提案

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提案

 昼間の土砂降りの雨ととどろく雷鳴の音が小さくなり、今は薄闇の中にしとしとと降る雨の音のみが残っている。  黴雨特有の、湿気を含んだ空気が宮の中を満たしている。  雨の音を聴きながら白桜は、二日前正殿で桜月と交わした会話を思い出していた。    嵐のように春玲が去り、臣下らも正殿を後にすると、中には白桜と桜月のみが残された。 「白桜」正殿を後にしようとする白桜を、玉座に腰を下ろす桜月が呼び止める。 「少し良いか」桜月の誘いに微かに頷き、桜月を見上げる。 「先程のそなたの言い分は至当であろう。  先代の王が行った政策で、この国は民が生きにくい国になってしまった。特に、妓女にとっては。  そなたは、想い人のことを良く見ているのだな」 「彼女の境遇を知るたび、妓女の過酷な現状を知るたび、わたくしは己が如何に賤民の生活に目を向けていないか、思い知らされています。  この国の民は良民・賤民の関係なく平等である。口で言うのは、容易いことでございます。しかし政で実行するためには、まず賤民の生活を知らねばならぬと……」  白桜の真っ直ぐな視線に、桜月は大きく頷く。 「頼もしいな。我が王子は……。  しかし、王族の身分を擲つと聞いたときは、どのような風の吹き回しかと、自分の耳を疑った」  桜月の言葉に、白桜は苦笑いを浮かべる。  身分を擲つなど勿論、本心ではない。ただ、そう思ってしまうほど、己の意思は固いのだと春玲に訴えたかったのである。 「あれは、言葉の綾でございます。  寧ろ今は、己がこの国を変えていかねば…と実感しております。王位継承者として、歴史の傍観者ではなく当事者にならねばならぬと。  こう思うようになったのも、彼女のおかげかと存じます」  白桜の素直な言葉に、肩を震わせ笑う。 「綺麗ごとかもしれぬが……。誰か一人でも、護りたい者がいると人は変わろうとするものだ。護るために、強く頼もしくなる。そなたにとって、想い人はそのような存在なのであろう。  そなたが期待している、賤民ゆえの視点は余も期待している。今までよりも、王宮が身近になるのでないかと」  桜月は、ふと真剣な顔つきになり、言葉を切る。 「だがそのためには、妓女である想い人を王宮に入内させねばならぬ。勿論、官吏や王妃が納得する、正しい方法で。  駆け落ちのように、無理やり連れ去るのではなく円満に」  桜月の的確な指摘に、白桜はごくりと唾を呑む。先程の、和やかな雰囲気が一転し、現実を突きつけられる。 「承知しております」  固い声が正殿に溶けていく。 正しい方法で円満に―。  桜月の指摘が、白桜の頭の中で渦を巻く。  白蓮のような貴族の娘ならまだしも、梅花のような妓女を正しい方法で円満に、入内させる方法など、おいそれとは思いつかない。  しかも、妓女に対して底知れぬ嫌悪感を抱いている、春玲と座り込みの上訴を起こした、臣下らを納得させる方法など、無いに等しいのではないかとも思えてくる。 「梅花殿が、妓楼の妓女でははく宮妓ならば、入内させることも皆を納得させることも、それ程困難ではなかったのでしょうが……。  宮妓は、文字通り王宮に仕える妓女でございますし……」  横から聞こえた、桃苑の言葉に微かに頷く。 「宮妓ならば、女官とそこまで変わらない。身分は低いままだが……。それに宮妓なら、夜伽をせずとも良い。  ただ、梅花が宮妓の立場を望むとは思えない」 「第一、宮妓になるためには教坊に入らねばなりません。  梅花殿が、舞や詩歌・器楽などの雅趣(がしゅ)に富んだ娘ならば、別でしょうが……。険しい道のりとなりましょう」  桃苑は、大きく首を振る。 「あと手段として考えられるのは……。  身請けか……」  白桜の提案に、桃苑は反対だと言わんばかりに、怪訝な顔をする。 「わたくしといたしましては、身請けは最終手段として残しておいた方がよろしいかと」 「だが、梅花にとっては“正しいな方法”ではないのか?」  白桜の発言に、桃苑は盛大にため息を吐く。  恐らく、身請けについて曖昧な知識しかないのだろう。一人の妓女を身請けするのに、幾らの金子がかかり、その金子はどこから調達するのか。 「確かに妓楼にとっては、身請けは“正しい方法”でございましょう。  ですが、身請けには莫大な金子がかかります。  梅花殿は、妓女の中でも格下とは言え、恐らく最低でも十五両(約二百万円)程かかるかと。  しかも、その金子は王宮の財政、畢竟(ひっきょう)民の税から調達することになりましょう。ご自分の私欲の為に、民の税を使えば民は王室への不満と不信感を募らせ、入内させる以前の問題に発展するかと。  政ならともかく、王子の私欲のために、使われる税などおいそれと差し出す民が、どこにおりましょう。  もし、上手く金子が揃い梅花殿が無事、入内したとしても彼女は一生、民から恨まれ後ろ指を指されることになるかと存じます。  そのような王と王妃を、誰が支持するでしょう。わたくしは、白桜様と梅花殿が結ばれることを願っており、王妃様の肩を持つわけではございません。  しかし白桜様は、梅花殿がそのような思いをして、王妃の座を与えられることをお望みでございますか。梅花殿を護りたいというお気持ちは、その程度のものでしたか。  兎に角、身請けという手段が、梅花殿にとって最善の策ではないということを、ゆめゆめお忘れなきよう」  桃苑がこれ程まで、多弁になることなど珍しい。  静かで淡々とはしているが、怒気を含んだ声音に、白桜はぐうの音も出ず黙り込む。  撃沈している白桜を尻目に、桃苑は更に口を開く。 「わたくしといたしましては、今は入内させる方法より、別の問題があるように思います」 「なにが言いたい」桃苑に、怪訝そうな視線を送る。 「王妃様の言動により、白桜様の想い人が妓女であると露見され、官吏や臣下らの耳にも既に入っております。  元々月花楼は、官僚の出入りも激しい妓楼でございます。故に、梅花殿の元に、このことが伝わるのも時間の問題かと」 「官吏や官僚らに、月花楼への出入りを控えよと、進言すれば良いか」  投げやりな物言いに、桃苑は大きく頭を振る。 「そのようなこと、望んではおりません。  わたくしが危惧しておりますのは、梅花殿が一件を知ったときに、自分から身を引き、白桜様への気持ちをなかったことにしてしまうことでございます。  恐らく、王妃様はおふたりの仲を引き裂くためならば、どんな手段も厭わぬでしょう。梅花殿自身に、危害を加えることもあり得るかと存じております」 「故に、自分の気持ちに嘘を吐くと?」白桜の問いに、桃苑は大きく頷く。 そんなことあるだろうか―?  白桜にとっては、桃苑の危惧は俄かに信じられなかった。桃苑は、主の心中を察し、進言する。 「白桜様は、ご自分のお気持ちをはっきり言語化なさる方故、梅花殿の気持ちはお分かりにならないのかもしれません。  ですが、本来なら誰かを恋い慕うという感情は、非常に脆く危ういものでございます。それに人は誰しも、自分が傷付くことは、本能的に避けようとするもの。故に、梅花殿が傷付くことを恐れるが故に、自分の気持ちに嘘を吐く可能性はないとは言い切れぬかと。相手が、王族なら尚のこと。  白桜様は、梅花殿が少しでも自分の気持ちに素直になれるよう、不安が解消できるよう、行動を起こすことが必要不可欠かと存じております」 桃苑もそのような経験があるのだろうか―。  妙に現実的な発言に、白桜はふと思案する。しかし、本人が語らぬことを聞くべきではない。 「私はどうすれば?」白桜が桃苑に、視線を向けるが黙ったままである。  人に頼らず、自分で考えよということなのだろう。  桜月との会話と桃苑との会話。二つの事柄が複雑に絡まり合い、八方塞がりのように思える。 せめて、梅花を安心させることが出来れば―。 どのようなことがあっても、梅花を恋慕う気持ちが簡単に変節するものではないと、証明出来たらー。  言葉で伝えるのは簡単だが、それだけでは心許ない。せめて、なにか物で伝えられたら……。  そう思案していた白桜の頭の中に、とある梅花の姿が浮かび上がる。  あの花火が上がった日に、梅花から聞いた妓楼の過酷な現実と、甘い饅頭を口にしたときの幸せそうな笑み。  砂糖が高価なこの国で、甘いものは貴重である。それは、妓楼とて例外ではないのであろう。  客から土産として、貰うことはあっても恐らく自分自身では……。 甘いものならー。 それに伝える物は、形に残らずとも良いのではないか―。 「桃苑。頼みたいことがある。  とある人物を母上に露見されぬように、宮に連れてきて欲しい。可能か?」  白桜の真剣な眼差しに、気圧されながらも曖昧に頷く。 「一体、なにをお考えでございますか。  王妃様に露見されぬようにとは何故」  主の言わんとしている意味がわからず、問い返す。  白桜は桃苑の耳元で、ある考えを囁く。
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