妙案

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妙案

 夜も更けきった亥の刻(午後十時頃)。    桃苑は手燭を手に、白桜の命に従い、尚食の女官一人と共に連れ立って歩いていた。 「白桜様は何故、わたくしなどをお呼びで……?」  途中、尚食の女官の証である、生成(きなき)色の衣に不言(いわぬ)色の裙を合わせた女官がそう問うが桃苑は、足を止め後ろを振り返り、辺りを見回すと唇の前で人差し指を立てる。  白桜の命が、外に漏れたら不味いことになる。  桃苑の意思を酌み女官は、神妙な顔をして頷き口を噤んだ。  白桜から、春玲に気づかれぬようにと言われているため、なるべく音を立てず宮に向かう。  宮の前で足を止め、そっと障子を開ける。女官も桃苑の後ろを、恐る恐る付いてくる。 「例の女官を」桃苑に耳元で囁かれた白桜は、大きく頷く。 「お初にお目にかかります。わたくし……」  揖礼を済ませた女官が、口を開き口上を述べようとする。 「悪いが口上は良い。早速、本題に入る。  手始めにそなたは、私の縁談について知っているか?」  女官の口上を遮り問う。 「勿論、承知しております。王宮でもその話題で、持ち切りですから。それに、座り込みの上訴もあった程ですし」  女官の言い分に、白桜と桃苑はそれぞれ苦笑いをする。春玲が正殿に乗り込んだこと、官僚らの座り込みの上訴があったことから、この件は奇聞ではなく事実として話題になっている。 「なら、話が早い。  実はそなたに頼みがある。そなたは、尚食で甘味を担当していると聞いたが誠か」 「左様にございます」白桜の問いに、女官は頷く。 「頼みというのは、ある者に贈る菓子を作って欲しい。母上に気づかれぬように」  白桜の頼みに、女官は微かに笑う。 「贈り主は、想い人とお見受けいたしますが?」  女官の茶化すような物言いに、白桜は目線を逸らす。照れているのか、顔がほんのり紅く染まっている。 「そなたの想像に任せる。  兎に角、頼みを聞いてはくれぬか。母上に見つからぬように…と、いうのは難しいやもしれぬ。万が一、母上に露見されれば、そなたを危険に晒すことになるやも知れぬが……」  白桜が口にした、条件が女官の判断を因循させる。  白桜の思いつめた物言いに、ただならぬ気迫を感じ、女官も意を決して口を開く。 「承知いたしました。  お夜食の時間ならば、王妃様に露見される確率も減るでしょう」  乗りかかった船である。  その日の晩を境に、数日おきに女官が夜遅くに菓子を持って白桜の元に、訪れていた。 「落雁か月餅が迷ったのですが……」  女官は落雁と月餅、それぞれが入った銀の器を文机に置いた。    月餅は片手に乗る程の大きさで、月に見立て丸く平たい形をしており、中に餡がずっしり詰められている。表面には、国花の牡丹の花が施されている。  対して落雁は、月餅の四分の一程の大きさで、穀粉と砂糖などをこね、梅と桜の木型で成形したものである。 「本来、月餅は中秋の時期の菓子でございます。故に、不釣り合いかとも思ったのですが……」  女官が煮え切らない思いを吐露する。 「だがそれを言えば、落雁でも同じであろう。これは本来、花見の宴で出されるものだ」  女官が落雁に視線を向け、言いにくそうに言葉を紡ぐ。 「白桜様の想い人が、梅花という名の女人であると聞き、おふたり人が仲睦まじく…と思いこの型を……。ひと工夫加えましたが」  女官が菓子に秘めたた思いに、白桜の眼が落雁に吸い寄せられる。 「こういった菓子には、職人の思いが込められていると、言いますから。菓子だけではないのでしょうが」  側にいる桃苑が、朗らかに言う。女官は満面の笑みで頷く。 「口にしても?」白桜の断りに、女官が「勿論でございます。白桜様のお夜食でもありますので」と促す。  白桜の手が、落雁に伸びる。落雁を口に含み、ゆっくり溶かす。  落雁は甘すぎず仄かに、桜の風味が口に残る。食感も固すぎず、舌の上でほろほろと崩れてしまう。  恐らく、女官の工夫とは桜の風味であろう。 「桜……?」白桜の呟きに、女官は得意げに頷く。  白桜の呟きに、桃苑も思わずといった体で、落雁に手を伸ばす。口に含むとすぐさま、目を丸くする。 「この桜は……?」白桜が問うと、女官はまるで種明かしをするように話始める。 「この桜の花は、昨年開花した花を塩漬けしたものでございます。  此度は、塩を抜き落雁に。風味付け程度ですが。  毎年、花見の宴には桜茶や桜酒として、茶や酒に塩漬けを浮かべ御出しいたします」  白桜の脳裏に、花見の光景が映し出される。 「また粋なことを……」  桃苑が感心の声を上げる。  白桜は月餅にも手を伸ばし、二つに割ると片方を桃苑に渡す。  中は、()した小豆がたっぷり入っている。  一口齧ると、餡の甘みと皮の触感が混じり、想像通りの味がする。だが、餡がずっしりと入っているため、夜食には少々重いような気がした。  月餅を呑み込み、茶を啜ると白桜は口を開く。 「女人には落雁を贈ることとしよう」 「気に入って頂き、光栄に存じます」  女官は揖礼をすると、月餅が入っていた器を手に宮を後する。  手から、杯が滑り落ち音を立てた。杯に注がれた、紹興酒が畳を濡らす。 「申し訳ございません」  梅花は、謝罪を口にし急いで、布巾を手に畳を拭く。 「大丈夫か?」客が怪訝そうに、眉を寄せる。  梅花は頷き、客の深衣が汚れていないか、確認を取る。  幸い、客の深衣には被害がなく、胸を撫で下ろす。  梅花の動揺の発端は、客から王宮の動きを聞いたことである。  客は、春玲が白桜の縁談の件で、朝廷に乗り込んだこと、白桜の想い人が賎民だと知った官僚らが、国王の宮の前で座り込みの上訴を起こしたことを、話してくれた。  客は、白桜の想い人が梅花だということは知らず、雑談の一つとして聞かせたこと。そう分かってはいるが、当の梅花は身が竦む思いである。  客に胸の内を悟られまいと、笑みを作り客の相手を続ける。  客の相手と湯浴みを終え、梅花は布団の中で思いを巡らせていた。 棘の道だということは、充分承知している―。 賤民の自分が、王族に嫁ぐことがどれ程、困難なことか―。 白桜様のことを、諦めたら全て丸く収まるのだろうか―。  その考えを、梅花は寝返りと共に打ち消す。  硬い決意とは裏腹に、春玲の行動から底知れぬ憎悪を感じ、肩を震わせる。  以前、芽李月から耳にした、王妃には必ず白桜の兄が付いている、という言葉を思い出し余計に震えが大きくなる。  自分の望みを叶えることは、妓女である梅花にとって、命懸けなのだと思い知る。  客の話から、今はまだ梅花の顔と名前は、春玲に知られていないのだろう。 しかし、自分を目の敵とする、春玲のこと。王妃の地位を使い、顔と名前を割り出すことぐらい、容易いのではないか。  難しいことを望んでいる訳ではない。ただ、想いを寄せる殿方の元に嫁ぎたいという、細やかな望みである。  もし自分が、妓女ではなく良民や貴族の娘なら、こんな危険と隣り合わせの状況にはならなかっただろうか。  自分の身分を変えられるとは、思っていない。しかし今の状況が、自分にとって不都合になればなる程、固い決意が揺らぎそうになる。  梅花は最悪の状況を想像し、きつく眼を閉じた。  いつの間にか、眠っていたらしい。  目が覚めると夜が明け、共に寝ていたはずの芽李花と華琳の姿はなく、布団も丁寧に畳まれている。  身体を起こし、ぼんやりと思いを巡らせる。 「梅花姉さん。起きてる?」  襖を挟んで、華琳の声がする。  梅花が正直に「今起きた」と言うと、華琳はやや躊躇いながら言葉を紡ぐ。 「姉さんに会いたい人が、訪ねて来ている。  夜見店には来られないから、どうしてもって」    華琳の言葉に、大きく眼を見開く。 白桜様だろうか―。  期待が脈を早くする。 「直ぐ行く!」逸る気持ちが、声を大にさせる。梅花の声に、華琳は客を下の部屋に待たせていることを告げ、その場を離れる。  梅花は夜着を脱ぎ、花火を鑑賞した日に着ていた、空色の衣と薄荷色の裙を身に纏い、一度自室を出ると廊下の突き当りにある、湯浴みなどで使われる場で、手で水を掬い顔を洗う。  再度自室に戻ると、薄く化粧を施し紅を挿す。更に、髪を結い簪を挿す。  支度を終えると自室を出、廊下を進み階を降りる。  華琳が言付けていた、部屋の前で立ち止まり大きく深呼吸をしてから、襖戸に手を掛け、ゆっくり引く。  揖礼をし、顔を上げた梅花は自分の思い違いに気づき、思わず視線を落とす。  華琳の言葉から、勝手に訪ねてきたのが白桜だと、早とちりしてたらしい。  梅花を訪ねて来た客。それは、白桜ではなく内官の桃苑であった。
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