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お世辞にも良い出来とは言えないビスケットを齧りながら、私はつい数年前の出来事に思いを馳せた。
祖母を亡くした冬のことだった。
祖母は雪解けの始まる頃亡くなった。初雪の頃はまだ何ともなかったのに。「まるで雪みたいね、私」と祖母がポツリと呟いた。返す言葉を探しているうちに、静かに息を引き取った。寝顔は微笑んでいた。
遺品を整理していると、一本の襟巻が見つかった。生前編んでくれると約束してくれていたものだと一目で分かった。祖母はマフラーを襟巻と呼んでいたから、これはマフラーではなく、正真正銘の襟巻だ。襟巻はあと本体と毛糸とを切り離すだけだった。特にメモ書きなど残されていなかったが、何となく意図が分かる気がした。どうやら祖母は不器用な私に、自分の手で完成させて欲しかったらしい。
引き出しからそっと鋏を取り出す。これも祖母が生前愛用していたもので、この襟巻を完成させるにはこれが一番相応しく思われた。
緊張の瞬間。もちろん失敗のしようなどないことは分かっている。だが、何か触れ難い空気をその襟巻がまとっているような気がしてならなかった。胎児と産婦とをつなぐ臍の緒を切るような、あるいは遥か昔に信じられていた魂を結びつけるという霊の緒を切るような、そんな重大なことに思われた。同時に、切らなければならないという使命感に苦しめられた。これを切るまで祖母との別れを受け入れきれないような気がして。
襟巻を完成させると、数日ぶりに外に出かけてみようという気になった。外ではだいぶ雪が融けつつあって、子供達が作ったであろうかまくらはもう土台部分を残してほとんど融けていた。
――雪だるまも、あと数日の命だろうか。
突然、目の前の雪だるまについ数日前の祖母の姿が重なった。無力感に襲われた。その場を去りたかった。足は動いてくれない。本当は何かしてやりたい。だが、私には何も。何もできない。そんな時、襟巻がはらりと肩から落ちた。
「これだ!」
無意識に声に出ていたらしく、丁度散歩中の犬には吠えられ、子供には後ろ指を指されたが、そんなことはお構いなしで雪だるまに襟巻を巻き付けた。久々に童心に還って、どんな巻き方が可愛いかなんて考えながら。巻き終えると、妙な達成感があって、襟巻をしていない寒さなど忘れ切っていた。
翌日、見事に風邪を引いた。風邪を引いたら祖母がお粥を作ってくれるのが定番だったが、その祖母はもういない。ゼリーを吸いながら一人寝るしかなかった。外は晴れて、寒さが綻びつつあるようだった。
風邪が一通り治ると、襟巻のことが恋しくなった。祖母が最後に遺してくれたあの襟巻。世界にたった一つしかないあの襟巻。正直マフラーのことを襟巻と呼ぶ祖母を古臭いと馬鹿にしたこともあった。だが、あのマフラーは、あの襟巻だけは、間違いなく襟巻である。取りにいこう、いや、迎えに行こう。風邪を引いている間にすっかり雪は融け切ってしまったらしく、冬は子供たちの遊び場だっただろうかまくらも、冬の風物詩雪だるまも、跡形も無かった。あの雪だるまは、あの襟巻を巻いた雪だるまは、どこだろうか。おおよその場所を辿ってみると、襟巻の巻き付けてある電柱を見つけることができた。
電柱の傍らには小さな氷の粒があった。恐らくこれが今季最後の雪の粒だろう。まるで私を待っていたかのように、私が見つけるとあっという間に風に馴染んだ。
襟巻はこのままにしてしまおうか。飾り気のない電柱のアクセントになりはしないだろうか。いやそうもいくまい。電柱だって、夏に襟巻をしていたら暑いだろう。くだらないことを考えながら、その襟巻を解いてやる。襟巻からゴソゴソと音が鳴った。慎重に取り外す。襟巻と一緒に、紙袋が巻かれていたようだ。中にはビスケットと一枚の紙。
紙には拙い字でこう書いてあった。
マフラーをありがとうございました。
ぼくのゆきだるまは町で一ばん長生きしました。
ほんとうにありがとう。
おばあちゃんがおれいしなさいよとビスケットを作ってくれました。
ぼくのおばあちゃんひでんのビスケットです。
このかみのうらにレシピをかいてもらいました。
よかったらつくってみてください。
この子には祖母がいて、私にも祖母がいた。
何となく不思議な気持ちを噛みしめながら、雪の融けた大地を踏みしめた。
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