注文の少ないレストラン

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 彼は何かに裏切られたような気分だった。学校では何年もかけて料理の基礎を学び、修行中は失敗し悪態をつかれる毎日。その後も店を点々としながら研鑽(けんさん)を重ねてきた。下ごしらえのために朝も早く、夜も遅くまで働く。開店時間をむかえれば、厨房(ちゅうぼう)には緊張感が漂い、気を抜くこともままならない戦場と化す。その経験、積み重ねが、電子レンジのような安っぽい機械に取って代わられてしまうなんて受け入れられるはずがない。機械が調理中に出していた虫の羽音のような音が耳から離れず、彼は耳元の空気を手で振り払った。  科学技術の発展とはこういうものなのだろうか。機械は冷ややかに人間の(つい)やした時間や労力を(あざ)笑い、今までの人生が無意味だったと切り捨てる。絵画に対する写真もこういう感じだったのだろうか。写真の場合は実用に堪え《た》えるレベルになるまで段階的に改善されていった。その意味では、この調理器の方がやはり衝撃が大きいようにも思われる。なんせ、突然完全な状態で現れたのだから。料理人に心の準備など出来ていようはずもない。これが普及してしまえば並の料理人は居場所を失ってしまう。  ここまで考えて、佐藤はふと不思議に思った。この技術は普及し得るのだろうか。使っている店など、あの店をおいて他に聞いたことがない。家に着いたらこれについて少し調べてみよう。敗者のように力なく歩いていた彼は、生気を取り戻して家路(いえじ)を急いだ。  調べた結果を端的に言ってしまえば、『何も分からない』であった。この技術に関する情報がないわけではないが、分からないという情報ばかりなのだ。元々ディスプレイ等の映像技術で有名だった会社が、突然この調理器を世に出した。見本市や展示会にも出されたことはなく、どうやら特許も申請されていないらしい。完全に社外秘として扱われているということなのだろうか。あれだけの技術、大勢いるはずの関係者が皆口をつぐんでいるということだろうか。なんとも煮えきらない話だった。  彼はその後も、少し調べては心のしこりを育て不機嫌になるという、気持ちがいいとも意味があるとも言えない作業を繰り返していた。  そんなある日、いつものように無気力にモニター上に目を走らせていると、ひとつの広告が目に入った。例の店の求人広告であった。新店舗をオープンするのでメニュー開発のために料理人を雇いたいというのだ。  佐藤は即座に応募した。彼にとって求人に応募するというのは気持ちがいいものではない。転職経験が多いため書類審査で落とされることも少なくないし、面接も苦手だった。それに加え、採用されたとしても、どうせ長続きはしない。また職歴欄がひとつ余計に埋まるだけだと思うと(さい)の河原にいる気分になるのだ。しかし今回は一切の躊躇(ちゅうちょ)がなかった。彼は採用される気など微塵(みじん)もなかったのだ。ただ書類審査だけ通ればよかった。佐藤は面接の席で文句を言ってやりたいだけだったのだ。
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