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「ごめん……」
静かな嗚咽の隙間から、柴原が言った。私は「いや……」とだけ呟いて、首を振った。
まったく、自分が嫌になる。
柴原は傷付いている。喪失の傷はこの先もずっと、彼のからだを蝕み続けるだろう。彼はもう失ってしまったのだ。その痛みを抱えて生きていく。
私は空を仰いだ。
神様というやつは、どうしてこうも試練を与えるのが好きなんだろうか。
幸せに生きている人間をわざわざ泣かせる必要性を私は感じないし、そんな人間に邪な視線を向けてしまう気持ちなんか装備させずに人類を作ってくれ、と思った。
柴原が顔を上げた気配がする。私も首を元の位置に戻した。
涙で濡れた柴原の瞳と目が合った。
その目線を捉えながら、私は心の中で言った。
試練好きな神よ、これだけは覚えておいたらいい。
不幸に見舞われた柴原という人間のそばに、私という人間がいたことを。
この先、柴原に私の気持ちを伝えることがあるかどうかはわからない。伝えない可能性のほうが高い。それでも別に構いやしない。柴原がこれ以上、できるだけ悲しい思いをせずに済めば、私はそれでいい。
そんなふうに思う人間がいるってこと、まさか柴原本人に伝えるわけにはいかないんだから、せめて神様くらいは知っといてくれよ──と思った、二十九歳の冬。
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