進展

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進展

 白桜が妓楼に姿を見せてから、五日に一度の間隔で桃苑が妓楼に来るようになっていた。 「あのようなことがありましたから。  主から“様子を見てこい”と。本当なら、ご自身で様子を見に来たいのでしょうが……。桜薫様の眼がある故」  桜薫と対峙してから最初のおとないで、部屋で酒と料理を挟み、桃苑が煮え切らない発言をした。 「妓楼に護衛を待機させても良いのでは、と思うのですが。それでは、逆に目立ってしまいます。それに若様にはまだ、官吏を思い通りに動かす力はございません」  自分の危機感のなさで今回のことが起こったと、責を感じているのだろう。 「梅花殿。わたくしは謝らねばなりません。  顔合わせの席での、王妃様のご発言を貴女のお耳に入れてしまいました。梅花殿が若様の正室を、望んでいると分かっていながら」  桃苑は言い終わると、深く頭を下げる。態度と口調から、真摯で誠実な人柄が垣間見える。  桃苑の陳謝に首を振る。 「お気になさませんよう。  確かに驚いたことは事実です。ですが、今回の一件でわたくしは思い知ったことがございます」  梅花は桃苑の瞳を、真っ直ぐ見つめ口を開く。 「わたくしは強くならなければなりません。王妃という地位に立つならば」  固い決意を湛えた目。梅花の決意とは裏腹に、桃苑は戸惑った表情で徐に口を開く。 「これはわたくしの考えですが、梅花殿は充分強い女人です。  王族の妻になるそのためならば、棘の道だと分かっていても覚悟をして、進むことが出来る方だと思いますよ」  予想に反した物言いである。王子に仕える内官という立場上、梅花の決意を賛同してくれると思っていた。  桃苑はそう諭すが、梅花としては納得がいかず躊躇いつつ口を開く。 「ですがこのままでは、若様や桃苑様に守ってもらうばかりになってしまいます」  発言の根源は、自分が白桜や桃苑に関わることによって、二人を危険に晒すのではないかという懸念からである。  梅花は下を向き、裙をきつく握る。 「わたくしや若様が、貴女を守ろうとするのは、決して貴女が弱いからではございません。貴女が大切な存在だからです。わたくしにとっても、若様にとっても。  更に言えば強い王妃だからといって、必ずしもそれが良いとは限りません」  桃苑は梅花の顔を覗き込み、静かにゆっくりと諭す。梅花は曖昧に頷く。  この日も桃苑が、梅花の様子を見に妓楼に足を運んでいた。  焼かれるような炎暑は過ぎ去り、残暑が続き夜には鈴虫の声が聞こえてくる。 「梅花殿。若様から贈り物でございます」  桃苑が妓楼に来る時には必ず、白桜からの文とあの桜と梅を模った落雁を携えてくる。 「ありがとうございます」礼を言うと、文に手を伸ばしそっと開く。  文には王宮での様子、梅花を大切に想っている旨が認められている。文に目を通している、梅花が笑みを浮かべる。 「なにか喜ばしいことでも認められておりましたか」  梅花の表情を、茶化すような桃苑の声。梅花は顔を文で隠し、首を横に振る。熱帯夜ではないのに身体が熱い。  梅花の素直な反応に、桃苑は肩を震わせる。 「これ以上、深く追求しないほうが良いですね。  無理やり話させたと、若様が知ればわたくしが叱責を受けます」  桃苑の戯言とも本心とも取れる言葉に、梅花は神妙に頷く。 「王様と王妃様が明日、避暑からお戻りになります。  故に、わたくしも若様も今までと同じようには、様子を見に来ることは叶いません。出来るだけとは、思っておりますが……」  桃苑は詫び言を述べる。  桃苑の言葉に、先程までの浮ついた気持ちは消え視線が下に落ちる。分かりやすい態度に、桃苑は胸を痛める。  桜月と春玲が行幸に出立してから、幾度も逢瀬を重ねていた。故に、機会が無くなるのは、日常から大切なものが欠けてしまうようで虚しくなる。  春玲や彼女を支持する官吏の眼がある故、仕方がないのだと理解していたとしても。 「若様への文は、芽李月殿にお渡しください。  それと……」  桃苑は言葉を切り、声を低くし忠告する。 「くれぐれも、桜薫様にはお気をつけください。  梅花殿の顔は既に割れております。故に、目立つ行動は控えた方が良いかと。芽李月殿が監視をしているため、桜薫様も下手な真似はせぬとは思いますが……。念のため」  桃苑の忠告に梅花は大きく頷いた。 「梅花殿になにかあれば、若様は大層悲しむことになりましょう。わたくしは、若様が悲しむ姿も梅花殿が危険な目に合う瞬間も、見たくはないのです。お忘れなきよう」  切実な口振りに、梅花は再度深く頷いた。  桜月は行幸から戻った翌日には、柊明と数え五十程の吏部尚書を宮まで呼び出していた。  宮の来客用の几を挟み、桜月と柊明、吏部尚書が椅子に腰を下ろしている。几の上には、湯飲みが三つ。微かに湯気が立つ。 「して、何用でございましょう。左丞様だけならば分かりますが、わたくしは場違いではございませんか」  群青色の深衣を纏った吏部尚書は、ぎごちない笑みを浮かべ戸惑いを見せる。自分が何故この場に呼ばれたのか、ことの次第をいまいち理解していない。  桜月は頷き慎重に口を開く。今から話す内容は、他言無用である。特に春玲をはじめとした、無月派の官吏には。 「そうであろうな……。だが、今から話す内容はそなたら二人の承認がいることだ。余ひとりでは決めかねる」  桜月の発言に、柊明と吏部尚書は顔を見合わせる。 「白桜が縁談を白紙にしたのは、二人とも周知のことであろう。  特に柊明には、申し訳ないことをしたと思っている」  突然の謝罪に柊明は、ただ首を横に振るのみである。 「今日呼び出したのは、柊明の娘に縁談をと思うてな……」  柊明は目を瞠る。  白蓮が白桜から縁談の白紙を、言い渡されたのは桜が満開の時期である。まだ、一年経っていない。気丈に振る舞ってはいるが、内心白桜のことをまだ慕っているように柊明には見受けられる。  そもそも、王族に縁談を白紙に戻された女人など、好んで妻にしたいと思う殿方など、ないに等しいと思っている。 「そなたにはいらぬ気遣いだと、言うかも知れぬが……。  このまま、白桜の側室を望むより、縁も所縁(ゆかり)もない殿方に嫁いだ方が、良いのではと」 「して、王様はどなたをお望みで?」  柊明の問いに、桜月の視線が柊明から吏部尚書に移る。尚書は柊明と同じく、目を瞠る。 「まさか、わたくしの息子をお嬢様の夫に?」  尚書は気おくれからか、身体を少し反らせる。桜月は平然と頷く。尚書はとんでもない、と言いたげに表掌と首を激しく横に振る。  尚書には息子が一人おり、数年前に科挙に合格し現在は、父と同じ吏部の官吏に付いている。 「悪い話ではあるまい。  夫婦になれば、柊明は白桜が即位した後に丞相に、息子は吏部侍郎にそれぞれ昇進させる」  確かに二人にとって好条件である。  丞相は正一品、六部の侍郎は今の柊明と同じく、正三品上の位である。  無官の官吏がいきなり、正三品上の位を得るのは異例なことである。 「少しお時間をいただけますか。  娘はまだ白桜様のことを……」  柊明がそう言いどよむ。  白桜への気持ちが残っている状態で、この話を持ち掛けても二つ返事で了承するとは思えない。 「勿論、無理やりとは言わぬ。互いの気持ちもあるだろう。故にどちらも、納得して縁談を受けて欲しい。  余としては、少しでもその気があるのなら…と思うが」  桜月の歯切れの悪い言葉を背に、二人は宮を後にした。  相変わらず、残暑は厳しいが吹く風に涼しさを感じる。 「此度の一件、誠に王様のお気遣いからでしょうか……?」  外廷に戻る間、尚書がそう漏らす。 「そなたもそう思うか?  実は私もなにか、裏があるような気がしてならない」  柊明が立ち止まり、尚書に同意を示す。  桜月の物言いが、歯切れは悪いが切実な思いを秘めているように聞こえた。  そもそも何故、左丞の娘と吏部尚書の息子を、一緒にさせようと思ったのか。何か、政治的な意味を含んでいるのではないか……。 「噂と関係あるやもしれん」柊明の呟きに、尚書が「噂?」と問う。柊明が頷き口を開く。 「王妃様が白桜様ではなく桜薫様を、お世継ぎにと考えていらっしゃるらしい。桜薫様は王妃様のお気に入りだ」 「故に、私たちの子どもをそれぞれ一緒にさせようと?」  再度、柊明が頷く。 「恐らく王様は万が一、桜薫様が即位なさったとしても、人事権だけは無月派に渡ることが無いように、根回しを考えていらっしゃる。  海紅派の者が、丞相と吏部尚書になれば、政局はこちらに傾く。王妃様が摂政になられたとしても、周りを海紅派で固めれば、自由には動けなくなる。  王様は既に、外堀を固めていらっしゃる」  桜月の計画に、柊明は感嘆の意を表する。 更に、白桜様も白蓮が他の者と夫婦になれば、晴れて想い人を娶ることが出来る―。  桜月のもう一つの計画を思い、柊明は微かに息を吐く。 「国の為ならば、息子に打診してみます。  お受けするかどうかは別ですが……」  尚書はそう言い残すと、揖礼をし外廷に足を進めた。
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