先生

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 退社後、大学時代の友人、矢島と約束があった。  矢島とは同じ鈴原ゼミで、卒業後も、月一で飲みに行く気心が知れた間柄だ。  その矢島が結婚する事になり、今夜はその祝いの食事会だった。  集まるのは鈴原ゼミ、通称【鈴ゼ】の連中で、俺の下で働く一瀬美月もその中の一人だった。一瀬もきっと行くだろうから、終業後に声をかけようとした。  そのタイミングで先に話しかけて来たのは一瀬だった。 「石上、矢島君の結婚祝い届けてもらっていい?」  一瀬が差し出して来た袋は、女性に人気の食器ブランド店の物だった。  中身はおそらくペアグラスだろう。普通過ぎるチョイスだが、一瀬なりの気遣いがあるんだろう。 「今日でしょ。お祝いの会って」  紙袋をじっと見てると一瀬が続ける。 「そうだけど。自分で渡せばいいだろう」 「私は欠席の連絡をしてあるから」  一瀬が気まずそうな笑みを浮かべた。そんな表情を俺がさせているのは間違いない。なにせ俺は二か月前に一瀬にプロポーズしてフラれてるのだ。表面上は今までと変わらない付き合いをしているが、できれば関わりたくないと思ってるのかもしれない。 「俺に気をつかったのか?」 「そんなんじゃないよ。今日は妹の所に行かなきゃいけないの」  一瀬があたふたと視線を逸らす。  わかりやすい。俺をふった上に香港に転勤してしまった俺たちの元上司、上村課長とめでたく想いが通じ、幸せの真っただ中にいる一瀬は、俺に対して少なからず申し訳ないとか、すまないとか、そんな思いを持ってるのかもしれない。  俺と仕事以外での関わりをなくす事で失恋した俺をこれ以上、傷つけまいと気遣ってくれてるんだろう。  一瀬に同情される身なんだな、俺は。情けないな。 「矢島たちが他にペアグラスをもらってないといいな」  一瀬に弱い所を晒したくなくて、言わなくていい嫌味を口にした。  一瀬がむっとしたように眉を寄せる。 「とにかく頼んだわよ」  つっけんどんに言い、一瀬が押し付けるように紙袋をこっちに寄こした。  仕方なく受け取ってやった。情けをかけられるぐらいなら、憎まれ口をたたき合うぐらいの方がいい。一瀬とはずっとそうだったから。  
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