prologue

2/7
前へ
/67ページ
次へ
 晋太郎はまだ三十五で、そして独身である。今まで既婚だったことがない。そして子どもを持った事もない。瑞輝とは血がつながってないし、瑞輝の両親と会った事もない。瑞輝を引き取ったのは、瑞輝が『じいちゃん』と呼ぶ晋太郎の父だ。父は三年前に他界し、瑞輝はわんわん泣いていた。瑞輝が余りに泣くので、晋太郎は泣けなかった。いや反対かもしれない。晋太郎が泣かなかったから、瑞輝が代わりに泣いていたのかもしれない。どちらにせよ、瑞輝がどういう経路でどこから入間家に来たのかは知らないが、彼が預けられた理由だけは晋太郎も聞いている。  主な理由は外見に関係している。茶色の髪と、茶色の瞳にくわえ、右腕に生まれつきあった薄茶色の痣のせいだ。それは赤ん坊の肘から手首まで、蛇が巻き付いたように見えた。肘の辺りでは消え入るように細くなっている痣は、手首に向かって太くなっており、遠目に見ると本当に蛇のようだった。それを忌まわしいものだとあちこちの社寺で言われた両親が、お祓いをしても何をしてもダメだったと、遠い知人を通じて晋太郎の父を頼って来たらしい。赤ん坊には数十分違いで生まれた弟もいて、両親は双子の世話に加えて、そのうちの一人が周りに縁起が悪いだの呪われているだのと言われ、すっかり疲弊していたらしい。  晋太郎は何度か瑞輝の目を覗き込んでみた事があるが、何も見えたことがない。が、父は当時、こう言ったらしい。 「この子の目には龍が棲んでる」  で、龍の扱いを教えてやりたいから、うちにしばらく預けてみたらどうかと父は勧めたらしい。既に六十を越えていた晋太郎の母もビックリしたようだが、結局は孫を早く育てられるようなものだと引き受けた。長目の大学生活を楽しんでいた晋太郎は「というわけになったから」と事後に知ったに過ぎない。  瑞輝という名前も気に入ったと父は言っていたが、本当かどうかはわからない。晋太郎の父は軽口をよく言う人だった。悪い嘘ではないが、周りを煙に巻くような雰囲気がいつもあった。大問題でも彼にかかると、何でもない日常の些末な出来事だったように聞こえた。  そして龍の扱いを瑞輝に教えたかというと、晋太郎が知っている限り、そういう特別なことを教えていた気配はない。だいたい父が死んだのは、瑞輝がまだ九つの時だ。晋太郎が子どもの頃にやられたように、神社の手伝いをさせられ、何か問題を起こすと説教をされ、そしてエネルギーが余っているならと裏庭で剣術や柔術を仕込まれるぐらいだ。晋太郎も昔やられたからよくわかる。瑞輝は晋太郎よりもヤンチャだったから、死ぬ直前まで元気だった父によく追いかけ回されていた。それと、好き嫌いのほとんどない晋太郎に対して、瑞輝はかなりの野菜嫌いだったので、それも昔気質の母にみっちり絞られていた。今でも二人の戦いは続いている。今朝もカボチャの煮物を食え食わないで大騒ぎだった。  ハッキリ言って、瑞輝は勉強はそんなに出来る方ではない。晋太郎は割と優秀だったので、瑞輝の苦労がよくわからない。好き嫌いにしろ、勉強のことにしろ、努力すれば何とでもなるはずで、瑞輝は努力が足りないだけだと思っていた。そうじゃないのかもしれない、と最近は薄々感じてはいるのだが。  龍についてだが、父は何も言わず、何も残さずに死んでしまった。それだけが晋太郎の心残りだ。瑞輝についてを父に任せず、自分も関係していれば良かった。あれは父のいつもの方便だったのか、それとも本当だったのか、今ではわからない。  父の死後、突然母にこれからはあんたが面倒を見てあげなさいと言われ、晋太郎は面食らった。正直言って、施設に入れるって手もあるだろうと言ったが認められなかった。二十三歳離れた子どもを、いきなり弟だと思って、なんて言われても無理なのだ。晋太郎は瑞輝を、いつか本来の家に帰る他人の子だと思っていたのであり、父の亡き後は当然、元の親が引き取りに来ると思っていた。が、来なかった。当たり前でしょうと母は言った。瑞輝は一歳の時にうちの養子に入れたんだから、と。聞いてないと騒いでみたが、そういういざこざを耳にした瑞輝九歳が家出したので、晋太郎も反省した。  家出をした瑞輝は、二日後に伊吹山の裏にある別の山の祠で見つかった。そこにお供えされた古い菓子を食って腹を壊して倒れていた。軽い脱水症状もあったが、すぐに良くなり、晋太郎と和解した。和解と言っても、晋太郎が家に戻って来いと言っただけのことだ。瑞輝は頑に首を横に振っていたが、晋太郎の母、政子が熱心に説得した甲斐があって戻って来たのだった。
/67ページ

最初のコメントを投稿しよう!

53人が本棚に入れています
本棚に追加