体調を崩し自立した生活は出来なくなってしまった。今いる母の元に僕を押し付けたのも祖母だ。何故あれほど貶した人の元へ僕を送りつけたのか、理由を生きているうちに聞かなくては。固く誓うが果たして目を覚ましたとき覚えているかと不安になる。  気が付けばスポットライトはいつの間にか消え、目の前は暗闇に戻っていた。
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