警告

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警告

 年が明け十五日も経つと、月花楼に日常が戻って来た。    空気が冷たいが雪が降る程ではない。  梅花は幼い奉公人らと共に、冷たい水に手を晒し、他の妓女らの衣を洗う。身を切るような冷たい水と空気に晒された皆の手は、赤く所々ひび割れている。  あかぎれに効くという、柑橘類の果汁を絞り手に刷り込むが、傷口に染みるばかりで一向に治る気配はない。  自分の手を見、梅花はため息をひとつ。とても、数え十七の手とは思えない。  洗い終えるときつく絞り、竿に干す。赤、桃、青、紫……。色鮮やかな衣が、快晴の空にはためく。  年が明け暫くすると、妓楼内にある奇聞が飛び交い始めた。  毎年、王宮で開催される花見の宴で、宮妓ではなく月花楼の妓女を招く―と。  嘘か誠か真意が分からないまま、奇聞だけが妓楼内を駆け巡る。この奇聞に、妓女らも当然沈黙を貫いているばかりではない。  王宮と関りがある梅花に、奇聞の真意を尋ねる。  勿論、梅花はなにも聞いてはいない。白桜からの文にも奇聞の件は書かれておらず、時々様子を見に来る桃苑からもそのような話は聞いていない。  寒梅が咲く頃。夜見店が開く前に、梅花は他の妓女らと共に、芽李月と楼主に呼び出されていた。  芽李月の自室に集められた、妓女は梅花を含め十数人。皆、顔を見合わせ何事かと、囁き合っている。梅花を含め、妓女らは防寒のため襦裙の上に、羽織を纏っている。  芽李月と楼主は、妓女らを前に立つ。妓女らの視線が、二人に向いたのを確認し芽李月は口を開く。 「現在、この妓楼内で奇妙な噂が流れているのをご存じでしょう。  今日、皆に集まって貰ったのは、噂の真意について」  芽李月は一呼吸置き、真意を口にする。 「噂は誠です。  花見の宴に皆を招きたいと、王妃様はご所望です」  妓女らから、ざわめき立つ。ざわめきと共に、「やはり梅花がいるから?」という事実無根の言葉が聞こえ、梅花は下を向き裙を両手で握り締める。  此度の件と、梅花と白桜との関係とが無関係だと思いたい。  だがなんといっても、提案をしたのは他でもない春玲なのだ。梅花と白桜との関係を、良く思わない春玲がなにか細工をしないとも限らない。 「皆が思うところは事実無根かと。  知っての通り、王宮に妓女として参内するのです。当然、詩歌管弦の類を披露することになるでしょう。  得意な者も、そうではない者も、これから修練を積まねばなりません」  芽李月は一人ひとりに視線を送る。梅花は思わず、視線を逸らす。  話が終わり、他の妓女らが全員、部屋を後にし梅花もそれに続こうとすると、「梅花」と芽李月が呼び止める。  梅花は足を止め、振り返る。 「此度の件、私は貴女が関わらぬ方が良いと思っています。  理由は言わずともわかるでしょう」  芽李月はそういうと、鏡台の引き出しを開け立て文を梅花に手渡す。  文には、差出人の名は書いていない。紙縒りを解き、礼紙を外すと中から桜色の麻紙が姿を現す。  文を開くと白桜の筆跡で、宴の席への出席は考えた方が良いと、簡潔に認められている。  やはり、白桜も梅花と芽李月ふたりと同じように、此度の件には春玲の現不動に不信感を抱いている。    あれだけ、梅花と白桜の仲を厭うている春玲である。いくら、白蓮が国の重鎮の息子との婚姻が決まったとは言え、簡単に二人の関係を認めるものだろうか。  幸い、春玲に梅花の顔は割れていない。しかし、桜薫には顔を見られている。故に桜薫が助言をすれば、梅花に危害を加えるのは容易ではないか。  一方で、微かな期待も覗かせる。白蓮の婚姻が決まった今ならば、春玲もこの関係を認めるのではないかと。 「わたくしはどうすれば良いのでしょう」  相反する感情に梅花ひとりでは判断が付かず、芽李月に助言を求める。 「私としては、幾ら王妃様とはいえ他の王族方や官僚、女官が大勢集まる場で白昼堂々、手を出すとは思えません。  ですが、万が一ということもあります。また王妃様ご自身ではなく他の者に指示を出しているやも知れません。内廷の主であり、無月派を象徴する王妃様ならば、そのようなことも容易かと。  まぁ、実際は貴女の気持ち次第だと思いますよ」 「自分の気持ち次第……」梅花はおうむ返しに呟く。  梅花の逡巡に芽李月は口を開く。 「参加の有無は貴女次第ですが、参加する場合は白桜様に文を出した方が良いかと思います。  そのほうが、白桜様としても動きやすいでしょう」  そう助言をされ、梅花は曖昧に頷く。    自室に戻った梅花は、再度白桜からの文を開く。  同室の芽李花と華琳は、客の相手をする準備で忙しく、梅花を見向きもしない。  二人の態度に、なんとも言えない気持ちになるが、それよりも今は宴の件をどうするか、考えるのが先である。  警告ともとれる文面に、梅花の心は揺らぐ。白桜が梅花の身を案じ、文を認めてくれたことは承知している。  白桜のことだ。梅花が危険な目に合うことを、誰よりも危惧し案じている。    しかし、宴の席に姿を見せなければ、春玲や彼女側に付いている官僚らから、逃げたと思われるのではないだろうか。逃げたと思われたら、不利になるのではないか。  そのようなことは、避けたいのが本心である。  それに、芽李月の言う通り、宴の最中に白昼堂々、危害を加える可能性は低いのではないか。  王族が揃う場ならば尚更―。    そこまで考え、梅花は引き出しから白い麻紙を取り出し、墨を擦ると宴に参加する旨を認める。  墨が乾いたことを確認し、梅の花の香りがする香を焚き染め、煙を麻紙に纏わせる。匂いで、梅花からの文だと気づいて貰えるように。  礼紙に抱み紙縒で縛る。  果たして、警告に背いたこの決断が、吉と出るか凶と出るか、まだわからない。
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