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【6】
「団地?」
想像できない、という顔で秋月さんは聞き返した。「どこに?」
私が小学校に入る前、東京から移り住んだ山間の集落には、国道側からは決して見えない場所に二棟並んで団地が建っていた。所謂、集合住宅だ。
「角度的に他所からは見えないんです。国道側を向かずに、山の斜面でいうとその反対側に建っていたので」
秋月さんは驚きの声を上げた。
「全然知らなかった。え、そこに住んでたの?」
「はい。そこは開発事業の一環として、事業関係者とか、その家族とか、あるいは土地を明け渡したはいいけど一時的に住む場所を失くした人たちが他所の土地に移るまでの繋ぎで住むような、ちょっと変わった目的で造られた住宅だったんです」
「そんなことあるんだねえ」
「一般的かどうかは分かりませんし子供の記憶なんであれですけど、私はそう聞いています」
「なんか、採掘場とかに併設されてる社宅みたいなイメージなのかな」
「ああ、そうかもしれませんね。だけど気合は入ってましたよ。普通に鉄筋でしたから、その後も残すつもりだったんでしょうね」
「今もうないの?」
「新開くんからはないって聞いてますけど、実際現場を見に行ってはないです」
「そうなんだ。そこで旦那と出会ったのが最初なんだね? 幼馴染ってことだ、じゃあ」
「お互いが覚えていればそうでしたけど、私も彼もそういう認識はなかったんです。ただ単に昔話をしていて、あ、そこに住んでたことある、え、私も!みたいな」
「どれくらい住んでたの?」
「私は一年も居ませんでした。母がやはり東京が良いと言って、二人で戻ったんです」
「あはは、そっかそっか。あいつは? ふふ、旦那様は?」
「もぉー。新開くんは、中学くらいまでいたそうです。中二って言ってたかなあ、確か」
「そりゃあ会ってても分からないよね。小学校の一年生同士で、しかも二年生になる前にあんたは引っ越したんでしょ?」
「そうなりますね。ましてや向こうは、一つ下ですし」
「そうだそうだ。……ああ、でも、今『団地』って聞いて思い出したんだけど」
「ええ」
「もしかして、美晴台の崖団地ってところ?」
私は思わず声を上げて笑い、そうですそうですと何度も首を縦に振った。もちろん『崖団地』というのは正式な名称ではないが、山の斜面に建っている為当時からそう呼ばれていた。懐かしさのあまり、先程大声を出して叱られたことも忘れてまた大きな声で笑ってしまった。が、秋月さんはそうではなかった。私を見つめる彼女の目には、ひとことで言うと「暗さ」が浮かんでいたのだ。不安と、ほんのちょっとの恐怖が入り混じった、本能的な暗さだった。
「ねえ、こういう言い方はよくないけどさ、あそこって」
秋月さんはそう言うと、アイスコーヒーの入ったグラスで顔の中心を隠し、そして片方の目だけをスッとスライドさせて私を見た。「あんまり良い噂聞かないよ?」
分かっている。分かっているからこそ、今日、秋月さんをお呼びたてしてまでこの話をしているのだ。私は頷いて、手島スペシャルと名のついたクリームパフェの底から白玉を救い出して、こう言った。
「最近、あの団地にいた頃の夢を見るんです」
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