Lost

2/9
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 それで、この男は以前も、こんなにも綺麗な顔をしてただろうか、と思った。  柴原は私の同期の一人で、とは言ってもそこまで親しいわけでもなかった。二年前に彼が結婚したときも、一応式へのお誘いは来たけども、なるべく丁重に断った。職場の人間のプライベートに必要以上に踏み込むというのが、私はどうも苦手だ。もちろん角が立たない程度の付き合いはするが、結婚式なんてものは私の中では許容できる範囲を大幅に外れていた。だから、柴原の伴侶となった女性が一体どんな人物だったのか、未だにわからないままだ。  柴原は物腰が柔らかくて、人好きのする、という表現がぴったりくる感じの男だった。結婚したときも周りから祝福されて幸せそうだった。だからこそ、この冬に彼が巻き込まれた不運の落差が、より一層際立つ。 「ドライブレコーダーも監視カメラもなかったみたいでさ、泥沼らしいよ、今」  昼休み、社食の隅の席で、一緒にランチを取り囲んでいる女性の同僚の一人が言った。  私は思わず、混雑している食堂内に目を走らせて柴原がいないか探してしまった。こんなところでする話ではないとは思ったが、咎めるほどの熱意はない。私は曖昧に頷いて相槌の代わりとした。  きつねうどんを食べている別の同僚が尋ねる。 「裁判、長引いてるってこと?」 「そう。運転手のほうは、柴原くんの奥さんが飛び出してきたんだって、言い張ってるみたい」 「えー、ひどいねー」  心の底から痛ましい、というような表情を見せる同僚にも、私は曖昧に頷いた。  柴原の奥さんが車にはねられて亡くなったとき、彼は自分のデスクで、つまり私の隣で、会議資料を作成していた。その途中、何の前触れもなく内線が鳴って、柴原が受話器を取った。  そのとき彼の表情が見せた変化を、私は今でもはっきりと思い出せる。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!