鮫洲のホームでまっていること

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 電車はおくれることがある。京急もまたある。  きのうは台風のおかげで京急はとまっていた。ほとんどの電車がそうである。けさから順次うごきはじめているようになったのであるが、おくれはおくれのままとしてのこっている。三浦のほうからくるのであるから、そういうことにもなろう。  雨のための混雑、お客さまトラブル、車両故障、沿線火災、変電所トラブル、停電、システム障害、踏み切り事故、お客さま転落、振り替え輸送、お客さま体調不良、もちろん人身事故、と、電車のおくれるわけというものがある。  雨はよわい霧雨となり、吹きかえしの風のため、鮫洲のホームの屋根のあるところまで、ぬれている。ホームにたっていると、いろいろなことを考える。まっているから思うのか雨がふっているから考えるのか思うのか、ふってくるからか、考える。  電車はこない。むすめも、 「ぬれる」 といって、もうひとりいる知らないおばさんの近くの階段のかげにかくれるようにいて、わたしはそれをおおいかぶせるかのようにしてホーム側にたっている。雨のふる雲のひくさながれのはやさを見まもるように見ている。それをむすめも見ている。  電車をまっている、電車のこないのをまっている、けしきというのもあるのだなあ、こういうふたりのけしきもあるのだなあ、と思ってみている。けしき側からすれば、それはこない電車や雨や雲や空というものが、見られているのか、とも思ってみたりもしている。ホームの側にたっている、というのも、そういうことにふくめられているのであろうか、とも思ったりもするし、むすめも思うことがあるのかないのか、ふたりでこない電車をまっているというのはこういうけしきなのであろう。こないけしきもあるのかもしれない。 「さむい」 といって、むすめはさらに階段を2、3段おりては、雨をしのいで、風にかくれている。わたしもむすめをさらにふさいでる。見知らぬおばさんもおくにちぢこまっている。電車は上りも下りもこない。すこしだけ雨はよわまった気もするけど、気だけであろう、風もつよい。むこうに見える公園の樹を見ればわかる。  霧雨はつづき、ホームぜんたい鮫洲の駅をぬらしている。ひとつ上りの快特がふつうの速度でとおり過ぎていく。これでもさきはつまっているのであろう、そして駅ぜんたいはいいろの空雲につつまれていて、むすめは不安のかおをひょっこりのぞかせている。 「こないね」 「こないね」 とあいづちをうっている。 「さむいね」 ともいっている。  台風は東北の沖までいっているのに、まだはしくれのわるあがきはおわらない。まあ、でも、そろそろ、ぽかんと晴れまもあいてくれることであろう、と思うも、電車はまだこない。下りもまるでこない。ホームでまっているのが孤立しているように感じる知らないおばさんもいるけど、霧雨にまじり、ふたりはそこにいて、電車をまっている。ようやく下りの快特が過ぎさっていく。雨の鮫洲のホームのまっているけしきにふたりはいる。
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