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可愛
スカートの中にロマンがある。その言葉には女の子という前提があって成り立つものに聞こえる。でも僕にそんなロマンはいらない。スカートの中にはボクサーショーツがあるだけだ。
目を覚ました僕はジャージ姿で布団から出る。まだ外は静かな朝だった。微かな青い光が地上を照らし始め、いろんな人間が起床しはじめる。鏡の前に立つと寝癖が重力に逆らっていることに気づき、歯を磨く。不味い液体を吐き出しリビングに戻り、ライターで火を灯しスッキリした口内に煙が広がる。この一服が脳に朝を知らせる。スマホの通知を開きメッセージを確認すると、可愛い絵文字と共に今日の集合時間が書かれていた。
『今日10時にいつもの喫茶店ね、忘れてないよね?』
『忘れてないよ、おはよう』
可愛い絵文字をつけることなく素っ気なく返信してしまった。スマホを布団に投げ、ベッドに倒れ込んだ。
ピンポーン。ピンポーン。
その音で目を覚まし、急いで時間を確認する。とっくに10時を回っていた。マナーモードにしていたスマホも何度も振動している。電話だ。布団を蹴飛ばし玄関へ小走る。
「ごめん、爆睡してた」
「知ってる、もう家上がっていい?」
「あ、うん」
佐藤の今日の服装は黒い無地のワンピースに赤いニット帽を被り、白いロングソックスを履いていた。リビングに入って、羽織っていた黒いダッフルコートを脱いでソファの隅に畳んで置いた。彼はもちろん男性だ。唯一のお互いの理解者であり、良き友人だ。
「早く着替えなよ」
「え、今日どっか行くの?」
「まじで言ってんの?喫茶店行ったあとに映画見に行こって言ったじゃん。喫茶店は誰かさんのせいで行けなくなったけど」
「ごめん、着替えます」
死んだように眠っていたせいか記憶までどこかに置いてきたらしい。さっそく服を脱ごうとすると、佐藤は後ろを向いてくれた。気を利かしてくれたのか、後ろを向いてスマホを弄っている。性別なんて関係なく、こういうのが凄く心地良い。
「着替え終わった?」
「うん」
佐藤がスマホを置いてこっちを見た。
「可愛いじゃん!そんなスカート持ってたっけ」
買ったばかりのネイビーに赤いラインが入ったチェックのスカートに、白い無地のネルシャツをインして着ている。アウターには薄いデニムのジャケットを羽織った。
「数日前に買ったばかり」
「似合うよ、可愛い」
男だからメンズの服を着るのが普通なんて概念は僕らには無い。可愛いものが好き、それだけ。お互いに生きやすいように生きてる。佐藤が隣に歩いてるだけで周りの視線なんて気にならなくなる。最高に可愛い二人が歩く道に邪魔なんて入る余地がない。誰かから見て素敵かどうかなんて、死ぬほどどうでもいいことだ。自分で自分を素敵だと
愛せればそれが1番素敵。
「この前言ってた赤の口紅持ってきたよ」
ポーチの中を漁りながら佐藤が言った。
「ありがとう、塗らして」
「いいよ塗ってあげる」
少し照れながらも唇を預けることにした。変な感情も湧かさずに自然とこういうことが言える佐藤が羨ましく思う。鏡にほんのり赤く染まった唇が映る。
「赤も似合うじゃん、肌白いから余計に合うよ」
「赤も可愛いね、佐藤っぽい」
「うん、キスしたくなるほど綺麗」
「いや嘘でしょ」
「うそ。でも似合うはほんと」
口元が美しいのは良い。品がある。そこにももちろん性別は関係ない。僕の中で口紅は自己満の下着と同じようなもので、自分の好きな色を塗るだけで気分が上がる。
「ありがとう」
準備をして家を出た。
映画上映中、こんな台詞があった。
『貴方は貴方でいればいいの、結局他の誰かの人生なんて歩めないんだから。あの人みたいに、なんて考える暇があったら鏡の前で全裸になりなさい。自分を愛すの』
誠にその通りだと思った。あの人みたいに生きれば浮かずに済むとか、とりあえず周りと同じ服を着れば埋もれるとか、安心を勘違いしてはいけない。自愛。自惚れていい。
だから僕らのスカートの中にはボクサーショーツが隠れている。胡座はかかない。
「あの台詞は刺さったね」
映画終わりに、これなかった喫茶店に寄った。珈琲を啜りながら映画の話を持ち出したのは佐藤だった。
「自分を愛すの」
「そう、鏡の前で全裸になりなさいってのはわかりやすい表現だね。ありのままを見て愛す。足の裏とか太ももの裏とかつむじとか、全部見るくらいの勢いで自分探しするんだよ。もちろんお尻の穴まで」
少し照れくさい台詞にアイスレモンティーを飲んで誤魔化す。
「小っ恥ずかしい台詞よく言えるよね」
「だってそう思うし共感するから。素敵なことは口にしなきゃ」
「まぁ、共感はわかるけど」
佐藤は声にしたい言葉と、声にすべき言葉を理解している人間なのだと思う。僕とは違って器用な人間。でも僕は不器用なままでいようと思う。佐藤の器用さにもうちょっと甘えて生きたい。
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