4人が本棚に入れています
本棚に追加
1.溝口先生
「佐々木君何でそんなにつっかかっていくの?」
怒りの混じった感情的な声が僕に投げ掛けられる。声の主は溝口先生、僕の入学と同時にこの学校にやってきた新卒の先生で、僕の担任だ。
「なんでわざわざやられに行くようなことを言うの。」
僕が無言でいると溝口先生は責めるように僕を問い詰める。
「だって…。」
喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。この先生には何を言っても無駄だ。まだ溝口先生の詰問は続いたが、僕は耳を塞いで聞こえないようにしていた。
気が付くと先生はいなくなっていて、僕は保健室に1人取り残されていた。どうやら耳を塞いだまま、そのまま眠ってしまったようだった。
どうして僕が責められなくてはいけないのか?納得出来なかった。悪いのは佐藤晃で僕は彼の悪事を正そうとしただけだ。逆上した彼に頬を殴られて僕は倒れこみ、そのまま保健室に運び込まれた。何から何まで悪いのは佐藤の筈だ。褒められる事はあっても、咎められる筈がない。だが溝口先生は僕を責めた。
いつもこうなる。誰も僕をわかってはくれない。わかってもらおうとする努力なんて無駄だ。母さんだって僕の事はわかってくれないんだから。
「わかってもらえる努力をしなさい。」
父方のおばあちゃんの言葉を思い出す。僕は咄嗟に、必死になってそれを振り払った。
「あれ?佐々木君起きた?」
保健室の先生、沢村先生が戻ってきて目を覚ました僕に気付いた。
「溝口先生を呼んでくるね。」
嫌だったけれど拒む事は出来なかった。沢村先生は養護教諭歴も長く、この学校にも10年以上あるベテランだ。溝口先生とは違い不思議な包容力がある。不思議と沢村先生の言う事は受け入れていた。
「佐々木君、目を覚ましたのね。」
溝口先生がやってきた。相変わらず沢村先生とは違いきつい口調だが、さっきよりは幾分落ち着いていた。
「何故あんなことをしたの?」
やはり溝口先生は僕を責める。何故だ?僕にはそれが理解できない。
今朝登校中に佐藤晃は僕の目の前で信号無視をした。僕は咄嗟に携帯を取り出しその様子を撮影した。佐藤はそれに気付くと
「なんだよお前、何してるんだよ!」
僕を睨み、声を荒げて叫び僕の方へ詰め寄ってきた。僕はその声に応える事はなく、カメラモードだった携帯を通話モードに切り替え警察へと通報しようとした。佐藤は尚も何かを叫び更に僕に詰め寄ってきていた。
「急がなくちゃ!」
慌てながらも、1、1、0、と順に押して通話ボタンを押した瞬間だった。僕の頭にとてつもなく強い衝撃を受けたのを覚えている。僕はそこで意識を失った。気が付いた時には此処、学校の保健室に寝かされていた。
「あの後大変だったんだよ。沢山の人に迷惑かけたんだからね。」
意識を失ってから此処に運ばれるまでの経緯を説明していながらも、溝口先生の言葉は常に僕を責めているような気がした。
溝口先生の話によると、僕が受けた衝撃は佐藤晃に殴られた事によるものらしい。幸い学校のすぐ近くだったので同じ学校の生徒が周りに沢山いた。彼等のうちの誰かが先生を呼びに行き、保健室まで運んでくれたそうだ。両膝から崩れ落ちたので、殴られた以外頭に強い衝撃を受ける事はなかったらしい。
溝口先生が心配しているのは此処から先の話。少なくとも僕にはそう聞こえた。佐藤に殴られた時、確かに僕は通話ボタンを押していた。警察へと電話は繋がっていたようだ。通報の電話口に応答がないことを不審に思った警察が位置情報をもとに現場に駆けつけたらしい。そこに居合わせた人の
証言を元に今学校に来ていて、僕の話を聞きたいと待っているのだと溝口先生は言っていた。
「まったくなんて事してくれるの。こんな大事にしてどうするの?」
溝口先生は最後に僕を直接的に責めた。これが本音なのだろう。
「呼んでくるから待っていなさい。」
溝口先生が何処かへ出て行ったが間もなく誰かを連れて戻ってきた。連れられてきた男の人は制服を着た警察官だった。
「君が佐々木順くんかな?通報してくれたのは君だね?」
部屋の中に案内されるなり警察官は僕に話しかけてきた。はい、と返事をすると彼は橋本で巡査長だと名乗った。僕の話を聞きたいらしい。ふと視線を溝口先生に向けると溝口先生は背中を扉横の壁にもたれかからせ、手と足を組んでこっちを見ていた。どうやら席を外してくれる気はないらしい。
「佐々木くんが警察へ通報してくれた理由は何かな?同級生の子に殴られたのは通報の瞬間だよね?もう殴られそうになっていたりしたの?」
橋本巡査長は矢継ぎ早に僕に質問を投げかけた。
いえ、と一言だけ返すと橋本巡査長は畳み掛けるように、
「では通報の理由を教えてくれるかな?」
と僕に対する質問を重ねてきた。
「佐藤くんが、晃くんが、信号無視をしていたから、それで、その様子を撮影して通報しようと。」
うまく言葉がまとまらず、辿々しく答えようとしていると横から
「なんでそんな事で!」
ヒステリックな叫び声が聞こえてきた。溝口先生だ。もう僕を責めている事を隠そうともしていないようだ。橋本巡査は溝口先生を制止し、話を続けた。僕の事を肯定も否定もせず、口調は淡々としていた。
「信号無視の件で通報したんだね。だけどこれは今の時点で出来るのは佐藤くんにダメだよって注意するぐらいだよ。それで、どうする?佐藤くんに殴られた事に被害届けは出すかい?」
僕は出すべきだと思った。だが溝口先生は僕が「はい」と言った瞬間に今まで以上に執拗に責めてきただろう。返事を言いあぐねていると、橋本巡査は今すぐ結論を出さなくても良い、両親に相談して結論を出すと良いと言って話を打ち切り、退室していった。
橋本巡査が去った後、被害届出すなんて、そんな大事にしてどうするの?佐藤くんを陥れる気?溝口先生の棘のある言葉が立て続けに僕を責め続けた。けれど僕は深く傷付く事は無かった。わかってくれるなんて思っていなかったから。
一通り言葉責めをして溜まっていた鬱憤を発散して落ち付いたのか話を仕切り直した。
「ひとまず、佐々木くんのご両親と話をしないと、今日お母さんはいらっしゃるの?」
両親は共働きで家には誰も居ないと伝えると、送っていくから今日は帰りなさいと指示された。学校を出て家に着くまでの間、溝口先生も僕もお互い無言で気まずい空気が流れた。
最初のコメントを投稿しよう!