ツかれる男 第一章

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騒音トラブルと言うのだろうか? つい最近隣に越してきた奴の部屋から聞こえる音に、俺はうんざりしていた。 そろそろ注意をしようか、このまま耐え抜こうか…… もし、これが週に1度や2度ならば、俺も耐えられたと思う。しかし、毎日となると話は別だ。 確か、隣室に越してきたのはやたら背の高い男だったはず。入居時の挨拶は、恐らく俺が留守にしていたために立ち会えなかったのだろう。ある日、帰宅するとドアには銘菓っぽい小洒落た包みの花林糖と、簡単だけど丁寧に引越しの挨拶が綴られたメッセージカードが入った袋がかかっていた。顔を合わせたわけじゃないが、第一印象は良かったと思う。 しかし、その印象は半月しか持たなかった。 今から大体、1週間前の夜の事。 大体23時頃になると、隣室から女の声が聞こえる。 それもただの声じゃない。所謂喘ぎ声と言うやつだ。 苦しそうな――少し嬉しそうな――押し殺すみたいな喘ぎ声。 それが1時間くらい。毎晩毎晩。 このアパートは単身者専用だから、同棲ではないのだろうけど、こう毎晩となるととう同棲も同じじゃないか!?契約違反だ!! くそっ、うらやm――いや、けしからん! キモヲタ風の男が隣室に居た頃は、こんな事なかったのに――って、そりゃそうか。 いやいや、そういう意味じゃなく、生活音――例えばテレビの音なんかも――気になった事はなかったのにな。 まさか、リア充アピールだろうか? 僻み半分なのは認めるが、俺ももう限界だ。 今夜こそ、今夜こそ文句を言ってやる!! でも、最中に怒鳴り込むのか?それまずくないか?じゃあ、タイミングはいつだ? 毎夜、そんな風に迷って、結局、なにもせずに朝を迎え、出勤。通勤時にふと思い出して怒りもするが、出社後はもう忘れている。帰り道にまた、ふと思い出し、今日こそは!と思うものの、疲労とかちょっとした家事を済ませている内にすっかり忘れ、23時に声が聞こえてイラっとするけど、今は無理だと諦めて、そのうち眠くなるので寝る。 結局、この繰り返しで一週間が経ってしまったのだ。 いっそ管理会社に電話しようか。 そう思い始めていた頃、出社前にとうとう奴と出くわした。 アパートの階下にある集合ポストの前で。 「おはようございま~す」 とダルそうに声をかけられ、横を見ると奴が立っていた。 まともに顔を見た事がなかったので、最初はその男が奴だとは気付けず「あ、おはようございます」と挨拶を返したのだが、俺の隣のポストを開けたのを見て気付いた。 睨むように奴を見るが、奴は全く気にしてない風だった。 それも腹立たしいけど、なんというか、容姿がまた腹立たしい。 チラッと見かけた印象通り、背はかなり高い。190はないにしろ、180は有に超えているだろう。年齢は20代前半から半ば。少なくとも、俺より5歳は年下に見える。 眠そうな幅の広い二重が、更に眠そうに垂れていた。 そりゃ、毎晩そんなにお盛んなら眠いだろうさ。 くたびれた細身のリクルートスーツを着ているけれど、金髪に近い髪は長めのボサボサで、どうもチグハグだ。一体、なんの仕事だよ。と、突っ込みたくなった。 だが、そのどれも野暮ったいとか不潔な感じはなく、ガッチリした肩にすっと長い四肢も相まってむしろ均衡が取れていてお洒落風に見えるから不思議だ。 一見してナヨナヨっとした雰囲気もあるのだけれど、顔の真ん中にデンっと鎮座した鷲鼻が男らしさを補っているようだ。 これがイケメンか!! くそっ、イケメンリア充め!! そうさ、僻みさ!僻みだってわかっているさ!! でも、フツフツと湧き上がる怒りは抑えられない。 ポストに貼り付けられた名札から奴が『菅原』だと言うことを確認して――挨拶のメッセージカードに書かれていたが、即捨ててしまったのでその時まで忘れていた―― 「あのさ、スガワラさん」 「あ、はい。スガハラです」 そんなん、どっちでもいいけど。 「ほぼ初対面でこんな事言うのもあれなんだけど……ちょっと、夜中は静かにしてくれないかな?」 「は?」 スガハラは眠そうな顔のまま、首を傾げる。その可愛らしい仕草が世の女には受けるのか。と、勝手に想像し、更にイライラを募らせながら俺は続けた。 「だからさ、毎晩毎晩、女連れ込んでさ――」 「女……?えっ!?」 スガハラは一層、キョトンとした顔をした。とぼけてるのか?なんだか、予想していた反応と違い過ぎて、俺はついついムキになってしまった。 「いやいや、毎晩来てるでしょ?彼女かなんか知らんけど……」 「えっ?あ、えぇ!?えっ?ちょっと……」 スガハラは明らかに狼狽している。 しかし、何か様子がおかしい。狼狽は狼狽でも、痴情を指摘された恥ずかしさと言う感じではない。 「え?マジで……えっ?どういう事っすか?」 スガハラは15cmは低いだろう俺の肩を掴んで、縋るような視線を向けてきた。 この時点でさすがの俺も混乱し始めていた。 「いや……毎晩……夜の11時くらいに、あんたの部屋から女の声が――」 と、言い終わる前にスガハラはキャーと女みたいな悲鳴を上げた。 「ま、マジでか!?マジっすか!?いや、ないないないない。だって、俺、ここ1週間、ずっと夜勤で、今帰ってきたばかです」 スガハラは涙目だった。とても嘘をついている様には見えない。 それに、言われてみれば、確かに格好や漂う疲労感だって、ちょっとコンビニに出掛けたと言うよりは仕事帰りと言われた方が納得出来る。 ――じゃあ、あの声はなんなんだ? 俺は背中に冷たい物を感じた。 「いや、冗談ですよね?恐がらせようとしてるだけですよね?サダさん」 「いや……サタだけど」 ま、今の状況でそんな事はどうでもいいけど……
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