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18◆7月・復讐者の弱点
復讐を果たすためカタキ相手の暮らすロベリートスの屋敷にシエラが住み着いてから半月が経過した。
その間に最大の復讐相手ウィルと行っていた行為といえば、頭脳戦や肉弾戦の影も形もないキスや抱擁。
当初の意気込みはどこへいったか、日に日に恋心は深みを増してゆき、求めたくなる日々。
現時点では「体を重ねない」と自らに強く言い聞かせているが、今後どうなるか自信の持てない現状だ。
ウィルは優しくて温かくて、声も耳障りよく側にいてほしい人。認めざるを得ない存在となった。
だけどシエラの大切な者たちと故郷レスタを奪ったカタキだ。甘えは許されない。彼にも自分自身にも。
復讐しなくては……!
ここへ来た本来の目的を叶えるべく、自室で決意を固めた。ウィルや彼の部下たちに復讐だ。
とはいえ口先だけで解決できる話ではない。当然行動が必要だ。
探偵事務所に勤務していたとて武器の使用経験もなく方法が定まらない。
同様にキックボクシングで鍛えてはいても、直接攻撃では場数が違いすぎて歯が立たないことは明白。実行するだけ無駄だ。
よって卑怯でも狡猾な方法を選ぶことが得策。最終的に選択したのは薬物だ。
多量の薬を飲ませ苦しませる作戦。粉末状の風邪薬を購入し食事に混ぜるのだ。
この日、夕食の買い出しに紛れて薬の購入を実行。手にした瞬間どうしてか切なくなり、帰宅してからも引きずった。
◆
実行日と定めた当日のダイニングルーム。
午前10時恒例の新聞チェックを黙々こなすウィルと、これまた恒例となったコーヒーを差し出すシエラ。
男の傍らで彼女は動作を止めた。
「あの……」
「ん?どうしたの?」
テーブルに広げた紙面から目線を上げて彼は穏やかに返答した。
毎日眺めていても慣れない美貌にシエラはまずドキリと胸を鳴らす。
神秘的な黒い瞳に見つめられると、たとえカタキ相手であろうと萎縮するのだ。
ただし見惚れてばかりはいられず、強制的に己を呼び戻して話題を放った。
「今夜は仕事か?」
「ないよ。屋敷にいる」
何の疑いもなく事実を告げる。そのうえ目ざとく気がかりを認めた。
シエラの表情がいつにも増して強張っているのだ。
「嫌なことでもあった?ケイにいじめられた?」
「あ、ん……昨夜、怖い夢を」
復讐を前に緊張し、無意識に顔に出ていたようだ。とっさの嘘で場を繕う。
見抜かれたのではと冷や汗を浮かべるシエラ。対して優しい暗殺者は臆病な21歳の恋人候補に好感を深めた。
「それでひとりが嫌になってオレの在宅調査?オマエは本当に可愛いね」
怖がりも下手な男言葉も、ウィルには彼女の言動の全てが愛しい。故に発言も顕著。
「今夜は側にいてほしいの?一緒に寝る?」
親切より下心を感じたシエラは遠慮なく首を左右に振った。
滞在が確認できればそれでいい。
今夜が勝負を仕掛ける時。準備もあるしこの場はもう用済みだ。
決意を鈍らせないためにも早々と自室に引いた。彼の穏和な言動を見ていると躊躇いそうな気がした。
締め付けられるような胸の痛みには気づかぬフリ。それ以外に手段のないシエラであった。
*
最後の晩餐とばかり、夕食は彼の好物であるパスタを選択。
加えて夏野菜のトマト煮とコーンサラダ。少食のウィル用メニューだ。
「今夜も美味しいね。いつもありがとう」
海鮮パスタを器用に口に運び満足そうに労った。味はもちろんのこと彼女という存在が心を満たすのだ。
シエラは無言で厨房に入った。彼からの謝礼なんて不要。復讐を遂げようとする女には身に余るものだ。また胸がチクリと痛んだ。
コーヒー好きでもある彼の生涯最後の食事に愛飲品を淹れてあげる。そして服のポケットから個包装された粉末状の薬を4袋取り出した。
心臓が早鐘を打つ。必要以上に背後が気になり何度も振り返った。
ガタガタと手が震える。それでも何とか粉末は薄茶色の液体の中に沈み、何度も何度もかき混ぜて溶かした。
隆起した感触が底になくなったのを認めると大きく深呼吸。心を冷血にしてカップをトレイに乗せた。
ダイニングルームでは食事を終えたウィルがコーヒーを待っていた。
「どうぞ」
「うん、ありがとう」
無垢な笑顔がシエラの罪を更に責める。冷血は罪悪感へと姿を変えようとしていた。
ひと口ふた口と飲み進める男を見ているのが困難になった瞬間、得体の知れない感情が内から飛散した。
「やめて!薬を入れたの!」
手元に飛びつき叫んだのと、ガシャンとカップの割れる音が響いたのは同時だった。手を離れたカップは床で無惨な姿を見せている。
俯いたまま腕にしがみつく女を、黒い瞳は何事もなく見下ろした。
「ああ、それでオマエの気が朝から乱れてたんだ。で、何をどれくらい入れたの?」
「……風邪薬を4袋」
震えた声から届いた内容に彼はフッと吹いた。美貌には楽しそうな様子がはっきり浮かぶ。
「それじゃあオレは死なない。殺せないよ。毒や異物には慣らしてある。少しくらいじゃ死なない。殺したいならせめて睡眠薬10錠は入れないとね」
これは真っ赤な嘘である。毒など飲んだ試しもない。映画で見知ったセリフを拝借させてもらったのだ。
嘘を真に受けたシエラはますます己の罪を悔やんだ。
初めから実行してはいけない行為。この裂かれるような心の痛みは神が与えたもの。罰が当たったのだ。
行為の重大性を思い返し身を震わせた。頭部をあげて黒い瞳に己を映す。
「ワタシのしたことって殺人未遂だよね?ワタシ、ワタシ……」
「大丈夫だ。オマエに良心はある。だから量も少なかった。本気じゃなかったんだよ」
「冗談でこんなことしない!普通の人はしない!」
「オマエはどうしてほしいの?警察に通報されたいの?」
肩を掴むウィルの手に振動が伝わる。シエラは恐怖に震えてパニック状態。
理解力が今の彼女に備わっているか疑わしいが、美しい悪魔は冷静に諭し続けた。
「あのねシエラ、オマエをこんな衝動に駆り立てたのはオレが原因だ。しなくてもいいことを強制されたんだ。オマエは悪くないよ」
温かく庇い立てされ申し訳なさにシエラの胸は一杯。
言いたいことは山とあるが、わなわなと震える唇からは一言の声も出せなかった。
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