告白

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 快晴の空に、皆の楽しげな声が響き渡る。  梅花はひとり久しぶりに、化粧を施し紅を挿していた。  他の者は皆、当に支度を終え都へ散策に繰り出しており、妓楼の中は静まり返っている。  梅花は空色の衣と薄荷色の裙を合わせている。衣の袖と裙の裾には、一重梅色の糸と金の糸で、大小さまざまな梅の花が刺繍されている。  梅花が身に纏っている、この襦裙は自分が持っている襦裙の中で最高級のものである。    更に、髪を二輪に結い簪を挿す。  身支度が済むと、梅花は金子が入った桑の実色の巾着袋を手に妓楼を後にし、玄関から門までを初夏の日差しを浴びながら、ゆっくり歩く。  出入り口の門を潜ると、横から視線を感じなんの気なしに、視線を横に向ける。視線の主が目に入った瞬間、梅花の口から「え……」という呆けた声が漏れた。  そこには、門の壁に凭れている白桜ともう一人の男性の姿。  白桜は、梅花の姿を認めると笑みを浮かべ、それとは正反対に隣にいる男性は、気難しい顔をして立っている。 「は…いえ。若様。何故こちらに」  思わず“白桜様”と名を呼びそうになり、慌てて言い換える。 「今日なら、ここで待っていれば梅花に会えると思っていた。  先日は、そなたの気持ちも考えず勝手に、話を進めてすまなかった」  白桜からの謝罪に、梅花は首を振る。 「わたくしこそ、若様に無礼な態度を取り、申し訳ございませんでした。  若様のご身分を知らずとも、許されることではございません」  梅花は謝罪の言葉を口にすると揖礼する。 「そのようなこと、気にするでない。  謝らねばならないのは、私のほうだ」  白桜は、梅花の頭に手を乗せ撫でる。  二人の朗らかな雰囲気を、白桜の隣にいる男性がわざとらしい咳払いで掻き消す。男性の咳払いに、白桜は不愉快そうに眉を顰め背後を振り返る。  つられて梅花も男性に眼をやる。男性と目線が合った瞬間、梅花は大きく目を見開く。 「確か、若様からの簪を届けにいらっしゃった……」  梅花は白桜からの簪を、贈られたときの記憶を手繰り寄せる。 「左様です。若様の側仕えとして、付いております桃苑と申します。  あの時は、まだ名と身分を明かすことができず有耶無耶に」  梅花の記憶を裏付けするように、桃苑と名乗った男性は大きく頷く。梅花も桃苑の立場を知り、男性の割には高い声、妓楼という場にもかかわらず“遊ぶために来ているのではない”と、色事には淡泊だったことが、桃苑が誠の男性ではないからだと合点がいった。  三人は連れ立って都に繰り出す。  白桜と梅花が並んで歩き、その後ろを桃苑が辺りを警戒しながら付いて来る。    花火が上がる日ということもあって、まだ日の高い時刻だというのに都の通りは人がごった返し、前に進むのも困難な程である。  通りに並ぶ店にはいつにもまして、珍しい品物が並び人々は皆、品物を眺め気に入ったものを買い求めている。  人々の喧騒と活気で、商品を購入しないとしても、その場にいるだけで心が躍る。  梅花も皆と同じく、人混みと店屋の品物に目を移しながら、はぐれてしまわないように前に足を進める。    きょろきょろ目移りしながら歩いていたからか、白桜と並んで歩いていたはずが、いつの間にか白桜の背が少し遠くなる。 「梅花」梅花の足取りが余りに、危なっかしいからか白桜が立ち止まり、振り返り優しく声を掛ける。 「申し訳ございません。上手く進めず……」  梅花は陳謝し、歩く速度を上げようとする。 「いや」白桜はそう口にしたかと思うと、梅花のもとに歩み寄りそっと掌を差し出し、梅花の手を握る。    繋がれた自分の手と、白桜の顔を何度も見比べる。男性に手を握られること自体は、はじめてではない。しかし、客と想い人とは心持ちが違ってくる。  自分に起きている事柄が現実だとは、思えなかった。 「今日は見物客が多い。  最初から、こうすれば良かったのだ」  照れ隠しか、白桜が若干素っ気なく呟く。一国の王子とは思えぬ、年相応の振る舞いに梅花は肩を震わせ、小さな笑い声を漏らす。 「参りましょうか。若様」  白桜の言動と声を出して笑えたことで、凝り固まっていた梅花の心を溶かしていく。梅花は、満面の笑みを見せる。  通りには、食べ物を商う露店も幾つか並ぶ。  その露店の中で、ほかほかと湯気が上がっている露店に足が向いた。  湯気は、蒸篭(せいろ)から上がり、中には蒸したての饅頭(マンドゥ)包子(パオズ)が入っている。  饅頭には、籐華で育てられた蜜柑の花から採れた蜂蜜が練り込まれていると、露店を商う中年の女性は言いながら、手を動かし笑みを浮かべる。  国の北東に位置する藤華は、紅花や綿花の栽培が盛んであり、同時に果実の産地としても名を耳にする地域である。  梅花は、饅頭や包子に釘付けになっている。  湯気の暖かさと、饅頭の甘い香りに食欲が刺激される。 「饅頭と包子。それぞれ三つずつ」  白桜は、そういうと深衣の袂から、金子を取り出し女性に代金を払う。  梅花の様子から、彼女が二つを欲していると察したらしい。 「お代なら、わたくしが……」梅花の言葉を、白桜は頭を振り遮る。 「いや。私も食べたいと思っていた故、丁度いい」  女性は素早く、饅頭と包子を竹の葉で包み、白桜に手渡す。  白桜は礼を言い、品物を受け取ると直ぐに桃苑に手渡し、再び梅花の手を取る。    通りには、歩き疲れた者が腰を下ろし休めるように、所々に背凭れのない長椅子が用意されている。  三人も椅子に腰を下ろし、包みを開く。膝に乗せた包みはまだ、暖かさを保っている。    包みを開けると、両手に乗る程の中華まんのような包子と、包子より一回り程小さな蒲鉾(かまぼこ)型の饅頭が姿を見せる。  梅花は包子を手に取り、躊躇なく大口を開け口に入れる。中には、牛肉と野菜を甘辛く煮た具が入っている。  ふかふかの生地に、具の甘辛い味が染み、口に運ぶ手が止められなくなる。  一口食べる度に、無邪気な笑みを浮かべる梅花を、白桜は優しい眼差しで見守っている。  あっという間に包子を平らげると、蜂蜜が練り込まれている饅頭を手に取る。蜜柑の花の蜜を使用しているからか、柑橘の爽やかな香りがする。 「そんなに、急いで食べずとも良いのではないか。妓楼なら、饅頭と包子も珍しいものではあるまい」  白桜の言葉に、饅頭を手にしたまま頭を振る。予想だにしない反応に、白桜は言葉に詰まる。  梅花は饅頭を膝に置き、静かに自らの境遇を話始める。 「若様の瞳には、妓楼という場所が望めば何もかもが手に入る、夢のような場所に映るのでございましょう。  ですが実際は、幾ら上客を取り一夜に何十何百と稼ぐ妓女でも、食事はわたくしたちと同じ質素なものでございます。故に、出来立ての饅頭も包子も滅多に、口にできるものではございません。  良く、妓女は鳥籠(とりかご)の中の鳥と例えられます。一夜の夢を客に見せるために、わたしくたちは妓楼という場に、捕らわれている小鳥となんら変わりはございません」  梅花は寂しげに笑う。    過酷な現実を耳にした白桜は、「悪い」と呟くのが精一杯である。  つくづく己は、民の暮らしに疎いと思い知る。これだけ、都を探索していても見るのはごく一部の民の姿。  口では、“民は皆平等”と言いながら、貧富の差を見ようともしない。それでは、あまりにもちぐはぐではないか。  将来、王に即位したとしても、こんな口だけの王を誰が支持するのだろう。 「私は、そなたのことを知っているつもりで、本当は全く知らなかったようだ。好いていると言いながらなにも。  そなたがどのような思いで、客の相手をし妓楼という籠の中で暮らしているのか、微塵も知らなかった」  梅花に合わせる顔がなく、白桜の視線は下に落ちる。 「王族の方が妓女の生活を、ご存じではないのは仕方がないことでございます。王宮と妓楼は、天と地程の差がございます故」  朗らかに笑う。 無理をしているのではないかー?  そう尋ねたいのを堪え、白桜は憂いを帯びた視線を向ける。  彼女の感情に寄り添おうと手を握る。  心臓が大きく脈を打つ。鼓動が、白桜に聞こえてしまうのでは…と思う程に。  梅花は、白桜の視線と手を握られていることに、気づかない振りをして、通りを行き交う人々を眺めながら饅頭にかぶりつく。  桃苑も白桜と梅花のやり取りを隣で、聞いているはすだがだんまりを決め込んでいる。  爽やかな香りと蜂蜜の甘さが、梅花の心を満たし笑みを見せる。  三人は食べ終わると、再び通りを歩き始める。  飾り物や色鮮やかに染められた絹を扱う店では、白桜と桃苑が“この色が似合う”と、品物を梅花に勧める。国外の品物を商う店では、梅花が見たことがない品物が並び、瞳を捉えて離さない。  そうこうしているうちに、いつの間にか陽が傾き西日が射す。    日の傾きと共に、更に人の往来が増え白桜の手をしっかり握っていなければ、足が縺れ進めなくなる。  足が縺れそうになると、白桜が優しく手を引き歩調を合わせる。  白桜の人柄に触れれば触れる程、梅花の胸にこのまま時が止まればいいと、自分勝手な感情が芽生える。  しかし梅花の抱いた感情とは裏腹に、時は確実に進み日が落ちる。  三人は通りから離れた場で、花火が上がるのを待っていた。三人が立ってる場所からは、通りを見下ろすことが出来る。通りは、店先に吊るされた行灯の火に照らされ、往来する人々の姿を浮かび上がらせる。  王宮がある方角から、半鐘が打ち鳴らされる。その音が合図となり、新月の空に大輪の花が咲く。  男女や身分、そして老いも若きも関係なく、人々は漆黒の空を見上げ歓声を上げる。梅花も空を見上げ眼を輝かせる。 「たまには、こうして空を見上げるのもいいものだな」  白桜はしみじみと言い、隣で眼を輝かせている梅花を見つめる。 「ええ」白桜の言葉に、桃苑が背後から相槌を打つ。  四半刻(三十分)程続いた、花火の打ち上げが終わると、人々はまた歩き始める。 「若様」梅花はおもむろに口を開く。  今日、共に過ごしたことで梅花の胸中に、答えが見つかった。  この瞬間、伝えなければこの先いつになるかわからない。  胸に潜む早鐘が鳴る。梅花は、白桜を真っ直ぐに見据え、意を決し口を開く。 「わたくしは、貴方様のことを好いております。誰よりも、これ以上ない程に」  突然の告白に、白桜は眼を丸くするが即座に、満面の笑みを浮かべる。 「嘘ではあるまいな?」白桜の問いに、笑みを浮かべ大きく頷く。 「棘の道だとは、承知しております。  ですが、貴方様への想いに一寸の狂いもございません」  梅花の固い決意に、白桜は深衣の袂から以前贈った簪を取り出し彼女に見せる。 「返さなければ…と思っていた。再度、受け取って欲しい」  梅花の手が、簪に伸びるが触れる前に手が止まる。梅花は首を横に振る。 「この簪は、いずれ王宮に入る暁に。それまでは、貴方様がお持ちください」  梅花の言葉に、白桜は「分かった」と相槌を打つ。  このときはまだ知らなかった。  この日の二人の行動がこの先、王宮と朝廷にもたらす影響を。  貴族の娘ではない、梅花が王室に嫁ぐことがどれ程、無謀で危険なことか。  春玲と桜薫の影が二人の直ぐ傍まで、迫ってきていることに。  
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