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【1】
『一日の中で一番好きな時間帯は夕暮れ時かな、でお馴染みの辺見希璃です。わけあって、今は新開希璃と名乗っています。わけというのは、実は結婚したからなんだけれど、今更あえてそんな事をここに書き記すのは気恥ずかしいし、子供だっているわけだし、でも事実は事実だし、だからわけあってなんて変な言い方をしたわけだけど、私は幸せ、大丈夫』
――― 良かったね、何書いてんの?
「ふぅっ……ッ!」
行きつけの喫茶店内がひっくり返るほどの絶叫を上げ、私は書いていた日記帳を店の隅へと投げ捨てた。店内にはあと二組お客さんがいたが、私が内臓を吐き出す勢いで叫び声を上げたおかげで全員が一斉に立ち上がった。
背後から私の日記を覗き見たのは背の高い女の人で、もちろん旧知の仲であるが故の突然の声掛けだった。だが生まれてこの方日記というものを書いた事がなかった私は、顔を真っ赤にしながらページに意識を埋没させていた。彼女が入店して来た事に気が付かず、声を掛けられるまでそばに人がいるとも思わなかった。
「ちょっとォー、そんな大声出したら立派な営業妨害だからね? マスターごめんね」
その女性はカウンターの向こう側でグラスと布巾を手に硬直している老紳士に片手を挙げ、私が投げ捨てた日記帳を拾いに向かった。
「いいいいい」
私は変な声を上げながら自分で取りに向かう。私が元居たボックス席に戻った時には、その女性は『背の高い女性』から『美しい女性』へと、何事もなかったように属性を変えて着席していた。
「はー、びっくりした。今度いきなり声掛けてきたらさすがに私も怒りますからね?」
「っはは、じゃあどうやれっていうのよ。えー、今から声をかけまーす。秋月がそちらへ参りまーすって? 小声で?」
「そんな感じでお願いします」
「っざっけんな」
明るく笑うその女性の名は、秋月六花といった。かつて日本一の治癒者と呼ばれた、泣く子も黙る大霊能力者である。
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