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いつもの日常
こんな物語は間違ってる。
なんで現実がこんなに辛いのに。現実はこんなに報われないのに。なんで物語の世界ですら人が幸せになれないの?
こんな物語は間違ってる。認めない。
物語くらいはハッピーエンドで終わるべきなのに。
なんでこんな物語を書けるのか。なんでこんな酷い目に会わせるのか。
僕は絶対に認めない。
全部変えてやる、この童話みたいに。
僕が持ってるこの優しい童話みたいに。
だから力を貸して欲しい。全てのバッドエンドをハッピーエンドに変えるために。
「分かりました。貴方の為ならなんなりと……。優しく、愛しい子よ」
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物語は最高だ。自分の狭い世界では経験出来ない知識や体験に満ちている。
僕は学校の図書室で読書を満喫していた。図書室の中心に設置されたストーブの近くまで椅子を引きずり、ストーブを囲むように設置された長机には緑茶の入った水筒を置いておく。ストーブの近くで読書をしていると喉が異様に渇く。長時間この場に居座り続けるには必須だ。芯まで冷えて強ばった体も心もじんわりと溶けていく。
クリスマスはとうの昔に過ぎ去り、正月はあっという間に終わり、今は1月中旬だ。寒さは厳しくなるばかりである。手に持つ本から一時視線を逸らし、外の景色へと視線を移す。窓枠は結露によって生じた水滴で湿り、外の天気はどんよりとした曇り空だ。春には校門から校舎の入口までの間を鮮やかな薄紅色で彩っていた桜も、今では葉も落ち果てて骨組みを露にしている。この時期に毎年眺める風景だ。
校舎に人はほとんど残っておらず、学校の敷地内に居るのは一部の者を除いて部活生と先生方だけだろう。グラウンドからは金属バットが打ち鳴らす快音と部活生の気合いの籠もった掛け声が仄かに聞こえてくる。あとは窓を優しく揺らす風の音とストーブから熱気と共に放たれる振動音のみだ。
なんて心地良い空気だろう。冬場の読書はこうでなくてはならない。冬の木々の殺風景な姿も、曇りがちの空模様も、冬独特の落ち着いた雰囲気を醸し出す。この静寂さはこの季節限定だ。読書の秋とは言うが、僕としては『読書の冬』に訂正するべきだとすら思っている。
そしてこんな落ち着いた空気の中で楽しむ読書だ。勿論、読む本だって自分なりに厳選している。
僕は再び手に持つ本のページに視線を戻した。
冬の寒々しい世界には後味がじんわり残るような、もの悲しい物語が心に響く。僕はデンマークの童話作家、ハンス=クリスチャン=アンデルセンの童話集を読んでいた。『アンデルセン童話集』と言えば誰もが聞き覚えくらいはあるのではないだろうか?
童話は子どもの読み物? とんでもない。そんな事を考えるのは童話の絵本しか見た事のない、知ったかぶりだけだ。活字の原典を読む事をオススメしよう。絵本とは違う印象を受けるだろう。童話は子どもが読んでも楽しめる本であったり、教養によい物が選ばれている物だ。子どもでも楽しめる作品なのであって大人でも十分に楽しめる物語は沢山ある。勿論、大人と子どもの狭間に位置する蛹の僕たちだって例外じゃない。
アンデルセンの作品を一つ挙げろと言われたら何が思い浮かぶだろうか。『醜いアヒルの子』、『マッチ売りの少女』辺りだろうか?
アンデルセンの書く話は暗い雰囲気の話が非常に多い。これはアンデルセンの人生観が大きく影響しているらしい。そう考えると、物語は作者自身の分身のように感じてくる。物語を読み進める度に、作品を網羅する度に、その物語を書いた作者がどんな人物なのかが頭に思い浮かんでくるような気がしてくる。
昔の人物に対面しているような、対話しているような。詩的な表現だが、僕としてはしっくりくる。
あぁ、本当に良い空間だ。これこそ図書委員の特権と言えるだろう。静けさに虚しく響く風の音、ストーブの振動音。そして廊下をバタバタと走る足音。……ん?
僕はふと我に返った。うわぁ、とうとう来ちゃったよ……。
廊下を走る足音は徐々に大きくなってくる。先程、学校には『一部の者を除いて』誰も居ないと言ったがこの足音の主こそ、その『一部の者』にカテゴライズされる人物だ。
足音が止まった瞬間、図書室のドアが勢い良く開かれた。
「語君まだ居るー?」
「語君ならもう帰ったよ。帰ったから綴さんも帰ってどうぞ」
「いやいや、ご本人がソレ言っても誰も騙されないからね? 『分かりました。じゃあ、サヨウナラ』とはならないし、やらないよ?」
僕の冗談に綴さんはおどけて返した。クリクリとした丸い目を見開き、イタズラ好きな子どもみたいな笑顔でニンマリと僕を見ている。
このテンション上げ上げキテレツ女子は綴さん。この⚫⚫高等学校の文芸同好会に所属する生徒だ。いつも僕を文芸部に引きずり込もうとしてくる誘拐未遂犯である。
綴さんは図書室のドアを勢い良く閉めると僕の隣に走り寄って来た。ぱっと見大人しそうな雰囲気からは想像だにしないパワフルさだ。
「ねぇ、今日は何読んでるの?」
そう言いつつも僕が答えるより早くしゃがみこんで僕が手に持つ本のタイトルを確認する。
「おー、『アンデルセン童話集』だね。さてはナイーブな気分に浸って大人な時間を楽しもうっていう魂胆だねぇ。おませさんだなぁ」
綴さんが肘でウリウリと僕の肩をつついてくる。僕に発言する暇を与えない作戦かなにかかな?
「ねぇ、綴さ…」
「あー、待って待って。私も椅子持って来るから。シッダンプリーズ」
綴さんは僕の言葉を遮りながら近くの椅子を引きずって僕の隣に移動させている。頼むから僕に発言権をくれ。
「あのね綴さん」
「ん?」
ようやく僕に発言権が移ったようだ。綴さんはカバンから本を取り出しつつ読書モードに入ろうとしている。
「毎回のように図書室に来るけど、部室有るんだから使わないと必要ないと思われても知らないよ?」
「良いんだよぉ。私は部室じゃなくて仲間を求めてココに来てるんだから。ココで良いの」
綴さんはドヤ顔で僕にそう返してきた。
……。本当に綴さんは。そういう事を真っ直ぐ目を見て言って来るから苦手なんだ。っ! ダメダメ! 顔が緩み掛けた。もう、本当に勘弁して欲しい。あまりこういうノリに対して僕は免疫がないんだ。
顔に力を込めて、舌を噛みながら緩みそうな顔に活を入れる。変な顔になってないだろうか。少し心配だ。
そんな事を思っていたら綴さんが腰を曲げて僕の顔を覗きこんできた。やめて、本気でやめて。
「綴君、顔が変だね。いや、造形的な意味じゃなくて、表情的な意味でね?」
バレてる。あぁもう。顔が赤くなりそうなくらい恥ずかしい。もう耐えられない。
「僕トイレ行くから。あ、勝手に水筒飲まないでよ」
「あー。だから変な顔してたわけだね。りょーかい了解。大丈夫、大丈夫。水筒は飲まないから」
水筒『は』の部分が気にはなったけど、これ以上居るとボロが出る。一旦離脱しよう。
僕は顔の火照りを冷ますべく図書室の外へ出た。
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