冬のソロキャン

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冬のソロキャン

 寒空の下、週末に男1人で郊外の里山まで来た。町に面した広大な森林地帯だ。  冬でも開いてるキャンプ場が近場にはここくらいしか無かったのだが、初心者の自分にとってはちょうどいいだろう。  本当は妻も来てくれたら嬉しいんだが、寒いのも森なのも死ぬほど嫌らしい。俺がこうしてキャンプを始めてもう1年経つが、最初の頃はかなり反対された。今ではなんにも言われなくなったから妻も寛容になったんだろう。  今日は天気予報で晴れだけど最低気温が2度らしい。俺以外に人はいない。静かな森を堪能できると思えばそれはそれでいいのだが、とはいえ若干心細い。熟練のキャンパーは慣れっこなんだろうか。  テントを立てて、火を用意する。 焚き火可能な場所は嬉しい。火を眺めるのは心落ち着くから好きだ。このためにキャンプに来てると言ってもいい。  食事にこだわりの少ない俺の晩飯はお湯を沸かしたカップ麺と酒のつまみになるチーズのカリカリ焼きだ。  チビチビ缶ビールを飲みながら、火を眺め時折つまみに手を伸ばす。傍らでワイヤレススピーカーから音楽を掛けても迷惑にならないのも冬キャンプの利点の一つだ。  3本目の缶を開けた頃、動物の鳴き声すらしなかった森の奥から奇妙な音が響いてきた。  カーン……カーン……カーン……  一定のリズムで何かを叩く音。  俺の後ろの方から聞こえた。その方角は町へ繋がる道が通っている。あとその手前に神社があったか。 ――もしかして丑の刻参りってやつか。  たしかに聞こえる音は金槌で釘を叩く音にも似ている。それにずっと一定の間隔で音が聞こえてくる様子から、脳裏にはロウソクを頭に巻いた白装束の鬼女が浮かんでくる。  時刻はいつの間にか24時を回っていた。  寝るには早いがやることも無い。  俺はよくない考えを思いついてしまった。  焚き火を消し、酒を飲んでいたのに近くだからと車に乗り込んで町の方へ走った。  窓を開けると、まだ金槌の音が聞えてくる。期待から一層アクセルに力が入り気分も高揚してくる。  俺が停車したのは神社の参道入口。  森の入口付近にある地元で信仰されてきた由緒ある場所だ。  だが夜間は流石に不気味極まりない。スマホのライトがなければ何も見えない森は、暗闇という人間の根源的な恐怖を呼び起こす。  カーンカーンカーン  さっきより速い間隔、大きな音量で叩く音がしている。  そう、本当に丑の刻参りをしているならその様子を見てみたいと、ここまで来たのだ。方角と儀式に相応しいであろう場所を考えて神社に来たが正解だった。  この先にいるのは間違いない。  見つかるとマズいと思ってライトは下を向けながら慎重に落ち葉と落枝だらけの参道を歩いた。  カンカンカン、カンカンカン  儀式は激しさを増しているみたいだ。  1回に何時間やるのか知らないが、もう1時間は叩いている。これを1週間続けなきゃいけないとは、相当な恨みがなければ完遂できないだろう。  多分シラフだったらここまで堂々と探索に行けないと思う。普通に考えても他人が他人を呪う姿なんて恐ろしすぎる。  歩みが遅いせいか本殿まで20分くらいかかってしまった。日中だったら5分足らずで着く距離だ。  当然境内に街灯なんてないから真っ暗。神主も別の場所に住んでいるようで人の気配はないように感じる。  カンカンカンカンカンカン  でも、音はする。  儀式の主はどこにいるのか。  ここまで来ると早くこの目で見てみたい気持ちが高まってくる。  本殿裏の森や境内の御神木を照らしてみるも、誰もいない。  確実に音の発生源に近づいてはいるんだが……。  それを辿っているうちに俺は笹原が生い茂る暗い森林に入っていた。  たぶん、数十m以内にいる。  そう感じてスマホのライトを消した。  完全な闇に、小さな光が2点浮かんでいた。よく見ると、それはロウソクの火だった。  カン、カン、カン、カン、カン、カン  この緩やかな斜面はいくらそっと動いても草や地面で物音がたってしまう。できる限り頭を下げて腰を低く 四つん這いでさらに近くに移動した。  カン、カン、カン……死ねぇぇぇ!  憎しみの言葉が聞こえた時、鳥肌が一気に立った。  この場に唯一の灯りを儀式の主が持っているのも、生命線を握られているようで気が気じゃなかった。  しかし目が暗闇に慣れたおかげで、その姿がだいぶ見えてきた。  服は日常生活に使うような普通のもの、ただ服装から女性だとわかる。声からしても低い唸り声のようだが恐らく女性だと思った。  髪は長く右手に金槌を握り締め、杉の大木に括りつけた藁人形へ長い釘を何本も呪詛と共に打ち込んでいた。  改めて目にすると本当にやる人がいる事実に驚いた。  その光景を眺めていると、徐々にいったいどんな人がやっているのか顔も見たくなってきた。  でもこれ以上近づくのは危ない。  そこで俺は足元を手探りし、丁度いい大きさの石を拾って、斜面の上に向けて投げた。  ガササッと当たった草木が揺れた。  女は作業をやめて、その方へグリンと首を回した。  注意が逸れている隙に俺は顔が見える距離にまで這って進んだ。  上体を起こして見上げれば、鬼女の顔が見える。 「あッ!!?」 「誰だァ!!」  女の顔を見て叫声を出してしまった俺。  神経の張り詰めた女の意識がこちらに向けられる。  息を止めて口を噤み身体を地面と一体化させる。  女は俺より斜面の上にいるから深い笹原が隠れ蓑になって見えない……はず。  しかし顔が見えなくても、ずっと俺の方を探しているのがひしひしと伝わってくる。  それは明らかに儀式を邪魔された怒りの感情だった。  丑の刻参りは人に見られたら、呪いが自分に返ってくる。  伝承によれば、女の呪いは失敗に終わっただろう。  けれど今この場から逃げなければ俺は殺される。  何分待っても女はそこから動かず金槌の音も再開されない。  恐らく俺が痺れを切らして動き出すのを待っているんだ。  俺が助かるには、あれしかない。  さっきと同じように、うつ伏せに寝たまま手頃な石を拾った。  高鳴る鼓動に急かされぬよう、静かに深呼吸を繰り返す。  心が落ち着くのを待って、俺は立ち上がると同時に手にした石を女に向けて投げつけた。 「ギャァ!」  石は女の左目に直撃した。首を締められた鳥のような声がした。  俺は転げ落ちるように斜面を下った。  そのままスマホのライトを片手に来た道を猛ダッシュで引き返した。  後ろから「あ゛あ゛あ゛ま゛ぁ゛でぇ゛ぇ゛ぇ゛!!!」と怨念が聞こえてきたが、無視して車に飛び乗って、町のコンビニまでノンストップで走り抜けた。  俺は恐怖に震えたまま朝まで時間を潰した。  早朝、キャンプ場に戻って荷物を回収して管理人へ一声かけて、長い夜から帰路に着いた。 「……ただいま」  8時頃に家へ帰った。玄関扉を開けて一応帰宅を知らせた。 「おかえりー」  廊下の奥から妻の声がしてビクッとした。早起きの妻だから返事がしたことには驚かない。  俺がキャンプ道具を車から運び出していると、妻が外まで出てきた。  その姿を見て心臓が跳ね上がった。 「ど、どうしたの、その顔……?」 「ああこれ? 昨日の夜階段で転んでぶつけちゃって…イタタ……」 「そそうなんだ、気をつけてね」 「うん、ありがとう……私も荷物しまうの手伝うわ」 「……ありがとう」  俺の横で車からゴミ袋を運び出す妻の左目周りは血が滲んだガーゼに覆われていた。
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