策略

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策略

 葉桜が色鮮やかになる頃。    白蓮と梅月の姿は都にあった。  これから、王宮で待つ春玲に拝謁しに行くのである。    通常、貴族の娘が王宮に向かうときには、輿に乗って行くことが多い。  しかし、縁談を白紙にされ心痛の白蓮には、都をゆっくり歩き飾り物の店でも覗いたほうが、気がまぎれるのでは…という梅月の計らいにより、こうして王宮までの道のりを歩いている。  暖かな気候も手伝って、都は沢山の人々が往来している。人混みを、ぶつからないように、身体を小さくして歩みを進めている。    この人混みの中を、きょろきょろとよそ見をしながら歩いていたのが、いけなかったらしい。  白蓮は前から歩いてきた、足を滑らし漆黒の深衣を身に纏った、長身の男性にぶつかりそうになる。  幸い、咄嗟に男性の袖を掴んだことで転んで襦裙が汚れることはない。 「白蓮お嬢様。お怪我は?」背後を歩いていた梅月の声がする。 「大丈夫」白蓮は、男性の袖を離し答える。 「まず、私に謝るのが先だと思うが」  頭上から、低く冷たい声が降ってくる。  白蓮は肩をびくつかせ、恐る恐る視線を上に向ける。  鋭い視線に骨太な体格、なにより冷淡な雰囲気を纏った男性が、白蓮を見下ろしている。  梅月は、陳謝の意を込め揖礼する。  男性は無遠慮に白蓮を見つめる。  その視線から、白蓮を護るように梅月は彼女の前に出る。 「お嬢様に何用でございましょう。  一体、なにをする気でございますか。お嬢様のお父様は、国の左丞である柊明様でございますよ」  梅月は男性を鋭く睨み付ける。  少女から父親が左丞だと聞いた刹那、桜薫の頭の中で春玲から耳にした、白桜の縁談の相手についての話が繋がった。 先程の少女が白桜の―。 「白桜から縁談を白紙にされた、という者はそなたの主か」  桜薫はにやりと嗤う。    少女は忙しなく周りを見渡し、桜薫の腕を掴むと素早く路地に連れ込む。  辺りは薄暗く、色街が近いのか向かい風に乗って、微かに甘い香の香りがする。 「何故、そのことをご存じで?」  先ほど白蓮と呼ばれた少女が、桜薫と対峙をし声を上げる。  白桜との縁談の一件が、都で話題になっていることは、白蓮も知っている。しかし、初めて会った人に、詳細を詮索されるのは決して良い気分ではない。 「我が名は桜薫。白桜は私の腹違いの弟にあたる。  そなたが良ければ、協力してやろう。そなたが、白桜の正妻になれるように」  突然の申し出に、白蓮は呆けた顔をする。  しかし、桜薫が身に纏っている深衣の裾には、王族の証である桜の刺繍、そして胸には大きな牡丹の花。これは、王族の正装であり、偽りを口にしているとは思えない。 「何故そのようなことを?」  訝しげに問う。 「私は、白桜のことも父である王様のことも、憎んでいる。王位は欲しくはないが出来ることなら、消えて貰いたいと思っている」  桜薫の物騒な物言いに、これ以上白蓮を関わらせてはいけないと判断したのだろう。梅月が後ろから、白蓮の袖を引き思いとどまらせる。  梅月の行動を鼻で笑う。 「なにも、そなたに王様や白桜の想い人を始末せよなどとは言わぬ。というよりも、そなたにそんなことが出来るとは思わぬ。  そなたは、なにもせずとも良い。ただ、待っていれば良い。願いがかなう日まで」  白蓮は暫し沈黙し思案する。 「身に余るお言葉でございます。ですが暫しの間、考える時間を頂けますか」  桜薫は一瞬、目を丸くするがすぐに頷く。 「良いだろう。ただ、すぐに心変わりをするはずだ」  桜薫はそう言い残すと、白蓮の隣を通り過ぎていく。  月旭宮の女官が、春玲に白蓮をおとないを告げたのは、申の刻(午後三時ごろ)のことである。  宮に通すようにと、指示を出すとすぐさま白蓮が姿を現した。    縁談の一件があったからか、すこしやつれたように見受けられる。  白蓮は、恭しく揖礼する。 「掛けなさい」促された白蓮は、椅子に腰を下ろし春玲を向かい合わせになる。  二人の間にある几の上には、銀の食器に落雁や琥珀糖、更には貴重な龍鬚糖が並べられ、茶が入っている急須と二人分の湯飲みが置いてある。 「王妃様。お久しゅうございます」  白蓮が固い声で言う。  春玲は、湯飲みに茶を注ぐと微笑む。 「白桜の我儘で、さぞ辛い思いをしているのではありませんか」  春玲は優しい声音で問う。  白蓮は襦裙の袖で、口元を隠し茶を啜りながら、微かに頷く。 「やはり……。あのとき、無理やりでもお嬢様を嫁がせれば、このようなことには……」 「王妃様の責ではございません」  か細い声で言うと首を振る。 「お嬢様。今日、宮殿にお招きしたのは理由があってのこと」  湯飲みから、口を離すと春玲はそう切り出す。 「お嬢様はまだ、白桜のことを慕っておいでですか」  白蓮は一拍置くと確かに頷いた。 「王様は、他の殿方に嫁いでも構わないと仰せでしたが、そのようなことは出来かねます。  王子との縁談が持ち込まれた以上、わたくしは既に王子の女人でございます。どのような理由があるにせよ、白桜様以外の殿方に嫁ぐなどあり得ないことでございます」  白蓮の言葉に春玲は、頷きつつ笑みを浮かべる。そしてすぐに、真顔になる。 「もし、白桜の正妻の座を手に入れる術があるとしたら?」  突然の言葉に、琥珀糖を齧っていた白蓮は、思わず目を見開く。 「そのような術があると仰せですか」  白蓮の問いに、春玲は迷いなく頷く。 「ええ。ございます。お嬢様が望みさえすれば」  悪魔の如き微笑みに、白蓮は鳥肌が立ち肩を抱く。 「怖がることはありません。まぁ、多少は危険なこともあるやもしれませんが、そのようなことは私と桜薫にお任せください。  お嬢様がすることは一つ。今まで通り、白桜を慕っていることのみ」 そういうことー。  春玲から桜薫の名が出た刹那。先程聞いた、桜薫の話が重なる。恐らく、桜薫は春玲がこのような話を切り出すことを、既に知っていたのだろう。 どうしたらいいのだろう―。  白蓮の胸中が、振り子のように揺れ動く。 誠に、白桜様の正妻の座を手に入れることが出来たなら―?  これは、願ってもない好機である。 こんな機会、二度とないかもしれない―。  恐る恐る、春玲の顔を見る。春玲は先ほどとは違い笑みを浮かべたまま、白蓮の返答を待っている。  その笑みに釣られ、白蓮も笑みを向ける。 国の母である王妃様が私を、危険に晒すなどあるはずがない―。  白蓮は、ごくりと生唾を呑み込み口を開く。 「王妃様の仰せのままに」  宮を出ると、それまで向かい風だったのがいつの間にか、追い風となっていた。  白蓮は白桜がいるであろう、宮に目を向ける。その隣には、自分が住まうはずだった翠雨宮が聳え立っている。 必ずこの場所に戻って参ります―。 翠雨宮の主はわたくしでしょうから―。  再び、胸に炎が灯る。  声なく呟くと、前を向き歩きはじめる。  白蓮が柊明に、話したいことがあると声を掛けたのは、その日の晩の事である。  二人は、柊明の部屋で文机を挟み向かい合っている。部屋のあちこちに、行灯が灯され、淡く照らしている。  柊明には、白蓮が憔悴しきった様子から幾らか、立ち直ったように見受けられ胸を撫で下ろす。 「お父様。都を離れる件ですが、やはりわたくしは都での生活があっております。それ故、この話は白紙に」  柊明は頷く。 「それに、都でやらねばならないことがございます」 白桜様の正妻になるその日まで、都を離れる訳には参りませんー。 なにがあろうとー。  白蓮の言葉にどのようなことであれ、何かに夢中になることで、少しでも傷心を癒すことになれば…と、期待し柊明は「分かった」と了解の意を示す。  白蓮の胸中に、どのような思いがあるのかも知らずに。
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