劇薬

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劇薬

 柊明が白蓮から、吏部尚書の息子との縁談を受けると耳にしたのは、雪虫が飛び始める時期であった。  空気がより一層冷たくなり、昼間でも火鉢の火が恋しい。もしかしたら、近いうちに初雪が舞うかもしれない。    あれだけ拒否していたのに、どうして突然縁談を受けることに決めたのか、柊明としては愛娘の胸中が今一つ見えてこない。  しかし折角、娘が一歩前に進もうとしているのだ。水を差すべきではない、と自分に言い聞かせ問い質すような真似はしていない。  白蓮は皆が寝静まったのを見計らって、行灯を手に邸を抜け出し王宮に出向いていた。夜風が冷たく、身を縮こませなから足を進める。  これから、春玲の宮にて桜薫も加勢し件の企てについて、算段を練るのである。  白蓮は息を真っ白にし、城門を潜る。真夜中に女人が一人で城門を潜ることに、咎められるかとも思ったが、警備に当たっていた衛尉の官吏は訝しむことなく、白蓮を外廷に通す。  春玲が予め根回しをしてくれていたのだろうか。  人気がなく静寂に包まれている王宮は、異様な雰囲気である。城門と正殿、内廷の宮のみに煌々と篭松明が燃え、周りをぼんやりと照らしている。  白蓮は足元を行灯で照らしながら、内廷に足を進める。  白蓮の姿に気づいた、月旭宮の女官が“こちらへ”とでも言いたげに手招きする。白蓮が宮の石段を上がると、女官はなにも言わず素早く扉を開き白蓮を誘う。直ぐに扉を閉め、「王妃様」と声を掛ける。  中から人が動く気配がし、扉が開く。艶やかな襦裙を、身に纏った春玲が姿を現す。  女官は春玲に揖礼を捧げると、踵を返す。    扉が閉まるのを見届けると、春玲が口を開く。 「夜分遅くにお呼び立てして申し訳ございません。  夜風で冷えたでしょう。中で火を焚いております故、どうぞ中へ」  春玲は鷹揚に微笑み白蓮を誘う。白蓮は春玲の背を追って、宮に一歩足を踏み入れる。  春玲の言う通り、宮の中は火鉢が部屋の隅に置いてあり、暖かさを保っている。行灯が部屋のあにこちに置かれ昼間のように明るい。  宮には既に桜薫がおり、春玲と白蓮に視線を向けている。  几を挟んで春玲と向かい合わせになるように、二脚の椅子が用意され桜薫はそのうちの一脚に腰を下ろしている。  白蓮も桜薫の隣に腰を下ろす。几の上には、蒸篭と急須、更には湯飲みが置いてある。春玲は急須を傾け、湯飲みに茶を注ぐ。湯飲みから湯気が立ち上る。  そして、蒸篭の蓋を取るとまたしても湯気が立ち上り、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。その香りに白蓮は笑みを浮かべる。  蒸篭の中には、二つの甜点心(てんてんしん)が湯気を立てている。 「飲茶をご用意いたしました。どうぞ」  春玲は二人に飲茶を進める。 「頂きます」と断り、白蓮は点心に手を伸ばす。 「して、誠に決行は花見の宴に?」  今まで沈黙を貫いていた桜薫が、口を開く。  白蓮は点心を齧り、目を細める。暖かい点心と茶に、身体が温もる。 「そのつもりです」打てば響くように、春玲が答える。 「毒はなにを用いるおつもりでしょう。王宮内にある植物をお考えですか」  王宮内では鳥兜をはじめとした、毒を持つ植物が数多く植えられている。  桜薫の問いに、春玲は頭を振る。 「いいえ。王宮内の植物では、毒性が強すぎます。特に王様には。  故に、麝香豌豆(じゃこうえんどう)の種を用いようかと」 「麝香豌豆……?」見たことも聞いたこともない植物の名に、白蓮は首を傾げる。 「遠い異国で栽培されている植物だ。  故に、知らなくても不思議はない」 「そんな異国のもの、どのようにしたら手に入るのでしょう」  桜薫の説明を聞き、白蓮は問いを重ねる。 「麝香豌豆を手に入れるには、異国のものを専門に商う店で購入するしかありません。  ただし、金額が高価で毒もあることから、通常は出回らない代物です。  桜薫、年が明けたらお嬢様と共に足を運んで貰えますか」 「畏まりました」桜薫は快く承諾する。 「ただひとつ案じていることがございます」  春玲が遠い目をして呟く。 「伯母上?」桜薫が問うと、ふっと笑みを浮かべる。 「確かに麝香豌豆の種は毒を持ちます。  しかし、人を殺める程の毒性はありません。  此度の計画は、白桜の想い人を殺められなければ意味がありません。  故に、想い人の膳には鴆毒(ちんどく)を用いようかと」  春玲の言葉に、桜薫と白蓮は表情を強張らせる。  幾ら白蓮が世間知らずだとはいえ、鴆毒の名は知っている。  鴆毒―。  毒蛇を食すため肉は勿論、羽にも毒を持つといわれる(ちん)の羽を用いた猛毒である。  羽を酒に浸し、天香国では罪人の死刑に用いられる。 「鴆毒でございますか。伯母上」  桜薫が強張った表情で言う。  春玲は鷹揚に頷く。 「卑しい身分でありながら白桜に王族に近づき、王室の秩序を乱したのです。それ相応の制裁を加えなればなりません」  少しの考慮もない口調に、春玲の梅花に対する憎悪が見える。 「鴆毒はこちらで用意いたします。  鴆毒は甘く、尚食の女官も想い人もまさか、甘い酒が毒とは思わぬでしょう」  春玲の計画の緻密さから、決して冗談ではなく誠に桜月と梅花を、手に掛けようとしていることを察し、桜薫と白蓮は固唾を呑む。    算段がまとまり、そろそろお開きに…と春玲が思案していると、白蓮が口を開いた。 「王妃様。  わたくしはなにをすれば良いのでしょう。ただ、この計画を聴いているだけでは、気が済みません」  白蓮は切々と訴える。  白蓮は自分が蔑ろにされていると感じていた。そもそも、此度の計画は自分と白桜との縁談が、白紙になったことがきっかけなのだ。自分は計画に、一番深く関わるべきなのではないか。 「確かにわたくしは、貴族の娘で世間知らずな一面があることは、承知しております。ですがだからといって、この計画に無関係ではございません。  わたくしは、一番の被害者と言っても過言ではありません」 「故に、役割が欲しいと?」白蓮の意思を汲み、春玲が口を挟む。 「左様にございます」白蓮の言葉に、春玲はため息を一つ。 「お嬢様のお気持ちお察しいたします。  ですが、お嬢様は左丞の一人娘。これ以上、危険なことに関わらせる訳には参りません。最初に言ったはずです。お嬢様はただ、白桜のことを想っているだけで良いと」  納得がいかないと言わんばかりに、唇を噛む。 「ご安心ください。  必ず、お嬢様の思い通りにして見せます。白桜の正妻として、嫁げるように。  他人に対する嫉妬心や憎悪は、劇薬となんら変わりはありません」  春玲の固い決意に、白蓮と桜薫はお互い頷き合う。    
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