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「あのLINEの意味は何?」  康之が言った。唇から白い息が漏れた。私は病院を出た後、彼に 『私は知っているよ』  とだけ送っていた。 「由貴を怪我させたのは貴方でしょう?」 「何を証拠に?」 「私は警察じゃない。物的証拠とかは求めていない」 「へぇ」 「あの日、武田教授から貴方が部屋に来たと聞いた。由貴がゼミ棟にいた時間と被るから、頭の中で繋げてみただけ」 「それで犯人扱いされても困るね。大体、オレに突き落とす動機もない」  彼は薄ら笑いを浮かべて言った。  その笑みを見て、さっき飲んだコーヒーが胃から逆流するような気がした。 「……よく、由貴が突き落とされたって知ってるね? ニュースではゼミ棟で倒れてたとしか報道されてないのに」  康之は笑みを浮かべたまま、左眉を釣り上げた。 「誘導尋問……だった?」  私は首を横に振る。 「そんな上等な会話じゃないよ。貴方は勝手に喋っただけ。ミステリーにもならない」  私の言葉を聞いて、康之は笑った。 「……だってアイツ、志乃に余計なこと話してただろ?」 「余計なこと?」 「卒業単位が足りてないとか、また就活してるとかアイツから聞いたんだろう?」 「そんなことで……」 「そんなこと? こっちは名誉棄損で訴えたいぐらいだよ。勝手に人のプライベートを君に伝えてるんだよ?」 「由貴の話が本当か嘘かは、私が決めることだよ」 「君に誤解されたくないんだよ」 「違うよね?」  康之が眉をひそめた。 「貴方は、何もできていない自分を知られたくなかっただけ」 「何を……」 「『もっといい大学に行けた』、『実力で単位を取りたい』、『もっと自分にあった企業を探したい』、貴方は言っているだけ。夢だけ見てて、何者にもなれていない。できること、できないことの区別ができていない」  やっと伝えることができた私の言葉に、彼は一つ頷くと、哀しそうな顔で空を見上げた。 「志乃までそんなことを言うとは思わなかった。結局、志乃も『普通の人』なんだね」 「普通の人?」 「思えば就活したあたりからそうだった。髪を真っ黒にして、みんなと似たようなスーツ着て、そこらの女と同じく、いくらでも代わりのきく『量産型』になっちゃったんだね。出会った頃の志乃のままでいてほしかった」 「私は……私の現実を見た上で将来を考えただけだよ」 「そうやって自分の可能性を否定するのはよくないよ。老人が東大に合格したり、二十代後半でプロ野球選手になったり、世の中には……」 「…そんなすごい人がいるのは知ってる。でも、その人たちは夢を諦めず、人一倍、いや何倍も努力してきたんだよ。貴方も夢を実現したいなら本気で努力しなよ! あっちがうまくいかなそうだから、じゃあこっち……食い散らかすだけで、貴方は現実から逃げ続けてるだけ」 「オレが本気でやってないとか志乃にわかるの? やっぱり大手の内定出てるからって見下してる?」 「見下してるのは貴方だよね? プライドを守るために。劣等感によじ登って、相手を見下して、『アイツらとオレは違う』って劣等感を優越感に置き換えて、気持ちを満たしてるんでしょう?」 「志乃だって、オレと近い考え方してるだろう?」 「貴方と私を一緒にしないで」  そう言った瞬間、康之の瞳が光った気がした。彼は階段を一段降りた。そして右腕を振り下ろした。私の左頬に衝撃があったかと思うと、身体ごとアパートの壁に叩きつけられた。頭がクラクラして、そのまま階段に崩れおちそうになった。  しかし、彼は私が倒れることを許さなかった。私の襟首を掴み上げると再び壁に叩きつけられた。私が苦痛の声を漏らす暇もなく、康之の冷たい手のひらが私の首を締め付けた。  もはや何を言っているのかわからないような奇声を康之はあげていた。  私の目から涙がこぼれるのがわかった。  これは何の涙だろう。自分に問いかけるが、息もできない苦しみが、私の思考を奪っていく。  このまま死ぬんだ。  どうしてこうなったのかな、そう思っている時だった。
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