prologue

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 標高九百メートルの伊吹山の山頂に、ひっそりと小さく黒岩神社がある。雑木林に囲まれた神社は、夏は蝉こそうるさいものの、涼しく過ごしやすい。  冬は雪が積もり、道が断絶され、ちょっとした陸の孤島になるが、住民は神社の神主一家のみという状態のため、道路やライフラインが行政の手で改善されることもなかった。そのために、黒岩神社は神秘性を保って来たともいえる。  舗装されていない細く狭い山道のせいで、地元民もそれほどやってくることはない。元々は山岳信仰で山自体が信仰の対象だったが、四百年ほど前に落雷があって山頂付近にあった岩が黒こげになり、その岩に通りすがりの法師が悪さをした妖蛇を封じたと言われている。そこに元々あった祠を立て直す形で、社を建てて奉ったのが黒岩神社の始まりらしい。神社の歴史としては浅いものだが、山自体が信仰対象だった時代を含めれば、おそらく二千年ほどの歴史がある。  蛇が封じられた岩自体に蛇の持つ生命力が宿るとされ、かつては老人の参拝者が多かった。が、何しろ道が悪く、次第に訪れる者は減って行った。そのうえ、蛇の力が強すぎ、普通に死ねないという噂まで立ってからは、強欲なほどに強い生への執着心がある者か、肝試しに若者が迷い込んだりする以外は、部外者がやってくることはまずなかった。静かな落ち着いた神社だった。つい十年ほど前までは。  そう思いながら、神主の入間晋太郎は楠の上から突然落ちて来た瑞輝(ミズキ)を見た。黄褐色の髪に、楠の葉が何枚かついている。晋太郎がほうきで枯れ葉掃除をしていた上に落ちて来たのだから、それも当然と言えば当然か。山の上は下界に比べると秋が早くやってくる。九月の終わりは、下はまだ心地よい秋でも、伊吹山の上では落ち葉が増えてくる季節だった。 「いてて」腰を押さえて立ち上がった瑞輝を見て、晋太郎は頭上を見た。瑞輝が木に登って何をしようが、今さら聞くまい。たぶん、ただ登ってみたかったのだ。彼の行動指針なんてそんなもんだ。深い意味はない。 「いいところに落ちて来た。掃除しといてくれ」  晋太郎は竹ぼうきを座り込んでいる瑞輝に渡して言った。十二歳になる瑞輝は、晋太郎の胸のあたりまでの竹ぼうきとほぼ同じ身長で、ほうきと同じように痩せている。生粋の日本人のはずなのだが、光の加減によっては脱色した茶髪に見える髪の色と、同じく茶色がかった瞳の色をしている。  瑞輝は全くやりたくないが、相手は自分の命を握っているから仕方なくやるという雰囲気で、竹ぼうきを無言で受け取った。晋太郎は苦笑いする。 「終わったら昨日もらった饅頭があるから、社務所に来るといい」  晋太郎が言うと、瑞輝は背中を向けたまま「あーい」と答えた。
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