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女生徒達、野見山を助けようとして失敗する。
(四)保健室にて
保健室には優しい養護教諭がいる。学校にはカウンセラーもいるが、彼らは学校の職員ではない。話を聞いてもらうには養護教諭だ。
そう思った野見山は今日も保健室へ行った。生徒がいっぱいで入れない時もあり、また保健室登校をしている生徒もいたので、そんなに長くは居られなかったが、養護教諭の作間先生は真剣に話を聞いてくれた。
勿論、作間は野見山の言うことを最初は信じていなかった。駄目教師の作話だと思い込んでいた。亮介をはじめ、三人とも「まじめな先生」として生徒の信頼も厚かったからだ。
しかし、BMWの件も机上の落書きの件も事実である。作間は野見山の話を一応は信じてやろうと思った。
生徒の中には作話をして(というよりは嘘の口実を使って)保健室を利用しようとする者もいる。しかし野見山の真剣な口調と、時々涙を浮かべて訴える様は、作間にとって次第に「それは嘘でしょう」という言葉をかき消すには十分な力を持ってきていた。
今日も涙ながらに野見山は作間に訴える。
「先生、今日も僕は大山先生に羽交い締めにされて東田先生と田島先生になぐられました。この頬を見て下さい」
生徒の中には自傷行為をする者がいる。その極めつけがリストカットである。自分で頬を叩くくらいの芸当なら平気でやる者もいる。だから「簡単に信じてはいけない」と作間は思っていた。しかし、彼の口から必ずこの三人の名前が出ることから、あながち全てが嘘でもなさそうである。そこで作間は野見山にお姉さんが弟を諫めるように優しく言った。
「本当やとしたら酷い話やねえ。私から三人に言いましょうか?それとも校長先生に話してみます?」
「やめて下さい。そんなことをしたらどんな復讐をされるかわかりません」
「大山先生達が怖いのですね」
「はい」
「うーん、困ったわねえ。次の授業まで休んでいきますか?職員室へ帰ったらまたいじめられるかも知れないから---」
「はい、ありがとうございます」
こうして野見山が保健室で休んでいると、一転して保健室が騒がしくなってきた。生徒達がはいってきたのであろうことは、野見山にも簡単に察しがついた。
女生徒と養護教諭の話し声が聞こえる。女生徒はとんでもないことを嬉々として喋っている。
「先生、生でやったら気持ちよかったよ」
「だめよ、やる時にはきちんとゴム使わなきゃ」
「だって気持ちよかったんだもん」
「だめだめ、きちんとゴムを使いなさい」
また、別の生徒が入って来た。今度も女生徒である。
「先生、バッファリン百錠飲んだよ」
「バファリンでは死ねないよ」
養護教諭の応対があまりにも平静であったので、野見山は面食らった。
バファリンの生徒が尋ねる。
「誰か寝てるの?」
「うん、野見山先生」
すると、バファリンの生徒は何の遠慮もなくカーテンを開けたて言った。
「ノミちゃん、また大山にいじめられたの?」
「(この子はどうしてそんなことを知っているのだ?)」
訝しく思った野見山は寝たままその子に尋ねた。
「二年三組の村上さんやったよねえ。なんで僕が大山先生にいじめられていることを知ってるの?」
すると彼女は自分の教師に対する知識をひけらかすようにもじもじしながら甘えてような声で言った。
「だって、生徒の中では有名よ。他にも田島先生や東田先生もいじめているんでしょう?」
野見山は生徒の情報の迅速さ、正確さに驚き、正直に打ち明けた。
「そうなんや。あいつら、俺を講師やと思って馬鹿にしてるんや」
「ふーん、私もクラスでいじめられているから先生、友達やね」
そこへ先程のコンドームの女生徒が何かを探すように恐る恐る入って来た。
「野見山先生やないの?それから弥生ちゃん。わかった、先生、また大山や東田や田島にいじめられたんやろ」
その物言いには何の遠慮会釈もなかった。養護教諭に「生でやった」なんて平気で言う生徒である。誰にも遠慮というものがないのであろう。
野見山は泣き出した。ここの生徒達はあまりにも優しかった。本当に野見山のことを心配してくれているようだったからだ。野見山は涙声になりながら今までのことを全て彼女たちに話した。
「ひどいねえ」
「ほんま、ひどい」
涙目になって語る野見山に同情したのか、二人の生徒は言い合わせたように同じことを言った。
「そうや、私ら三人であいつらやっつけよう」
コンドームの生徒が言った。
涙を拭きながら野見山が答えた。
「やめてよ。そんなことしたらどんな復讐をされるかわからない」
「大丈夫よ、先生、良い考えがあるの」
バファリンの生徒が言った。彼女は即座に一呼吸おいて言った。
「先生がいじめられているところを動画で撮影するの。そしてマスコミに送るの」
「僕、講師だよ。そんなことしたらもうこの学校にはいられない」
「先生、この学校でいじめられ続ける?それか他の学校へ行って幸せな教師生活を送る?どちらがいいの?」
コンドームの生徒が、まるで子供に噛んで含めるように言った。
「わかった。あいつらにまた呼び出されたら連絡するから携帯番号教えて」
「いいよ、わかった」「私もわかった」
こうして二人の女生徒と野見山は携帯の番号を交換した。ラインのやり取りもできるようにした。
そこへピアスを開けた女生徒が入ってきた。保健室には男子生徒も入ってくるが、今日は女生徒の来訪が多い。二人は保健室の机で話し始めた。
「由香ちゃん、またピアス開けてるのね。体に悪いわよ」
養護教諭が言った。ピアスの女の子は悪びれる様子もなく言い放った。
「そう、5G。それから、先生、今度はリスカじゃなくて太股切っちゃった」
「そう、見せてごらん」
ここで野見山が出て行くわけにはいかない。女生徒は養護教諭に太股を見せているのだ。そのことをバファリンとコンドームも心得ていたのか、二人とも押し黙ってしまった。
ピアスの生徒と養護教諭の話が聞こえてくる。
「誰か寝てるの?」
「うん、ちょっと先生が」
「えー、私ピアスのこと何か言われる。早く取らなくちゃ」
「大丈夫、野見山先生やから」
「ああ、野見山先生か。これが大山や東田やったら何か言われてネチネチネチネチ注意されるねんで。野見山先生ー!」
ピアスの女生徒が大声で叫んだ。隣の教室にまで届きそうな大声であった。
「何?寝てたんよ」
と野見山が言うが速いか、コンドームとバファリンがカーテンを開けた。
「由香ちゃん、ピアス見せて」
「あ、弥生と志埜」
何十年かぶりに会った知己のような言い方だ。コンドームとバファリンを見つけたピアスは二人が野見山とどんな話をしていたのか知りたくなった。好奇心旺盛の年頃だから仕方がない。
「弥生と志埜、何の話してたの?」
「いや、野見山先生がいじめられているって言うから、みんなでやっつけようという話をしてたところ」
「いじめる先生って大山と東田と田島やね。面白そう、私も入れて」
「いいわよ」
「で、どうやってやっつけるの?」
「野見山先生がいじめられているところを動画で撮影するの。そしてマスコミへ送るの」
「やろう、やろう」ピアスが嬉々として言った。野見山にとっては至極深刻なことであったが、三人の女生徒は何か楽しんでいるようであった。
(五)野見山救出作戦
それから数日が経って、亮介はまた面白くないことに出くわした。
亮介が世界史でカリギュラ(ローマの三代めの皇帝)の話をしたのだが、その時に獣姦の話を交えたので、親から「何を教えているのだ」というクレームがついたらしい。
校長室に呼ばれる亮介。定年を間近に控えた校長から、また校長室に呼び出しがかかった。
「大山君、何か獣姦の話をしたんか?」
「はい、ローマの3代皇帝のカリギュラの方が実際には5代目のネロより酷かったという話をするついでにしました」
「獣姦の話までする必要があったのですか?」
居丈高な言い方である。校長でござーいとでも言いそうな言い方であった。その後、校長は子供を諭すような言い方で亮介に言った。
「あのな、親から連絡があってな。何か家へ帰った子供が騒ぎ出して妹さんに馬乗りになって『馬姦、牛姦』とか言って騒いでいてなあ、『学校で何を教えてるのか』とクレームがきたんや」
「わかりました、以後注意します」
しかし亮介は腑が煮えくりかえる思いであった。カリギュラが獣姦をしたというのは歴史的事実なのに、どうして教えてはいけないのか?あの校長め、親には弱いんだ。どうせ何事もなく定年を迎えたいだけなんだ。ちぇ!つまらない奴!
そしてこんな日には決まって亮介の刃は野見山に向かうのであった。
亮介はいつものように東田と田島を誘った。
「おい、やるか?」
「いよ、待ってました。さすがは大山先生!先ずは職員室でいじめですね」
「その通り。生徒に見られたらまずいからなあ」
そして三人は座席に座って教材研究をしている野見山の所へつかつかと歩いていった。 「ドド山先生、何してるの?またうんこと呼ばれて泣いてるの?」
田島が立って、座っている野見山を蔑むように言った。
野見山は無視して教材研究を続けた。それが三人の怒りの炎に油を注いだ。
「おい、野見山、何か答えろや。お前には口がないんか?」
亮介が凄んだ。亮介が凄むと東田と田島までビビったようであった。なにしろ、亮介は武道の段を全部で六段持っている。その上に、パンチパーマをかけ、剃り込みを入れ、眉毛は綺麗に剃ってある。その上に怖ろしいことにサングラスまで架けている。普通に彼を見たらヤクザだ。生徒の亮介につけたあだ名はCTO(Crazy Teacher Ooyama)であった。
亮介は野見山の背後から柔道の締めにかかった。
「こらこら、何も言わへんのやったら柔道で落としたろか?」
「何するんですか?やめて下さい」
そこへ東田が口を挟む。
「放課後に裏門じゃ。ええな、逃げるなよ」
三人は散っていった。野見山は直ぐに三人の女生徒にラインを送った。
「今日放課後、裏門で殺される。助けて」
*
放課後、野見山は裏門へのこのこと出かけた。しかし、今回は女生徒達が動画を撮ってくれている。そう思うと野見山は安堵の気持ちでいっぱいであった。
いつものように亮介は野見山に因縁をつける。理由なんかない。校長に呼び出されてむかついているだけだ。
「おい、お前、講師のくせに生意気やのう。この前も保健室へ行ってたやろうが?講師がそんなところ行って何するねん。大方作間からヨチヨチされよったんやろが?ええ?」
そう言って亮介は野見山の胸ぐらを掴み、その華奢な体を前後に揺らした。そしていきなり頬にビンタを喰らわせた。その次は正拳突きである。野見山は後ろへへなへなと倒れた。そこへ東田と田島が蹴りを入れる。いつものパターンであった。
「やめて下さーい。大山先生、田島先生、東田先生、僕が悪かったのなら謝ります」
田島が蹴りの足を止めて倒れている野見山に覆い被さるようにして顔を近づけた。そして言った。
「謝るやとよ。それならわしら三人に土下座でもしてもらおか?」
「ど、土下座?」
「謝る言うたら土下座に決まってるがな。おい、土下座せえ」
野見山は渋々土下座を決めた。その背中を亮介が踏んで言った。
「土下座せえ言うたら本当にしよるわ、こいつ、最低やな」
その時であった。裏門の入り口の校庭の方から女生徒の声が聞こえた。
「大山先生、動画に撮ったでえ、教師のいじめの瞬間。動かぬ証拠や」
とっさのことに三人の教師は何を言って良いのか分からず、声のした方を目で追った。
見ると、二年三組の村上志埜と岸田弥生と本庄由香がいる。そしてスマホを持って叫んでいる。スマホを持っているのは岸田弥生(コンドーム)である。
次の瞬間、陸上部の顧問である東田が三人を追いかけた。三人は一斉に逃げ出した。
「待てー、こいつら、ちょっと待てー」
「誰が待つか、べー」
本庄由香(ピアス)が舌を出した。
しかし次の瞬間、東田がスマホを持った岸田に追いつき、手を掴んだ。
「おまえ等、何たくらんでるんや?このスマホ取り上げてやる」そう言って岸田のスマホを取り上げ、ついでに彼女の腹に蹴りを入れた。彼女はそこで呻きながらうずくまった。
「この小娘が、陸上部の顧問の俺から逃げられると思っているのか?このスマホは没収してやる」
「何よ、人のもの盗ったら泥棒やで」苦しそうに肩で息をしながら岸田が答えた。
「中味を見たら返してやる」
その間に本庄尾と村上は逃げてしまっていた。岸田はうずくまったままだ。
職員室にスマホを持ち帰った東田は亮介と田島に言った。
「あの女、援交してるっていう噂があるぞ。このスマホに証拠が残ってないかさがすんや」
そう言って東田はスマホをパソコンに繋いだ。そしてキーを叩くと、本庄と男が裸で絡み合っている写真が何枚も出てきた。
「よーし、これをプリントや。あの小娘に二度と生意気なことをさせられないようにしたる」東田が言った。そして動画をパソコンに取り込んだ。
そこへ岸田が入ってきたのだ。
「先生、そのスマホ、返して下さい」
「ええやろ返してやる。それにしてもお前ガキのくせにすごいことしてるんやなあ、ほら」そう言って東田はスマホを投げつけた。それを拾った岸田は慌てて職員室を後にした。
翌日、掲示板に岸田が裸で男と抱き合っている写真が何枚も貼り出された。
生徒達がそれを見て大騒ぎになっている。
事態を知った岸田は掲示板の所へ行き、物見高い生徒達をかき分けて必死の形相で写真を剥がした。写真の上には「援交少女岸田弥生の正体」と大書されていた。
学校はこの写真を貼りだした犯人の捜査もせず、岸田に退学が言い渡された。
とぼとぼと校門を出る岸田に本庄と村上が追いついた。
「弥生ちゃん、大変なことになったねえ」
「しかし、あの先公ら、ひどいことをしやがる」
彼女らは、今度は自分達の番だとは思ってもみなかったのか、亮介ら三人の教師に対する憤りで腑がはちきれんばかりであった。
翌日、野見山と三人の女生徒は保健室にいた。
「岸田さん、僕のために御免」
野見山が言った。
「ええんよ、元々こんな学校やめるつもりでいたから」
「それにしても大山と東田と田島め、ひどいことをしやがる」
昨日と同じことをピアスの本庄が呟いた。
「君ら二人も用心した方がいい。あいつら何するか分からないぞ」
「平気、それよりも先生頑張ってね」
「ありがとう」
こうして岸田弥生(コンドーム)は学校を去っていった。しかし、これからピアスの本庄由香とバファリンの村上志埜に対して亮介ら三人の悪の触手が伸びていくのだ。
*
定期考査が行われていた。二年三組の教室に東田がいた。試験監督である。教科は日本史であった。黒板に「二時限目・日本史」と大書されていた。
教室の生徒全員が黙々と鉛筆を滑らせる。どこの学校でもそうであるが、一種異様な緊張感に満ちていた。東田は教卓の所にいたが、時々生徒の机を机間巡視していた。
そして、この異様な静けさを突き破る事件が起こった。
東田が廊下の真ん中にいた本庄の机の中から何かを取りだし、大声で言った。
「おい、本庄、これは何や?」
東田の手には小さな紙片が握られていた。その紙片には「北条時政、北条義時、承久の乱、後鳥羽上皇」などと書かれていた。東田と亮介が夜にこっそりと本庄(ピアス)の机の中に入れたものであった。
「私、そんなの知りません」
「知りませんやと?それならなんでこんなものがお前の机から出てくるんや?北条義時いうてなんや?テスト範囲やろ。お前、ちょっと来い」
「私、本当に知りません」
「しらばっくれるな。ちょっと指導室までや」
そう言って、東田は本庄を立たせ、教室の外へ出した。そして隣の教室で試験監督をしていた教師に言った。
「こいつ、カンニングしてたんや。今から指導室へ連れて行くので、山根先生、すみませんが二年三組の教室も見ていてもらえませんか?」
「分かりました」
こうして本庄は東田によって指導室へ連行された。指導室には生徒指導部長がいた。東田に連れられて本庄が入ってくるのを見た指導部長は直感で全てを悟ったようであった。
「お前、カンニングか?耳に大きなピアスの穴なんか開けやがって、いつかこんなことすると思っていた」
「先生、違うんです。私、何もしていません」
「何もしてない人間が何でこんなもの持ってるんや?」
そう言って東田は生徒指導部長に先程の紙片を手渡した。
「こりゃ言い逃れできへんなあ、本庄。カンニングは謹慎の上に全教科0点やぞ」
「東田、汚いことやりやがって」
そう言って本庄は東田を叩こうとしたが、あたかもプロボクサーが素人の殴りをかわすように軽々とそれをかわし、大声で言った。
「カンニングしておいて反省するどころか、ええ!お前はこれを人のせいにするんか?」
本庄はその場でかがみ込んで泣き出した。
「畜生、畜生」
本庄は元々そんなに勉強の出来る生徒ではなかった。だから全教科0点になったら留年間違いなしであった。
親が呼ばれた。母親は泣いていた。
「この子はピアスを開けるだけでは物足りずにカンニングなんて本当にすみません。ほら、あんたも謝るのよ」
「お母さん信じて、私カンニングなんかしてない」
生徒指導部長は追求の手を緩めなかった。
「東田先生がカンニング用紙を見つけたんです。それからこの子のピアス、お宅でも注意してやって下さい」
「本当に申し訳ありません」
結局本庄は自主退学をすることになった。
そして、亮介達の陰謀によって学校をやめた二人の生徒と、残った村上志埜、そして野見山が保健室にいた。
「あいつら、汚いことしやがる」
バファリンの村上志埜が言った。
「御免ね、野見ちゃん、助けられなくて---」
ピアスの本庄も言った。
「いや、いいんや。僕の方こそ御免、僕のためにこんなことになって---」
その後、村上志埜も学校をやめた。こうして野見山には味方もいなくなった。野見山先生救出作戦は見事に失敗してしまったのだ。
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