再縁

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再縁

 吏部尚書から、息子が白蓮との縁談を受けると報告を聞いたのは、晩秋の頃である。空気が冷たく、木々が紅葉し地面には、紅葉や銀杏が色鮮やかな帯を広げる。  柊明は正直に言えば、此度の縁談はまとまらぬだろうと思案していた。いくら国の為とはいえ、縁談を白紙にされた女人を娶ろうなどと考える殿方がいるだろうかと。  柊明を驚かせたのはそれだけではない。吏部尚書が出した条件のせいでもある。 「お嬢様を娶るにあたって、ひとつだけ条件がございます。  どうか、白桜様へのお気持ちを持ったままお越しください。これは、国の為の縁談。ならば、仮初(かりそめ)の夫婦でも良いのではと。お嬢様もそのほうが、お受けになりやすいのではと思いまして」  外廷の隅で、尚書が白い息を吐きながら、神妙な顔をして言う。  尚書の配慮に頭が下がる思いである。 「そなたは良いのか。国の為とはいえ、このようなことをして」  案じている柊明をよそに、尚書は「ええ」と朗らかに頷く。 「息子は白桜様のように、容姿端麗でもなければ、桜薫様のように野心があるわけでもございません。ですが、国を良くしたいという思いは、変わることはございません。故に、国の為だという言葉に動かされたのでしょう。説得に少々、手こずりましたが……」  尚書は肩を竦める。    手こずるのも当然である。  何の感情もない、会ったこともない女人を妻に迎えるのだ。簡単に納得できることではない。   「お嬢様に此度の件はお話に?」尚書が問う。柊明は頭を振る。 「いや。そなたの息子が縁談をうけたら、娘にも話すつもりだ。  果たして、受け入れてくれるかどうか……」  今でも、白桜に想いを寄せている白蓮のことだ。簡単に、受けやしないだろうと自負し、今日まで一切口を割らなかった。 「承知いたしました」柊明の意思を汲み尚書は踵を返す。  勤めを終え邸に戻ると、すぐさま白蓮を部屋に呼び出す。まだ日が高く影が短い。  部屋で几を挟み向き合うと、柊明は一度か二度呼吸を整えると、意を決して口を開く。 「白蓮。そなたに縁談が届いている」  そこまで口にすると、娘の反応を待つ。白蓮は瞳を大きく瞠る。その顔には、期待や不安、驚き、幾つもの感情が入り混じる。 「最初に言っておくが、お相手は白桜様ではない」  残酷な現実。  そう口にした瞬間、白蓮の顔からすうっと表情が消える。 やはり、白桜様の正妻の座を―。  予想はしていたが、実際そのような素振りを見ると、決して叶わない希求にすがる娘の姿に胸が痛む。 「では一体どなたですか」白蓮の固い声。 「お相手は、吏部尚書の御子息で現在は、父親と同じく吏部で官吏として勤めている」  柊明は余計な感情を入れず、淡々と告げる。 「正直に言えば、そなたには好条件だ。家柄も、我が家には劣るがそれでも、吏部尚書の御子息ならば申し分ない。  それに向こうは、そなたが白桜様への気持ちを持ったままで構わないと、仮初の夫婦で良いからそなたを娶りたいと寛大なお言葉だ」  柊明の言葉を聞きながら、白蓮は視線を下に落とし裙を握りしめる。 仮初の夫婦なら、別に私でなくても誰でも良いのではないかー? 私はそんなに、軽んじられる女人なのだろうか―。 「お父様はわたくしを軽んじていらっしゃる」  顔を上げそう呟く。白蓮の声が聞こえなかったのか、柊明は困惑した表情を浮かべている。 「わたくしはそのような縁談望んではおりません。例えお相手が、尚書様の御子息だとしても」  白蓮がきっぱりと言い切る。 「だが、この機会を逃すとお前は金輪際、どこにも嫁げなくなる。私は、お前に……」  “女人としての道を……”と、続くはずだった言葉を遮る。 「それでも構いません。いいえ、喜んでそうさせて頂きます」  白蓮の宣言に、柊明は盛大なため息を吐きうな垂れる。うな垂れ黙っていても、埒が空かない。  気を取り直し、説得を試みる。 「白蓮。そなたがまだ、白桜様のことを慕っているのは承知している。だが、一度縁談が白紙になった以上、再度ということは決してない」 「故に、好いてもいない殿方に嫁げと仰せですか」  白蓮の語気が強くなる。  どう、言葉を紡げば良いのだろう……。  手を替え品を変え説得を試みても、然りと言わない白蓮に柊明は苛立ちを募らせる。  相手が乗り気になっている以上、否と断ることは避けたい。 「確かに、長年思い続けた殿方との縁談が、土壇場で白紙になったのだ。そなたの、悲しみは以下ばかりかと思う。  私とて、そなたが白桜様の正妻として、入内する時を待ち焦がれていた。  厳しいことを言うやも知れぬが、いつまでも白桜様のことを引きずっている訳にはいかまい。  白桜様のことを一途に想い続けるより、他の殿方のもとに嫁いだ方が良いのでは…と」  厳しい物言いに、白蓮の表情ががらんどうになったように見える。 「わたくしは何も、難しいことを望んでいる訳ではございません。好いている殿方を、お傍でお支えしたいそれだけでございます。  それのどこが、いけないのでしょう。  好いている殿方を想い続けることが、どのような罪に価しましょう。  一度、抱いてしまったこの想いは、簡単に消えることはござません」  目に涙を浮かべ、声を震わせる。 「白蓮」  名を呼び、言葉を紡ごうとするより先に、白蓮が口を開く。 「わたくしは、白桜様のことを好いております。これまでも、これからも。誰よりも、これ以上ない程に。  金輪際、他の殿方との縁談など聞きたくはございません」  白蓮は勢いよく立ち上がり、くるりと身を翻す。 「白蓮!」柊明が背に向かって、声を大にし名を呼ぶが、白蓮が振り返ることはない。  そのまま障子を開け放ち、部屋を後にする。  娘の様子を、柊明はただ呆然と眺めていた。  部屋を後にした白蓮は、玄関に向かう。 「お嬢様」(くつ)を履き、外に出ようとすると背後から梅月が呼び止める。 「少し頭を冷やして来ます。  日を跨ぐ前には戻るから」  白蓮は振り返らず、そう述べるとそのまま外に出る。  白蓮のただならぬ様子に戸惑う梅月に、柊明は「そっとしておいた方が良い」と、助言する。  一度頭を冷やせば、心変わりをするかも知れない。一縷の望みに賭ける。  邸を出た白蓮は、とある人物に助けを求めるために、都の通りを歩いていく。このような時に、頼れるのは一人だけ。  白蓮は藁にも縋る思いで足を進める。  月旭宮にて物思いに耽っていた春玲の元に、客のおとないがあったのは酉の刻(午後三時〜午後四時頃)のことであった。  直ぐに通すようにと、指示を出すと暫しの間が空き、二重の扉が開く。姿を現したのは、他でもない白蓮である。  白蓮は春玲の姿に安堵したのか、顔を歪ませ頬に涙が伝う。 「とにかく中へ」白蓮の様子にただ事ではないと察し、中へと誘う。  白蓮を椅子に座らせ、気持ちが落ち着くのをじっと待つ。俯き微かな嗚咽と、鼻を啜る音が聞こえる。  暫くすると、白蓮が顔を上げ目元を衣の袖で拭う。白蓮の表情は、宮に来た時より幾らか、憑き物が落ちたように明るくなっている。 「お見苦しい所をお見せいたしました」  白蓮の陳謝に、春玲は頭を振る。  春玲が話を切り出そうとした刹那、まるで見計らったように女官が二人分の茶と軽食を届けにきた。  女官は几の上に茶と軽食を置くと、口を開く。茶が入った湯飲みには、冷めてしまわぬようにと蓋が被せてある。 「こちらは、茉莉花を使用したお茶でございます。茉莉花には、気持ちを落ち着ける作用がございます故」  恐らく白蓮の様子を見聴きして、茶を選んだのだろう。白蓮は湯飲みを手に取り、蓋を取り茶を含む。暖かな温度と茉莉花の香りに、気持ちが落ち着いてくる。 「王様や白桜には?」春玲は女官にそう問う。こうやって、白蓮と度々王宮内で会っていることを、露見されることは避けたかった。 「幸い、気づかれておりません」  女官の言葉に、安堵し笑みを浮かべる。 「さて、なにがお嬢様をそうさせたか、話して頂けますか。  何かお心を乱されることが、あったのではありませんか」  白蓮の様子を窺っていた春玲が問う。先程までいた女官は、春玲の命により宮の前に控えている。  白蓮は小さく頷くと、ことの次第を話していく。 「お嬢様を吏部尚書の御子息に……」  話を聞き終えた春玲は、椅子に凭れ暫し思案する。 そこまでして、想い人を白桜の正妻にお望みですか王様―。  春玲は気づかれぬように、几の下で裙を握り締める。 「わたくしは、お受けするつもりはございません」  春玲の眼を真っ直ぐ見、白蓮がそう告げる。春玲は頷き口を開く。 「恐らく、此度の縁談は王様の謀でござましょう。  お嬢様には少し難しい話になりますが、今の吏部尚書は王様を支持する海紅派。左丞である、貴女様のお父上もです。  王様は御子息にお嬢様と夫婦になれば、高い官位を授けると仰せになったのでしょう。海紅派の者を、人事を司る吏部尚書に据えれば、政の外堀を固めることは可能かと。  更に言えば、お嬢様が縁談を受ければ、白桜にとっても好都合です。堂々と、想い人を入内させることができます」 「王様はわたくしを政に利用しようと……」  白蓮のか細い声。白蓮は目を伏せたかと思うと、直ぐに目を開け口を開く。 「王様の真意がそうならば、余計に縁談をお受けする訳にはいきません。政の道具などに、されるつもりもございません」  白蓮の瞳から、強い意志が伝わってくる。 「私からひとつ提案が……」春玲が躊躇いがちに口を開く。 「提案?」餌に飛びつく動物の如く、身を乗り出し続きを待つ。  こうなったら、どんな提案でも構わない。 「ええ。ずっとこの時を待っていました。  王様と想い人に制裁を加える時を」  春玲が口角を上げる。尋常ではない笑みに、若干畏怖を覚えるが次の言葉を待つ。 「王様と想い人の存在が無くなれば良いのです。  いや、想い人はともかく王様は、政務をお執りになれない状態になれば良い」  そこで、春玲の提案の詳細を垣間見た白蓮である。    春玲はあろうことか、自分の夫をしかも一国の君主を手に掛けようとしている。勿論これは、重罪に価し廃位はおろか、死罪も免れないことである。 「毒でも飲ませるおつもりですか」  白蓮の問いに、「ええ」とこの場に不釣り合いなほど、朗らかに答える。 「お食事に毒を忍ばせておけば、刑部の官吏は尚食の女官を疑うでしょう。まさか、私が関わっているなど、夢にも思わぬかと」  自分や白蓮、桜薫が罪に問われることがないように、隙のない計画。 「怖いのならば、ここで身を引いても構いません。ここから先は、お嬢様にとって関わらないほうが宜しいかと」  春玲の心配をよそに、白蓮は大きく頭を振る。 「いいえ。  最後まで関わらせて頂きます。怖いことも後悔もございません」  世間知らずな貴族の娘とは思えぬ、肝が据わった物言いと動かぬ視線である。 「して、決行はいつの予定でございましょう」  白蓮が物怖じせず問う。 「詳しいことはこれからです。算段を付けなければなりません。  ただ、想い人も同時にと考えると、花見の時が一番都合が良いかと」  毎年、桜の咲く時期に内廷にて、王族や官僚らを集めて、花見の宴を催す。春玲は、その宴の席に狙いを定めていた。内廷の行事ということもあり、王妃が準備を取り仕切ることになっている。 「わたくしはなにをすれば……」 「まず手初めに、お父上に“縁談を受ける”とお伝えください」  耳を疑う内容に、白蓮の瞳が大きく開く。 「自分の気持ちに、嘘を吐けと仰せですか」  白蓮は語気を強め、春玲に迫る。しかし、春玲は動じず頭を振る。 「そうではなく、縁談を受ける振りをして頂きたいのです。お嬢様が、縁談を受けると王様のお耳に入れば、関心はそちらに向くでしょう」  そうするに、桜月の関心を春玲の謀から逸らせることが、白蓮の役目らしい。 「承知いたしました」春玲の思惑に、賛同の意を示す。  これで、白桜の正妻の地位が手に入るのなら、容易なことだと思案する。地位が手に入るのなら、どんな犠牲も厭わない。寧ろ、喜んで犠牲になる。  白蓮の胸中は、悪事で漆黒に染まり始めていた。              
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